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市川竜の文学ブログ

書き散らした私小説と読書感想文をアップしています。気長に読んで下さい。

 
★日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?  田中康弘
 
          枻(えい)書房 20140410
 
 
 一見して興味深い書名である。現在、スーパーに行けば牛肉やら豚肉やら、味も品質も信頼して食べられる食材が豊富に並んでいるが、ちょっと昔にはこれが普通では無かったことを知っているのは私たちの世代が最後なのではないか。
 
 本書には猪を始め、鹿、ハクビシン、狸、トド、などが日本各地で捕獲され、解体され、料理される様子が克明に書かれている。エッー、鹿なんて食べられるのー? なんてほざく女の子が増えているが、鹿なんか古代からの貴重な蛋白源だったということを学校で教えていないことが不思議である。鹿肉は硬いと云われるが、生は柔らかくて大変おいしいそうである。ただし解体時には衛生面で細心の注意がいる。生でなくとも、調理に工夫すればそれなりに旨いと云う。
 
 猪なんて最高の食材だそうだ。
 
 本書には解体の場面がカラー写真でふんだんに出てくる。これを血腥いと目を背けるようではいけない。私は子供の時に偶然鹿の解体現場を目撃したことが有るが、何か旨そうだな、と感じた憶えがある。また、当時よく食卓に上がっていた鯨の肉よりは柔らかそうだと思った。
 
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 愛媛県の蜜柑農家のお話。日本一甘い蜜柑をハクビシンが荒しに来る。こいつは蜜柑の皮を綺麗に剥いて中身だけ食べてしまう。ハクビシンはジャコウネコ科で中国や東南アジアでは高級食材とされる。
やられたらやり返せ! この償いは肉でしてもらう、と罠を仕掛けまくっている。そして畑から肉と果物が同時に収穫される。日本一旨い蜜柑を喰ったハクビシンの肉は当然のことながら旨いのである。
 
 それから鹿による食害が云われて久しい。蜜柑農家にならって〝やられたら、やり返せ〟こいつらはご先祖様も代々食ってきた自然な食糧、ありがたい山の恵みだと思おう。角や皮も使い道が有るぞ。国民車軽トラを駆って、さあっハンティングに出掛けよう。
 
 この元気の出る良書を多くの人に読んでほしい。
 
 
 
 
 
 
夢食い魚のブルー・グッドバイ  玉岡かおる 
                        新潮文庫 19920525
 
 
今頃になって「夢食い魚のブルー・グッドバイ」の感想文を書くことになるとは、1989年に本書が神戸文学賞を受けた時には夢にも思いませんでした。
当時の印象としてはタイトルがどことなく軽薄だし、あまり興味の湧かない恋愛ものだと聞いたので、かなり話題になっていたこの小説をついに読まず仕舞いでした。
ところが最近、「銀のみち一条」を偶然読んで感銘。続けて読んだ「お家さん」も良かったので玉岡氏の作品に興味を持ち、そこで初めて「ブルー・・・」が玉岡氏の作品であることを知ったのだから我ながら迂闊な男である。とにかく古本屋に走ると有りましたので即座に購入し、即日読了させていただきました。
 
作品の舞台は播州平野で若い頃の私の生活圏とも重なる。作者と私とは極めて近い世代でもあるので、もしかしたら、どこかで(何度も)すれ違っていたかもしれない。
三木の金物、小野の算盤、北の西脇は「我こそは日本のへそ(中心)なり」と叫ぶ。播磨は特色のある地方都市が共存する地域でもある。
 
呉服屋の娘、ヒロインの桜子は神戸電鉄粟生線を使って神戸の大学へ通っているが、たまにボーイフレンドである包丁工場の息子ヤマトの日産スカイラインと思しき車に乗せられる。道すがらのため池でのヤマトの釣りは、これが彼の一生の趣味となるのか一時の通過点として終わるのか作品では不明であるが、広大な平野のあちこちに点在するため池は、この地の人々にとっては動かし難く、そして美しい原風景なのである。
これは外来魚のブラックバスをダシにして、平凡で不器用で真面目な男女の淡い、恋とも言えない関係が徐々に進展していくどこにでもある話なのだが、それだけに誰にとっても切なくて悲しい。
 
