数学的にありえない (上
・下)
アダム ファウアー (著), Adam Fawer (原著), 矢口 誠 (翻訳)
文芸春秋 各2,200円
久々におもしろい本に出会えた。満足感でいっぱい。
というのが、読後の感想だ。
この本は、なんといっても題名がかっこいい!
本は内容に決まっているけれど、読むきっかけ、動機など不純でいいではないか。
「題名がかっこいい」とか
「みんなに難しそうな本を読んでいるように見せられることでちょっとした優越感に浸れる」
とかね~
というわけでフツーの人とは違う動機で手にしたこの本。
でも、読む前から私には、数学の話は難しいし、その上、上巻と下巻と長いので、きっと、内容が難解で途中で放り投げてしまうに違いないと。途中までは、そう思っていました。
もちろん、数学的な話が展開されるのだが、その数学的内容を理解しなければ物語が理解できないわけではない。
むしろ、その手の話は、文字を追うだけで十分。
実際私は、そのように読み飛ばしましたが、話の筋は追っていけるし「へ~、へ~」と自分の世界にない単語を読むだけで、『数学』に触れた気になっていました。
ポーカーゲームに興じるケインの場面から始まる。
ギャンブルに興味も知識もないので読み進めるの苦労した出だしだ。
店主のニコラエフ。その部下、コズロフ。客でただ一人の女 シスター・メアリー。
後に重要なので最低この名前は覚えておきたい。
ケインは、大負けしてニコラエフに1万2000ドルもの借金を背負い、取立てにあうことになる。
借金を返す金を作るため、高い報酬がもらえる人体実験に協力した。
そのために、ケインの秘密がわかり、狙われることになるのだが・・・。
次の話は、ナヴァ・ヴァナー。
彼女は、元KGB工作員、CIA工作員を経てフリー(!?)のスパイ・殺し屋である。
次の話は、ドクター・ドヴァイスキー。
大学の教授で、教え子の女子大学院生ジュリアを愛人にし、そのジュリアを使って人体実験を行う。
脳に危険な害を与えることは教授にだけは分かっている実験である。
研究完成間近の実験でジュリアを死に至らしめてしまうが、自身の保身のために彼女を研究室の窓からゴミ捨て場に落とし捨てる。
その過程でジュリアは教授にあることを告げる・・・
ゴミ捨て場でナヴァに発見されたジュリアは、最期に重要なことを教えるのだった。
そして、科学者で科学研究所長のドクター・ジェイムス・フォーサイス。
仕事は、世界中のコンピュータから情報を盗み出し重要な研究を横取りする。そして、それらを、CIA, FBI, NASAなど主要政府機関に売り渡し私腹を肥やす。また、議員と癒着し、地位の保全と資金源にするわる~いヤツだ。
次に、うだつの上がらない男、トミーが、ロトが当たり億万長者になる話。
ケインの恩師、ドク。
ドクと共同研究をする赤いボウタイの大学教授ピーター。
また、ケインには双子の兄、ジャスパーがいる。
彼も、精神を病んでいる。(世間的には)
全く違った話が同時に展開され、いったいこれらがどうつながっていくのか・・・・
上巻後半から加速し、ばらばらの話が一本に繋がっていきそうになり・・・一気に読ませます。
ラプラスの魔と呼ばれる才能をケインが持っているために利用しようとする輩が追いかけ、借金を取り立てるべくコズロフを差し向けるニコラエフが加わり、ケイン争奪戦が繰り広げられる。
量子物理学、素粒子、クォーク、確率、統計、数学・・・・
と難解な文字が並ぶのだが、
確立の基礎を作ったのが、パスカル。期待値を使って人生をささげるべきだと証明した話やロトくじを例に挙げた期待値の説明。
確率論ド・モワブルの「偶然の原則」やラプラスの確率論を天文学に応用した話は、その部分だけ読んでも「へ~、なるほど」と感心させられ、偉大な数学者の功績をたたえずにいられない。
確率論は、偶然に起こる出来事に関する学問で、とうけいがくを予言する方程式。
統計学は、実際の出来事を計測する学問。
ラプラスの魔は、現在も過去も未来も見通せる全知の存在(能力)を指す。
超能力と理解されるものだ。
ケインは、大学で非常勤講師として統計学の講義を担当していたが、幻臭、幻覚の発作を起こし、講義中に倒れ以後教壇に立てなくなった。
投薬で直らないタイプの癲癇の治療のためドクター・クマールが開発中の薬物治療を受けるのだが、癲癇の発作は、ラプラスの魔に関係があるようなのだ。ケインの脳を調べれば、lラプラスの魔にたどり着けるというわけだ。
ケインを助け出すフクザツな生い立ちのヴァナーの活躍は、応援モノ。
ケインがすべてを解決したと思いきやジュリアが、めいのベッツィーを助けるために仕掛けた壮大なストーリーだったのか?
最後は、明るい終わり方もよかった。
全体として、なつかしいSFの雰囲気があったな。
海外の本は、原文で読み理解することが出来ないので当然翻訳したものを読むわけだが、翻訳する人によって
素晴らしい作品が原文のまま同じ感動を伝えられるのか、同じ作品でも駄作となってしまうかは翻訳者の腕によることになる。
そういうことでいえば、この本は、翻訳者、矢口誠さんの素晴らしさなのだろう。
外国文学は、あまり読んでいなかった。というか、読んでも、すらすらと読み進められるものでないという先入観があって敬遠していた。それは、根本的に間違っていたこともこの本を読むことで理解できた。
たぶん、私が読んだ数少ない外国文学は、私の嗜好に合わない翻訳者の訳したものだったのだろう。
海外の翻訳本は、翻訳者をみて、選んで読むことにしようと学習した。