自己紹介 

2024年4月 乳がん告知
6月18日 部分切除手術(術後3日目)

44歳二児の母yonと申します


こんにちはマカロン


「乳がん告知日は母の命日」2回目、

前回の続きを書こうと思います。

絶望の乳がん告知から

入院手術までの2ヶ月半の間、

どのように自分と向き合ったかの記録です。



まだの方はこちらを先にお読み下さい。

前回の記事↓『乳がん告知日は母の命日①絶望編』こんにちは5月に嵐山へ行きました。天龍寺や竹林を歩きボートに乗ってきました。新緑が美しかったです。今日で乳がん手術後2日目です。ビデオを見てのリハビリ体操が始…リンクameblo.jp





乳がん告知日は母の命日
②地獄編


2024年4月3日

24年前乳がんで亡くなった母の命日、

そして私の乳がん告知の日。

告知は私と家族のパンドラの箱のフタをあける事を意味しました。


忘れたくて忘れていたことをふとした拍子に思い出すようになりました。

開けずにおいたのに、乳がんを引き金に全てのトラウマが箱から飛び出したような感覚でした。


乳がんになり、前向きに頑張っていても

再発転移がわかる度泣いて、

がんと共に正常な細胞も傷つけるきつい薬物療法に苦しみ、

首元には服で隠れない放射線の紫のマーキング、髪は抜け、手足はゾウの様にふくれ、爪は黒化し、横になれず座椅子で眠り、車で40キロ以上出すと痛む体。

自暴自棄になり、ヒステリックに暴れ暴力をふるい、周りを手当たり次第責めて、全ての人間関係を破壊して亡くなった母。


私もそうなってしまうんだと。

もはや前向きになることさえも死へのフラグであるかの様な気がしていました。

1人になると泣けて泣けて、、、


私の願いはただひとつ、

母の様になりたくない

ただ、それだけでした。


告知の日以降、

毎回妹が病院に付き添ってくれました。

近くに住み、子供も同い年で、最近仕事を辞めたところでした。

妹は第一子を死産で失い、第三子出産直後に甲状腺がんの手術をしています。


妹もまた人生ハードモード。

一緒に泣いた日々から

今2人の子に恵まれ忙しくも幸せそうな妹の姿が希望の様に感じました。

そして周りと、自分でさえも私と母を重ねる中、唯一

おねえはおねえ!お母さんと全然違う!

と言ってくれました。


告知から2週間後にはステージがわかり、

少しずつ治療に向けてガイドラインを読んだり、看護外来に相談に行ったりし始めました。


病院に行くたびに訴えました。

初期治療でミスしたくないんです、

微小転移といずれ来る再発転移が怖いんです、と。

徐々に病状が明らかになり医師から部分切除をすすめられても

全摘しないと母の様になるという思いが消えませんでした。


そんな時、

長男が体調不良を訴えました。

貧血、失神、下痢、腹痛、、、

175センチ45キロの痩せ型で

出産退院翌日から黄疸治療で通院し、

幼い頃から中学生まで月1回は発熱し、

たびたび失神し、外で倒れた時には救急搬送され、喘息で何度も入院してきました。


母親のがん発覚のストレスかもしれない

と思いながらもすぐに病院に行きました。

そしてMRIやエコーをすると胆石が3つ見つかりました。

消化器内科と血液内科を行ったり来たりしながら、医師からこう言われました。


「この若さで胆石3つかぁ。

黄疸で失神もして、頻繁に発熱。

遺伝性球状赤血球症という血液の病気かもしれないですね。

一週間後に血液検査の結果が出るので来て下さい。

下痢も続いてるからその時胃大腸内視鏡検査もしましょう。」


遺伝性球状赤血球症

確かに調べると当てはまる事が多いなと思いましたが、予後はそんなに悪くなく

違います様にと祈っていました。


1週間後、

血液検査の結果は数値に問題ありませんでした。

球状赤血球症ではないでしょうとの事で

よかった!とほっとしたのもつかの間、

じゃあ原因は何?となり、

そのまま内視鏡室へ行き、前日から絶食しての胃大腸カメラを受けました。


内視鏡検査が終わり、鎮静剤の効きが悪かったようでとてもつらそうに戻ってきた長男。

フラフラしている長男が目を覚ます点滴をしている間に、医師から私だけに説明があると別室に呼ばれました。


「大腸と小腸の間に回盲弁という場所があって、そこにこんな炎症が見られたので病理に回しました。

んーもしかしたら、、、

クローン病という可能性があります。

ちょっと溝がねー違う様な気もするけど。

結果は1週間後に出るので、予約を取ってまた来て下さい。」


え?


あのクローン病?


うちの子が?


私の乳がんだけじゃなくて?




クローン病を知らないわけじゃない。

絶望なんてまだまだかわいいものだったと思いました。

私が2週間前に乳がん告知を受けたとは知らない医師と

別室での話を知らない長男。

冷静を装いつつ、頭の中はショックでパニック状態でした。


そこから眠れず食べられず、

横になり勝手に涙が流れる1週間を過ごしました。

夜眠る長男を見つめながら

お願いします!

この子のかわりに私をクローン病にして下さい!

これ以上大事なものを病気で奪わないで下さい!

泣いて泣いて祈りました。


新学期が始まってすぐの事でした。

全てが変わりました。

1ヶ月前まで普通に暮らしていたのに、ある日突然命に関わる病気になるなんて。

ぼんやりいつか来るだろうと思っていた死が、いきなり面前に迫ってきました。

自分だけじゃなく、子供もだなんて。

寒くて真っ暗で、ここが地獄なんだと思いました。





お読みいただきありがとうございました。

フォロー、いいねもありがとうございます

次回は

地獄からどのように這い上がったか、

希望を探した日々を振り返ろうと思います。