一つだけ作中で気になること。
ペットショップで「これはタダです」と落書きされ商品価値の無くなった水槽を無料で頂いてますが、これはガラスにマジックインキで書かれたものなので、私ならそんなものシンナーで一瞬にして消してしまいますが、店主は何故そうしなかった?
今更言うな~・・・でありますが。玉岡氏はご近所にお住まいなので機会があればそのあたり聞きたいと思います。
ドラマの「お家さん」も良かったですよ。
 
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リヴァイアサン 三部作 
       スコット・ウエスターフェルド著 小林美幸訳 
                早川書房 20121205
 
 
青年時代以降、久しぶりに読んだハヤカワ銀背のSFポケットブック。
 
「リヴァイアサン」は410ページで、続編の「ベヒモス」「ゴリアテ」まで読了するのは大変なように思うが、熱中するとあっという間である。
 
19世紀あたりを舞台にした西部劇などで、蒸気機関の巨大なロボットが登場するような作品分野を〝スチーム・パンクSF〟と呼ぶらしい。
確かに本作にはその手の乗り物、兵器がふんだんに登場するものの、これをスチーム・パンクと断定するのは半分間違っている。
なんせ敵対する勢力が繰り出すのは遺伝子操作によって造られた奇妙な怪獣ばかりなのであるから。
 
時はズバリ100年前の1914年、まさに第一次世界大戦勃発の瞬間。
連合国と枢軸側との対立は史実のままだが、連合国はDNA操作によって生み出された人造獣を駆使する「ダーウィニスト」という勢力。
ダーウィンがDNAを発見しそれを利用したという世界らしい・・・?。
かたや枢軸側は機械力を大いに発展させ、八本足の〝戦艦〟を陸上に疾駆させる「クランカー」という勢力。
 
メーンの登場人物は暗殺されたオーストリア大公の遺児アレックと、空を飛びたい一心から男に変装してイギリス海軍航空隊に入った少女デリンだ。
ドラマ解説の手法をとれば、これはそんな世界を舞台にしての少年、少女の成長物語、ということになるか。まあ、それっぽい雰囲気だが、主役はやはり人造獣だろう。
 
〝リヴァイアサン〟Leviathanとは英海軍航空隊が保有する巨大飛行獣。クジラが自分で水素ガスを発生させて空を飛んでいると考えればかなり近い。体内には通路が走り、駆逐鷹や鉄の矢じりを吹きだすコウモリのような奇獣を飼っているが、この飛行獣たちとクランカー軍の飛行船や戦闘機との対決は見ものである。
 ベヒモス、ゴリアテと読み進むうちにリヴァイアサンはイスタンブール、東京を経由し、電磁兵器ゴリアテが密かに建造されているというニューヨークへ向かう。世界一周モノでもあったのか。
 特に興味深いのが東京の様子。日本人たちは人造獣と機械力を巧みに混在させて利用し、どこか和洋折衷という言葉を思い出させる。
 
 続々と登場する生物兵器や機械兵器、その奇想天外さは読んでのお楽しみ。挿絵のおどろおどしさも素敵だ。
 
最後に、怪しい設定を疑わないのがSFを楽しむコツである(爆笑)
 
 
 
