今日は、「即答キーワード」で答える歴史人物
『市川房枝』編です。
【市川房枝のよく出る説明文】
・1920年に平塚らいてうらと新婦人協会をつくって男女同権などを目指した。
・第二次世界大戦後,参議院議員をつとめた。
市川房枝の即答キーワードは
『新婦人協会 平塚らいてう 女性地位向上 参議院議員』です。
この4つを頭に入れましょう!
では、実際に出題された問題で確認してみましょう!
赤字が即答キーワードです。
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■女子聖学院中学校(2023年)
普通選挙法が成立したとき「普選はまだ完成していない。婦選が残っている」と女性の選挙権を求める運動をした私は31歳でした。私は87歳で死ぬまで,日本が女子差別撤廃条約に同意するよう訴え続けました。
「私」とは誰のことですか。人名を答えなさい。
※キーワードなし
■市川中学校(2022年)
1893年 愛知県に生まれる
1920年 平塚らいてう・奥むめおとともに新婦人協会を設立する
1922年 新婦人協会が治安警察法の第5条の改正を実現する
1924年 婦人参政権の獲得をめざして運動を進める
1942年 大日本婦人会審議員に指名される
1953年 参議院議員となる
1981年 87歳で死去
上記の年表の人物を答えなさい。
■湘南白百合学園中学校(2018年)
女性が参政権を獲得できるように運動を繰り広げた人物で,のちに参議院議員になったのは次のうちだれですか,記号で答えなさい。
ア:平塚雷鳥 イ:市川房枝 ウ:与謝野晶子 子:エ津田梅子
■日本大学第二中学校(2017年)
次の写真の丸で、囲まれた人物は,平塚らいてうとともに女性の地位を向上させ,女性が選挙権を得られるよう運動を行いました。
この人物の名前を答えなさい。
■大妻中野中学校(2017年)
女性の政治参加への制限がきびしくなるのは明治時代です。
民法などによって,職業選択や婚姻の自由なども制限されるようになりました。
このような立場に立たされた女性の政治的解放などの運動を進めたのは(1)でした。
(1)は新婦人協会をつくり,女性の参政権を求めるなど,現代の女性の活躍につながる活動をおとなっていったのです。
(1)にあてはまる人名を答えなさい。
■立教女学院中学校(2017年)
平塚らいてうらとともに新婦人協会を設立し,婦人参政権議議運動に力をつくし, 1953年以降,5回参議院議員に当選し,女性の地位向上のために活躍した人だれ物は誰ですか,漢字で答えなさい。
■桐蔭学園中学校(2016年)
満州事変からアジア・太平洋戦争まで続く戦争は,十五年戦争ともよばれているが,この戦争のなかで男性は戦場に動員される一方で,女性は「銃後」という後方支援活動を支える役割をはたした。
下線部の状況について,ある女性は「一種の女性解放」だったと回想しています。彼女は平塚らいてう(雷鳥)とともに,女性の政治参加を求めて,1919 年に「新婦人協会」を結成したことでも知られています。この女性の名を漢字で答えなさい。
湘南白百合学園中学校(2016年)
新婦人協会という団体をつくり,女性の選挙などの権利の獲得や,女性や母親の権利をまもることを訴える活動をしました。のちに参議院議員を25年つとめました。
この人物の名前を答えなさい。
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いかがでしたか?
『新婦人協会 平塚らいてう 女性地位向上 参議院議員』
のどれかがあったら、『市川房枝』と即答できるようにしましょう!
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◇2016年~2023年の歴史人物を答える問題は下記アドレスをご覧ください。(問題は一部編集)
https://love-su-gaku.com/hisper.pdf