スマートフォンの副作用を書いた本がよく売れているそうな

僕の考えていることにとても近いからちょっと焦るナア。

どこが?と言われれば人間の頭脳は  ン10万年も前から変わっていないのに

最近2・30年のネット世界の急激な変化主にその情報量の増加によって

思考基盤OS がひどいダメージを受けている

それなのにほとんどの人がそのことに気が付いていない、

 

なぜそんなことがまかり通るのだろう

 

理由はすでにサイバー空間の覇権争いが始まっているからだ。

アメリカ、 中国 ロシア イスラム諸国 インド どこの国も連合も庶民の犠牲など構っていられない

 

表向きはガーファを悪役にしているが国そのものが非人道の親玉。

サイバー空間ではすでに世界大戦がはじまっている

 

ベトナムやアフガニスタンで起きたことが見えにくいネット空間で起きている

だから言葉巧みに人狩りが始まるだろう

お国のためにきみの頭脳を役立ててうんたらなんたら

差し詰めオレオレ詐欺集団など格好の標的だ。

何も考えずにパソコンの前でただひたすら敵を倒すもしくは金を稼ぐ

新しい軍隊の誕生だワハハ。

 

その余波で頭のおかしい奴が鉄砲をぶっぱなし爆弾を破裂させ,

刃物を振り回し,血走った目で人ごみの中を走り回る

 

僕らがなすべきはまともな精神状態ではなくなったとき

自分で自分の頭の中を修理もしくは休ませて正常に近くすること。

さあそれをひとまとめにして本にするのは骨だなあ(^_^

 

 

 

 

 

思い立ってから少し間が開いて冷静になる

果たしてこれは本にする値打ちがあるんだろうか?

 

そして今は猛烈にはらがたっている。  

 

その理由を一言でいえば”なんでこの俺が書かなきゃならんのだ”の一言に尽きる。

誰かが先に文章にしてくれれば わざわざ得意でないことをやらなくても済んだのだ。

ああメンドクサイと思う一方これはチャンスだとそそのかす自分もいる。困ったもんだ。

だがしかし今のところ血眼になって探しても僕に似た考えの人間には出会えていない。

ふしぎでたまらん。

そしてどうせこの思いを本に託すのなら僕にしかできないようなやり方で書きたいものだ。

 

ここに大まかな内容を述べる。

 

マンハッタンの高層ビルにジャンボジェットが突っ込んだ時

テロだテロだの合唱が巻き起こり津波のように世界を飲み込んだ。

 

アキハバラの歩行者天国で軽トラが人を撥ね、運転席から降りてきた男がナイフを振り回し、、、

 

60歳くらいのごく普通のオジサンが突然家族に刃物を振り回し、、、

 

これらのことをひっくるめて全部同じ原因で起きた事件だ というのが僕の考え。

どこの誰に話しても宇宙人を見るような視線が返ってくる。無理もねえか(;^_^A

 

しかしもしも人間の頭脳をパソコンと同じ構造かもしれないと考えれば

非常に単純な答えが出てくる。

これらの事件はソフトの不具合またはウイルス感染によるものだから

ソフトを停止して取り換えるか

ワクチンをインストールすれば防げるハズだ。

 

そこでチャチが入るだろう

生身の人間の頭の中にソフトがあるとして、どうやったら、取り換えたりワクチンを接種するの?

 

そうだよなあンなことが出来たら魔法使いだ。夢の話はそれくらいにしておけって言われそうだ。

 

そんなある日パソコンの故障を修理してもらっている時考えた

パソコンがコントロールパネルの設定からソフトの出し入れや諸々のことができるのなら

人間にもコンパネがあるに違いない。 でもどこに、、

 

結論から言いますと確かに生身の人間にもコントロールパネルはあります。

でもむやみに開けると危険なのでこんな看板が下がってます。

 

上の写真は僕の今の(コンパネの)イメージですが

子どもの頃のイメージでは とにかく胸がドキドキしましたナ。

何かに出会って心臓がパクパクするのはすぐそこに”触るな危険””的なものがあるから。

そこで勇気を出してエイヤッと赤いスイッチを押せば人格が変わっちまう

 

まだ信じてねえな  そうだったら面白いとはだ思うだろうけど。

 

僕自身の実際の経験で

酒とたばこのスイッチをパチン!と切っちまったお方がいる。

いつものように休みの日、朝から酒を飲み続け

気が付いたらぶっ倒れて腹の中のものを全部吐き出し

うんうん唸りながら”もう死ぬのかなあ、、”と意識朦朧でいたとき

体の奥から管理責任者が出てきて  コラ‼このバカ息子  お前の好きな酒のスイッチを切るからね

あとは勝手におし

と言ったきり奥のほうに引っ込んでしまった。それ以来僕の体の管理責任者は僕であります。

 

すなわちとことんまで追い詰められ、生きるか死ぬか瀬戸際まで追い詰められないとたどり着けない。

それがコンパネの現実であります。

 

ですから何不自由なく健康で幸せな人は縁がないしそれで構わない。

しかしこのままでは死ぬしかないか それとも人を殺さずには済みそうもない

そんな人がコンパネにたどり着きさえすれば何とか助かるという救命胴衣を提供したい。

 

 

 

 

 

 

ゼロが点 1が線 2が平面 3が立体 4が時間

では5次元は何なのだ?