 
初恋ご免なさい 
 
 あの頃の私の異性に対する興味は他の男子同様大きかったが、不思議なことに、同級生や、また下の学年の女生徒たちとその興味とが結び付かなかった。初体験はちょっと年上の綺麗なお姉さんとかがいいな、と思っていて、その関心が例えばNさんとか、ましてやMさんとかには、まったく向かなかったのである。もしそんな女の子とお付き合いするとすれば、絶対に清い仲で、一線を越えることがあれば相手に対して一生責任を持つのが常識だと考えていた。しかし一生責任だなんて、中学生にはとても重過ぎる、絶対ムリ無理。
私は真面目過ぎたのだろうか。もう少し周囲の女の子たちを別な視線で眺めていれば、違う人生を歩めたのかもしれない。
もんもんを続けるだけで時は勝手に過ぎて行き、もうすぐ卒業が近付いていた。私はすでに都会の就職先を決めていた。
そして私はあの雪道でのMさんの行動に応えるべく、何とかして文通の約束ぐらいはしておきたいと思い始めていた。
だが、またもやロクでもない事件に見舞われてしまった。
あと三日で卒業式という放課後だった。
私は自他ともに認める真面目な少年で、それまでの義務教育の期間に掃除をサボったことが無い。だが卒業を控えて気が緩んでいたのか、それとも魔が差したのか、親友のS君と掃除をサボり、学校の裏山で遊んでいるところを別の男子生徒に見付かって先生に告げ口をされてしまったのである。
二人は呼び出され、職員室の前から二階の図書室へと上がる階段の踊り場に立たされた。
「市川は進学か?」
学年担任の先生にそう聞かれた。
「就職です」
 その瞬間だった。
「お前なんか、就職したって世の中の何の役にも立たへんわ!」
と、一発ビンタが飛んできた。その刹那の先生の言葉と弱者をいたぶる愉悦に満ちた瞳の煌めきはいまだに忘れない。
 でもそんなことなんかどうでもいい。自業自得なのだから、忘れないが赦してやろう。問題はその後に起ったことなのだ。
 1時間ばかり踊り場に放っておかれることになって、誰かが通りかかるたびに恥ずかしくてたまらなかったが、もっとも恐れていたことが起ってしまったのである。
 Mさん仲良しのY嬢が偶然通りかかったのだ。
 彼女は私の顔を見付けるとニタッと笑い、教室へと足早に去って行った。
 これはまずい事になると予感した。
 しばらくすると案の定MHさんがやって来て、私が立たされているのを確かめるように見ながら、職員室へ入って行った。職員室への入口はもう1箇所あって、教室に近いそちらの入口を使えば私たちは見られることがない。わざわざ遠回りしたということは、Y嬢に「市川さん立たされてるよ」と告げられて、彼女は「そんなの嘘だっ」と叫んで確かめに来たのに違いなかった。
 穴があったら入りたい、とはこのことである。
 雪道での仕打ちにも拘わらず、Mさんがまだ私のことを諦めていなかったことがこの一件で判明したが、もうこれで完全に見捨てられてしまっただろう。
私は家に帰ると毎晩泣いた。
 そしてついに卒業式の日が来てしまった。卒業証書を受け取る私の背中をMさんが見ていることを意識するともうカチカチになってしまって何が起こっているのか分からなくなっていた。でも式次第はどんどん進んで行く。
何が「仰げば貴し我が師の恩」だ。
もう私は「師」というもの見失ってしまった。これから誰を、何を、信じて生きて行けばいいのだろうか。
 
 
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郷里から逃げ出すように旅立った日のことをよく憶えている。
Mさんとは何の語らいも無いまま校庭に待つ集団就職のバスに飛び乗っていた。出し尽くしたのか涙なんか出ない。
まだ早過ぎるというのに桜吹雪が舞っていた。
見送りは誰も居なかった。
いや、誰を見送りに来ていたのか、二人だけ同級生の女子が居た。後年その一人と話す機会があったが、桜は咲いていなかったと言う。そしてもう一人は亡くなっていた。気になって同級生の何人かに確かめたのだが、その時期に校庭の桜はまだ咲かないと言われた。私が見た桜吹雪はなんだったのだろうか。
 
その日の内に私はK製鋼の下請け会社の芦屋市にある社員寮に放り込まれていたが、先輩と同じ部屋の壁はヌードのピンナップとかで一杯で、先輩の知能程度とかが知れた。 
この会社に同級生二人と就職した。一人はUという元相撲部員の頑丈そうな奴で、別の部屋に入った。もう一人はT君だったが、彼は体の具合が悪いということで、一週間も遅れて芦屋に来て、私と同じピンナップ部屋に入った。
しかしT君は翌日出勤しようとしなかった。
その日仕事に疲れて帰ってきた私が部屋の戸を開けると、すっかり暗くなった部屋の中にT君がジッと寝転がっていた。
「真っ暗にして、何しとんや?」
 と私が声をかけると、彼はガバリと起き上がり、
「俺、ホームシックになっちゃった」と泣くように言う。
 あぁ、済まないT君、君の気持は痛いほどわかる。でもこれが現実なんだ。泣きたいのはこっちだって同じなんだ! 
T君は私より真面目な少年で、歴史のことなら誰もが聞きに行くほどその方面の知識が深かった。彼がこんな場所に不似合なことは私にもよく分かっていた。でも僕たちはここで生き抜くしかないのだ。
しかし彼は翌日荷物をまとめて郷里に帰った。
 
同期の中卒入社は何十人いたろうか。都会というか、地元の同僚たちは嫌な連中だった。何かにつけて私たち田舎者を馬鹿にして苛めにかかってくるので、私たちは出身地ごとに固まって庇い合った。すると今度は地元の者同士で苛めを始める。しかし私のように腑抜けた男でも、弱いもの苛めだけは許せない。ある時目に余る出来事があって、一人で止めに入ったことがある。
苛めの中心人物は言った。
「おいっ市川、ええかっこ言いやがって、仕事終わったら門の外で待っとれ!」
 馬鹿な私はその日、門の外で待っていたが、相手は来なかった。弱いものを苛め、強気に出る相手は避けて平然としている。同じ歳の子供とはいえ、良心というものが無いのか。こいつら罰でも当たれと思った。
こんな世界からの這い上がりを目指すのが生きる目的となった。
生きる目的!
もう一つある。いつか胸を張ってMさんを迎えに行く。ひょっとしたら見放されてしまったかもしれない。でも私としては彼女の好意を絶対に無視はできないし、唯一の心の支えにさへしていた。
同僚の中には定時制高校に入り人生のステップアップを図る者もいる。しかし学校が嫌いになっていた私は学歴無しで生き抜くことを一人誓っていた。その後都会から遠ざかるようにして転勤と転職を繰り返し、二十歳を過ぎた頃に地方の工場だったが、大手の弱電メーカーに入社することが出来た。
安定した仕事と将来を得た私の次の目標は「身を固める」ことだった。真っ先に思い浮かんだのはもちろんMHさんである。必死で探すと弟さんの住所が判った。そして彼からお姉さんの住所を教えてもらった。
Hさんは関東地方の機械メーカーの社員寮に住んでいた。かなり遠いが、まだ独身であることに間違いはなかった。手紙に結婚前提のお付き合いをしたいとの旨を書いて送ってみた。
 電話もかけてみた。直接ではないが、思えば初めての会話である。しかしお答えは愕然とするものだった。
「ご免なさい・・・こちらで婚約者が居ます。もう子供の頃のことは忘れて下さい・・・」
 よく考えれば、あんな美人を周囲が放っておくはずがない。中学卒業以来の空白が悔やまれた。私は彼女の幸福を願いながら一人泣いた。
 その後だったろうか、同級生で初恋のNさんが意外なほど近くの商店で働いていることを知って思い切って訪ねてみた。しかし、こちらも寿退社したとのことだった。
 この時点で早くも人生が終わったような気がした。それでも死ぬ度胸が無ければ生きていくしかない。
 