僕の考えではもうすでにすべてが決まってしまっている過去が4次元

そこから一歩踏み出す今現在こそが5次元

そして踏み出したその先にある”未来”が6次元だと思う。

言葉の遊びかもしれないが。

 

小学校に入ってすぐ周りの生徒と喧嘩ばかりした 正確には駄々をこねて泣いてばかりいたってことだが。

赤くなってブンむくれるからアカ短気のあだ名がついた。

なんで腹が立つのかわからないまま”扱いにくい生徒様”の折り紙付きになって

一人でいることが多かったが別段悔しいとも悲しいとも思わない。

おおらかな時代だったからそのまま放っておいてくれたからね。

 

今にして思う  なんであんなに周りの人間とぶつかってばかりいたンだろう?

おそらく僕の持っているOSが大多数の周りの人たちと微妙に違っていたからだろう。

それがどうしたの?って思うでしょうが、これがイジメのメカニズムのひな型だと言ったらちょっと耳が動くかな。

 

そのメカニズムとは情報処理に関して多数派ではない人間はより多くの労力を必要とし

その逆もまた同じく”余計な”エネルギーを使わされることにある。

つまり一人だけ外国語を話す(本人は気づいていない)人間はハンディキャップがあるってこと。

 

なに言ってんだかよくわかんねぇだろな  事を商売に例えれば

仲間同士では10%のマージンがこの”仲間外れ相手”だと15%  、、だとしたら、そりゃ嫌味の一つも言いたくなるだろう。

 

イジメってのは決して感情から生まれるものじゃありません

かんじょうはかんじょうでも 勘定なのでありますよ。 

 

コミュニケーションとるのに余分な労力がいるとしたら摩擦が起きるのが当たり前

事前に”私は遅い”と知らせておくのがイジメ回避のコツだと思う

 

現に僕などはケータイ電話という車は車庫に入れっぱなし。

連絡取りたかったらじかに電話するしか方法はないぞって宣言してある。

それで文句を言われたことなどない 何事も最初が肝心。

 

てな具合に何事も皆が当たり前だと思っていることを

疑いに疑い綾をつけ眉につばつけこれでもかとつつきまわして

もしかしたら(僕にとって)新しい知識かなって思う時がエエんでありますよ。

 

僕に言わせればなんでいじめが起きるのかわからない人がわからない。

情報の雨あられのこの世の中で

スピードの違う車が目隠ししながら高速道路を走れば事故が起こるのが当たり前とちゃうか

 

人様が常識だと思っていることをひっくり返す、、

これに勝る快楽がほかにあるだろか(*`艸´)

 

 

 

 

 

小学校に入ってすぐ周りの生徒と喧嘩ばかりした 正確には駄々をこねて泣いてばかりいたってことだが。

赤くなってブンむくれるからアカ短気のあだ名がついた。

なんで腹が立つのかわからないまま”扱いにくい生徒様”の折り紙付きになって

一人でいることが多かったが別段悔しいとも悲しいとも思わない。

おおらかな時代だったからそのまま放っておいてくれたからね。

 

今にして思う  なんであんなに周りの人間とぶつかってばかりいたンだろう?

おそらく僕の持っているOSが大多数の周りの人たちと微妙に違っていたからだろう。

それがどうしたの?って思うでしょうが、これがイジメのメカニズムのひな型だと言ったらちょっと耳が動くかな。

 

そのメカニズムとは情報処理に関して多数派ではない人間はより多くの労力を必要とし

その逆もまた同じく”余計な”エネルギーを使わされることにある。

つまり一人だけ外国語を話す(本人は気づいていない)人間はハンディキャップがあるってこと。

 

なに言ってんだかよくわかんねぇだろな  事を商売に例えれば

仲間同士では10%のマージンがこの”仲間外れ相手”だと15%  、、だとしたら、そりゃ嫌味の一つも言いたくなるだろう。

 

イジメってのは決して感情から生まれるものじゃありません

かんじょうはかんじょうでも 勘定なのでありますよ。 

 