 成り行きに流されているような生き方だったが、運良く気立てのいい妻を娶り、人並みの家庭を持って無病息災のまま何十年も過ぎてしまった。
もう還暦である。偶然のことからM(ではないが)さんの消息が知れて、懐かしさのあまりに電話をかけてしまった。
「中学校で一年上だった市川です」
「はぁ?」
「あなたの初恋の市川ですよ」
「えっ! えー!」
と、彼女は絶句してしまった。
初恋の人だと自称したのは冗談だったが、それを否定も肯定もしないMさんの優しさにつけ込んで電話やメールで心ゆくまで話をすることが出来た。私には人生最高の幸せな時間だったが、相手にとっては迷惑千万だったろうと反省している。
苦い体験の話は避けながら故郷のことや先生方のこととか話したが、うっかりY嬢さんの名前が出た時、彼女の口調が変化した。
「もう、昔のことなんか、綺麗さっぱり忘れて下さい」
職員室の前に立たされたとき、私は一人だけ大恥をかいたと思い込んでいたが、あれは彼女にとっても恥ずかしい事だったのだとこの歳になってやっと気付いた。本当にご免なさい。
関東地方に住むMさんは3.11以降の気苦労が絶えないようで、若い頃に彼女とコンタクトを取った時、私は分別かなぐり捨てて新幹線に飛び乗り、婚約済みのMさんをかっさらいに行くべきだったのではないかと今更ながらに思う。しかし失われた時は帰らず。よくよく縁が無かったのだろう。
 
私は中学校の同窓会からは永らく行方不明状態だったが、この歳になって初めて同窓会に参加させてもらった。
涙が出そうな初恋のNさんとの再会。ずっと地元で暮らしてきた彼女は同窓会でも中心的人物だが、中学時代の慎み深さをどこかに投げ捨ててきた私が堪らず口説いてしまったほど相変わらず美しくて、私だけではなく、他の酔った男子どもにも肘鉄を喰らわすのに忙しい。この人のご主人は気苦労が絶えないのではないかと余計な心配をしてしまうが、私の口説きには乗りませんでしたのでご安心を。まあ、半世紀越しながら、コクることが出来ただけでHappy! いつ死んでもいい。
 
 よくよく考えてみれば、生涯で、いわゆる心臓を鷲づかみにされるような、本気で好きになった女性はMさんとNさんだけだったのではないか。
 ところが同級生たちとの小じんまりとした忘年会に参加させてもらった時のこと。
会場近くで「きゃーっ、この人誰!」と懐かしそうに私の腕を掴んできた女性がいた。
中二の事件以来口を利いたことの無いT子だった。
「こないだ緑内障の手術をしてね、足元が見えにくいの。連れてって」
T子はこの歳にもかかわらず可愛らしい。こんなオッサンで良ければと私は喜んで腕を貸してエスコートした。
過去の事件を知るY君は五十代の頃に工場の事故で亡くなって、二人の関係を知らぬ同級生たちは怪訝な顔をしている。
T子はよく偶然にも出会わなかったものだと思うぐらいの近所で暮らしていて、ご亭主のことを「私のダーリンが・・・私のダーリンが・・・」と呼んで情の深いところを見せる。呑みながら世間話をしている内に、ふと何かを思い出したように、
「私、市川君のこと、全然憶えてない」と言い出す。でも私の背中は二つのハンコのことを今でもハッキリと憶えている。健忘症を装うのは女の傷の深さなのか。
「僕が悪かった。ずっと心の重荷になっていました。ご免なさい」と私は思わず土下座をしていた。その瞬間、彼女の目から光るものが落ちて、私は心臓を何ものかにぎゅっと鷲づかみにされたように感じた・・・。
 
    おしまい。・・・かな? もし人生をやり直すことが出来るなら、三度やり直したい。贅沢だろうか。
 
    FINE  
これはあくまでもフィクションです
 
 
                  