コミュニケーションとるのに余分な労力がいるとしたら摩擦が起きるのが当たり前

事前に”私は遅い”と知らせておくのがイジメ回避のコツだと思う

 

現に僕などはケータイ電話という車は車庫に入れっぱなし。

連絡取りたかったらじかに電話するしか方法はないぞって宣言してある。

それで文句を言われたことなどない 何事も最初が肝心。

 

てな具合に何事も皆が当たり前だと思っていることを

疑いに疑い綾をつけ眉につばつけこれでもかとつつきまわして

もしかしたら(僕にとって)新しい知識かなって思う時がエエんでありますよ。

 

僕に言わせればなんでいじめが起きるのかわからない人がわからない。

情報の雨あられのこの世の中で

スピードの違う車が目隠ししながら高速道路を走れば事故が起こるのが当たり前とちゃうか

 

人様が常識だと思っていることをひっくり返す、、

これに勝る快楽がほかにあるだろか(*`艸´)

 

 

 

 

 

デジカメで200枚くらい写真を撮ると

帰り道の電車の中で30枚くらいに間引くことにしている。

そんなことを繰り返すうちに ふと思った これって記憶のメカニズムそのものじゃなかろうか。

 

意識的に二度三度と画像を“これ要るコレは要らない”を繰り返すと

一度よりも二度三度のほうが確かに記憶した実感がある。

ああこれがいまさらながら勉強のコツだったんか 気付くのが遅い (;^_^A

今まで取りっぱなしで整理してこなかった反省よりも

中学高校時代に気づいていれば多少は成績が良かったンにと悔しいナ。

 

成績上位の奴らがたびたび口にしていたことの 本当の意味がまるで分かっていなかった、、

いまさらながらだけど。

 

そんでもって詳しく調べてみると、画像のサイズがそのままappに要する時間。

一番エコノミーなサイズおよそ150万画素と最大の2500万画素では1対17の違いがあり

それがそのまま処理時間の差になる。

動画になるとさらに差が大きくなって、そのまた10倍くらいかな、正確に測ったわけじゃないが。

 

おそらく人間の頭は情報処理能力が一定なのだろう。

 

だから人間の骨組みになるような大きなサイズのソフトは

一日一ページとしてアラビアンナイトなら2年ちょっとかかる。

人質を殺してばかりいた王様は1001ページのインストールが終わると慈悲深い王様になりましたとさ。

 

ところがこれには例外があって ある時ゲームソフトをインストールする画面を見ていたら

高速のインストール云々てな表示があって もしかしたらアレが? と思うことを思い出した。

 

明治維新の只中に適塾で、足の踏み場もないような ものすごく劣悪な環境で

とんでもない速度の学習能力が発揮されていたという。

また 現代においてもある文筆者は 全く意に染まない仕事 で無理やりに膨大な情報を記憶することができたという。

 

推定ではありますが記憶には、 ふつうの速度と その何倍何十倍かのスピー記憶スピードがあるらしい。

あくまでも推定ですが。

 

、、これがどういうこと意味するか

よく学生時代に勉強は何のためにするのか 記憶なんかしたってすぐ忘れるし

数学なんて公式を覚えるだけの役立たずじゃねえのか?

 

実にごもっとも、今でも意味のないことをしてきたという疑いはぬぐい切れない。

しかしこれが覚えることや計算能力を鍛えることよりも

情報の処理能力を意識的に変えることができるかどうか

 

切羽詰まったときに意識して頭の回転スピード変更ができるか

その適性、つまり官僚に向いているかどうか、それを見るためのものだとしたら

日本社会は若者の人間的魅力よりも

特殊な役人としての計算能力を優先しているってことだ。

 

だから学校の成績が人よりも劣っているからといって

僻んだりねたんだりすることは全く意味がありませんよ。

あいつらは特殊な能力を評価されているだけなんです。

 

それに高速のインストールには欠点もあって

人格が荒っぽくなるきらいがありますあくまでも私見ですが。

 

 

何をどんなふうに書けばよいにか見当がつかない日々。

病院のベッドの上で思いを巡らせた。

 

まず全体像を大まかに示そう。 それには図形が一番わかりやすい・・とは思うのだが

それをだれが形にスンダってことになるとペンタブを買ってきて 自分でやるしかなかろうなぁ(;^_^A

 

言葉で書くと  目次は 七夕飾りのように 

幹になる太い竹と それにぶら下がる色々バラバラなモノ。

てっぺんにはこれからの行く先を示す矢印のようなもの。

 

おおよそ三つに分けられると思う。

 

① 幹になる太いもの

  人間の頭はPCでいえばソフトの集合体である。

 

⓶  そのソフトがウイルスがに感染するといろいろなエラーが発生する。

 