 
初恋ご免なさい  上
                           市川 竜
 
それは小学校三年生の下校時のことだった。
 登下校時には必ず同じクラスになったN.Eさんの家の前を通るのだが、その日彼女は体の調子が悪いとかで学校を休んでいて、どういう偶然だったのか、私は玄関から出て来たNさんと鉢合わせになってしまった。おそらく病欠の身で外に出ていることを見られてまずいと思ったのか、学校では絶対に見ない白いワンピースの裾をパッと翻して家の中へ入ってしまった。
 私は「あっ」と叫んでいた。
 彼女は痩せ型で色が白くて可愛いくて、もしお嫁さんとか貰うのだったらこんな子がいいな、と幼いなりに思っていた私は、突然の出会いに思わず笑顔になっていたに違いない。それをどんな意味に取られたのか。しかし一瞬Nさんと話が出来ると思ったので、さっと雲隠れしてしまったことにがっかりした。
 でもその時のフランス人形のように美しいNさんの姿をいつまでも忘れることができなかった。
 こういうのを初恋と謂うのであろうか。
 学校での彼女はよく休みはするものの、勉強はよく出来て、馬鹿の私には近寄り難い存在だった。好きだけど、そんな想いは心に秘めたままで小学校、中学校と年は経って行ったが、彼女は眩しいほどに美しくなっていって、ますます手の届かない所に行ってしまうようだった。
 憧れはこんな身近にありても想うものなのか。
 
 そんな私が不思議なことに新しい恋をしてしまった。
 中学二年の放課後だった。
 本馬鹿で図書委員でもある私は、職員室の上にある図書室への階段を昇っていた。
 その時、図書室から本を抱えて出て来る一人の小柄な女の子とすれ違った。一年生の図書委員だとは知っていたが、真近でハッキリと見るのはこの時が初めてで、Nさんと同じように目鼻立ちが整っていて賢そうだった。そしてその白い膚を何故か紅潮させつつ恥ずかしげに俯いていたのが魅惑的で、私は心臓をギュッと鷲づかみにされたように感じた。
 あぁっ、どんな馬鹿でも分かる。これは紛れもなく恋だ! Eっちゃんご免なさい。
 私はそのまま図書の貸し出し室に入り、貸し出しノートを開いた。それは借りた本の書名と借りた人の名前を自分で書くものだったが、そこにはもちろん、今出て行った女の子の名前が書いてある。
 M.Hさんか・・・。
 とてもいい名だと思った。Mはどこか雅な苗字で、Hはひらがな。そんな名前まで素敵に見えて、私は余計に彼女のことを好きになってしまった。
Mさん、Hさん、MHさん、MH、MH・・・ふうっ、Hさま。一人だけになった時、私は何度も何度も彼女の名を口にしていた。
 