③  実はカブレると言いまして思想信条というものはウイルスの一種。"うつる”んです。

   危険思想もカルトも根っこは同じ。  我々が”世間様”と呼んでいるのもソフトの一種。  

   その時代に適したものが生き残るのであって”正しいから生き残る”のではない。

 

④  、、という考え方は僕が、 人間社会の外にいるからで

     1000人の”群れ”の40%が主流派 30%が反主流派25%が無関心

      残りの5%三つ巴の外。立っている場所が違うと見えるものも違う。

      だから僕の役目は”群れ”の外側から

      こんなものが見えるゾと伝えること。

 

 

七夕飾りにぶら下がる色々なモノあれこれ

チョキ唇下矢印秘密お祝いアセアセ?足ルンルンキラキラキラキラブルーハートハート

 

最後の締め”終りに”  

 

とまぁこんなところかな。も く じ でした。

 

ついでだから終りにを書いておこう。

 

終りに

 

長い間アートコレクションをやってきた。

お小遣いで買える範囲でおおよその数50点。 それがここにきてコレクションする方針が大きく変わった。

アート作品の真骨頂はその個性。集めているうちに僕の見る目も変わってくる。

  

  なぜ変わったかというと,  人生の終わりを考えたとき、 ”永遠”とは何だろうってことに突き当たる。

人生僅か90年とすればおそらく僕のコレクションは跡形もなく消えるだろう。

 

そう考えながら高萩の海岸を散策していると  

こんなものに出会った。

 

すべて佐々木が浜 という崖下で拾ったもの。

この石たちが出来たのはおよそ6億年前

地層の中に堆積したのが6500万年前

この海岸に転がり出たのは30万年前,、だろうかな。

 

30万年でさえも90年と比べれば永遠みたいなものだ。

どうです?もまれにもまれて丸くなった石達  美しいと思いませんか。

ただひたすら丸いものに人は永遠を重ねるものらしい。

     

    これが僕のたどり着いたコレクションの成れの果て。 どうです古くて新しい美しさでしょ。

 

 

 

 

  

   

 

 

4月6日より体調を崩し生体細胞を検査の結果

“腺癌ではない”ことがはっきりしましたが

二度目の細胞検の結果待ちとなりました。

テキの姿が見えなけりゃ弾を打っても仕方がなかんべってことらしい。

 

その間およそ20日間のまず食わずの点滴生活、尻から煙も出やしない。

検査の結果は連休明け待ち。

癌の種類が確かではないだけの話で、人工肛門は避けられない模様。

 

後はどれだけ持っていかれるかの勝負。

どうか洗いざらいなくなってもいいから”チンチン機能”が残りますように。

 

手術をするとすれば6月のハナかな。

これを本にに仕上げるだけの時間はあるだろう。

 

手術をすれば体が慣れるまで1月、動き出すのはそれから。

それまでに少しでも書き溜めておきたい。

僕の言いたいことは要するに

人間の頭はソフトの集合体だってこと。

 

ところがそれがアキハバラや通り魔事件の話になると途端に

そんなことはありえねえって話が流れる。まるで考えないように誘導されてるかのように 、ナンデダ(^_^;)

人間の頭のセキュリティーって発想がそんなに奇異な発想だろうか?

 

、だから悩みましたよ誰一人いない孤独な道だから。

一枚の絵の前に立ち自問自答する 行くべきか引くべきか

すると声が聞こえた あなたの信じる道を行きなさい

そんなわけで今僕はこの道を歩いている。長らく滞っていたが癌に尻をけ飛ばされて。

今は人がなぜ他人事になるのかなんとなくわかる

所詮人は津波が目の前に来ないと動かない。

これは僕の心の奥にある映像 物心のついたころからあった。


oonamazuのブログ
なんでこんなの覚えてるんだろ?

まぶたの裏に焼き付いている

何か恐ろしい声が聞こえる。

血まみれのナメクジが夢の中に現れるそのたびに

こわいよ~と叫んだ


oonamazuのブログ
 

ある時捕まえてくしゃくしゃにやっつけた。

すると体の奥のほうから【殺しちゃダメ!】と声が聞こえる。

理由がわからないのに”確かにそうだ”と思った。

それ以来こいつは体の奥に引っ込んで出てこなくなった。

 

心の奥に住み着いたこの生き物にまたであったのはある美術館の壁だった。

 

三橋節子作絵本 雷の落ちない村 から 雷獣 烈しいオ~ラ

こんな風に見えたということで実際は回数を重ねるうちにこう見えるようになった。

思えばあれは母だったのだ。それを教えてくれたのがこの絵。

 

僕はこの絵の前で心を開き深く刺さったとげをとっていただいた。

魔法使いが人の心を”修理”したんです。