そんな一人想いに狂っていた二年生の冬、女子同級生との間でちょっとした事件が持ち上がった。
同じクラスのT子はさほどの美人ではなく、不細工でもなくて、可愛いといえば目がクリクリとして何となく可愛い部類に属するだろうか。しかし学業面では目立つ存在でもなく、あいつは馬鹿だと陰口する男子もいたりして、賢女嗜好の私も進んで近づきたいとは思わなかった。
事件は休憩時間に起こった。
私はダルマ型の石炭ストーブに右半身を向け、右手を伸ばして暖を取っていたのだが、その背後に近づく者がいた。
誰とかは気にせず振り向こうともしなかったのだが、ジワッと背中に丸いもの二つを相手から押し付けられていた。
私はそのままの姿勢で、そのゴム鞠のような感触の正体は何かと考えを巡らした。
柔らかくて気持ちがいい・・・これはもしや女の子の双丘・・・えっ、誰のだ。
そのままでいる所を見ると、わざとしているとしか思えないのだが、こちらは周囲から丸見えでいつまでも楽しんでいるわけにもいかず、そっと離れてから振り返ると、T子が黙って私を見つめていた。
嫌いな相手ならこの件は黙殺するか、そうでなければ二人だけで何らか?の内緒の話し合いをするとかの常識的な対応が有ったと思うが、私は本物の馬鹿だった。
つい仲の良かったY君にこの秘密を喋ってしまったのである。
黙っていてくれると思っていたY君は、聞いたその足でスタスタとT子の立つ場所へ行き、
「お前、市川が好きなんか?」
とストレートに聞いてしまったから堪らない。一瞬目を丸くしたT子は、たちまち真っ赤な顔になった。そして彼女はツカツカと私のそばへ来ると、
「うち、市川君なんか、大嫌いや!!」と喚いた。
 そのあとT子は自分の席にドタンと座り、机に突っ伏して泣き出してしまった。
 これはえらいことになったと感じた。
「おい、市川、どないするんや。T子泣いとうやんか」
とY君がほざく。それは大体お前がいらんこと言うからだろ!
「市川が好きなんやで。何とかせんか」
 何とかせんかと言われても・・・
混乱する私の脳裏をMHさんのことがよぎり、
「僕はT子のことなんか知らん!」と言っていた。
 しばらくして泣き止んだT子が立ち上がり、私のそばへ来た。
「なんよ! 市川君なんか! カナヅチやし、自転車もよう乗れへんし、運動神経ゼロやんか! 誰があんたなんか好きになるん!」
 確かに私はカナヅチで自転車にも乗れなかった。私は少し傷ついたが、教室を出て行くT子のケロッとした後ろ姿にチョッピリ安堵もした。
 
丁度そんな時期だったろうか、校舎を繋ぐ渡り廊下を通る時、向こうからMHさんがやって来た。向こうは二人連れで、一緒なのは同じ学年の仲良しY嬢である。
Hさんは俯き加減、私はドキドキですれ違おうとする直前、Y嬢の小声が聞こえた。
「市川さんやで」
Y嬢に小突かれたHさんはパッと真っ赤になっていた。
エーッ、Hさん、僕のことが好きだったんだあーあーあー。もう嬉しくて、嬉しくて、夢見心地とは、まさにこのことである。
となると、何とかして彼女とコンタクトを取りたいが、顔を合わす時はいつもY嬢や、もう一人の仲良しS嬢と一緒なのである。この三人は私と同じ地区から通っているので登下校も一緒のことが多く、シャイな私はHさんになかなか近付くことが出来なかった。
それまで成り行きだけでなっていた図書委員を三年生になったら性根入れてやろう、と珍しく生きる意欲みたいなのが湧いていたけど、いよいよ三年生になった時、意外な人が先に手を挙げてエッ・・・何で、と思った。
同じクラスになった初恋のNさんである。Nさんだって図書委員が私の指定席であることを知っているのだが、各委員を決めるというその日、彼女は私の傍に来ると、
「私、図書委員やりたいけど、いい?」
と尋ねた。とにかく私はこの人に弱くて頷かざるを得なかった。後でちらりと聞いた話では、副委員長とかの面倒な役から逃げるためだったとか。そりゃないよ、嘘だよね。
 このことはかなり応えて、私はすっかり元気を失って行った。何か暗雲のようなものに行く手を阻まれた感じで、勉学の意欲すら失せていくようであった。
 ああっHちゃん、どうしたらいいんだろう。
 学校から帰宅する時はMHさんの家の前を必ず通る。何とかお付き合いの糸口を掴めないかと思案しながら通る。Mさんには二つ下の弟が居る。地区の活動とかで一度ぐらいは話したことがある優しそうな少年だ。手紙を渡してもらえないかな、と思うが小学生を使うなんて道義的にどんなものか。
 
 ある下校時、MHさんの家に近付くと彼女のお母さんが家の前で立っていた。お母さんはとても綺麗な人で、私を見ると何故か首を横に振って、ため息をついたように感じた。
 もしや、娘が好きだという男の子を見ようと思って待っていたのだろか。
その時のお母さんのどことなく困惑した様子から「こりゃ駄目だ」と私は思った。中学生の分際で恋人を作るなんて早過ぎる。私が親ならそう思う。
学校でもある日、廊下を歩いているとMさんとS嬢が二人して立っていて、Mさんは例によって恥ずかしそうに俯き、S嬢は値踏みでもするような目付きで通り過ぎる私を見送った。
恐らくMHさんは親友のS嬢に三年生の人が好きだと告白し、S嬢がどんな奴だかこの目で確かめてやると言って見に来たのに違いない。
二年生のS嬢は三年生男子の間でも人気の美人で、算盤の全国大会にもよく出掛ける才媛だった。この計算速い人は私の事をどう判定したのだろうか。
 
もんもんと過ごすうちに夏は秋になって、もうすぐ高校受験というのに私の成績はどんどん下り、そんな私に何を感じたのか、Nさんが珍しく、
「一体どうしたの。ちゃんと勉強したら」と言ってくれた。こんな忠告をしてくれた女生徒は彼女だけだった。この人は私のことをどう思っているのだろうか。
 私の心は何かに引き裂かれるようで、益々もんもんとなるばかりで勉強どころではなかった。
 もういいや、進学は諦めて就職するか。そう決めると、気が軽くなった。
 町を支える産業は衰退気味で、就職するとなると町を離れざるを得ない。もうそれは恋も諦めるという決断に近かった。
 土台あんな可愛い子、僕には勿体無いし、付き合ったからといって、幸せにしてやる自信がまったく無いだろう。私は自分にそう言い聞かせた。
 
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 もう冬の下校時だった。空は晴れていたが、前日の雪が融けずに道路に残っていた。
 ある地区を抜けると、私の暮らす地区までの300メートルばかり人家の無い寂しい道を通らねばならない。300メートルの違いで手前の地区は徒歩通学で、私の地区は自転車通学が許可されていたのだが、前にも書いたように私は運動神経ゼロで、自転車に乗れず中学の三年間を歩いて通した。一部の男子の中には「市川って根性あるな」と尊敬の声を呈する者がいたが、それは勿論誤解で買い被りだ。ただこけるのが恐くて自転車に乗れなかっただけなのだ。
 その時、後ろから自転車が近付いてくる気配がした。
 追い越して行こうとしていたのはMHさんだった。
 声をかけるなら今が絶好のチャンスだ。いや、駄目だ、こんなところ誰かに見られたらどうしよう。それに何を言えばいいのだ。
 何かが頭の中でグルグル回っているような気分だった。そしてそのまま彼女が十メートルばかり先まで進んだ時、彼女の自転車は雪にハンドルを取られたようによろけ、そして倒れた。
 あっ、やった! 私は心の中で叫んだ。
 幸い本人は倒れずに着地していたが、自転車の荷台からはカバンが雪の上に投げ出されていた。
 常識ならここで私は「大丈夫ですか!」と叫びながら駆け寄り、彼女のカバンを拾うべきはずであろう。たとえ相手が好きな子で無くとも。
 しかし呆れたことに私は、そのままの歩度と無言のまま、自転車を起こしてカバンを拾う彼女へと近付いていく。
 まだ遅くはない、何とか言えー。
しかし何を言えばいいのだ。好きです、か。そうだ文通して下さいとか。いや、とにかく大丈夫ですか、だろ。そしてどう言う。好きです、文通して下さい。でもお前、彼女を幸せにする自信があるのか。馬鹿ヤロウ、そんなことこの際どうでもいいだろう。
 頭の中が真っ白になったまま彼女のそばに来ていた。すでにカバンを荷台に縛り直した彼女の横顔を見ると、怒っているように見える。
 ああーやっぱり駄目だ。
 Hさんは憮然とした表情で再び自転車に乗ると、今度はよろめくことなく雪道を去って行った。
 
 この事件はもちろん私にとって衝撃だったが、彼女にとってはどうだったろうか。私が彼女に対して好意を持っていないと思ったかもしれない。それでも全く無視するなんて酷い男ではないか。