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市川竜の文学ブログ

書き散らした私小説と読書感想文をアップしています。気長に読んで下さい。

 
読書感想文です
 
 ★ そして最後にヒトが残った   クライブ・フィンレイソン 上原直子訳 
白揚社 131120
 
 我々現生人類がなぜ我々より頑丈で脳容量の大きかったネアンデルタール人を差し置いて氷河期を生き残り、現在の地球上で繁栄しているのか。
 正確なところは判らない。しかしネアンデルタール人より我々の方が優れていたから生き残ったということではない、ということらしい。
 
“偶然”ネアンデルタール人は「不適切な時に不適切な場所にいた」のだと著者は言う。
 
そして“たまたま”我々は「適切な時に適切な適切な場所にいた」だけなのだそうである。
 
「運や偶然の重なりの上に人類史が成り立っている」というのがフィンレイソン博士の結論なのである。
 
身近なことを考えると「もしあの時あの場所に居たら今頃私は生きてはいなかった」と思い返す時がある。そして「俺よりいい奴が亡くなってしまった」ということはないだろうか。人類の歴史にもそれが当てはまるのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
読書記録
 
 ★ ジャンガダ   ジュール・ヴェルヌ著 安東次男訳 
交遊社
 
1852年6月、アマゾン川上流、ペルー領内の裕福な農園主ホアン・グラールは、愛娘の縁談を機に巨大な筏「ジャンガダ」を組み上げ、生まれてこの方一度も農園の周縁から出たことのない家族や多くの家僕、そして娘の婚約者と共にはるかベルンを目指して川下りを始めた。それはホアン自身の秘密の過去への旅でもあった。
 
 ヴェルヌは南米へは一度も行ったことが無いというが、なかなかどうして、見て来たように詳しく書かれた小説である。恐らく地底旅行や海底旅行、月への旅行などの物語よりも多くの空想力を必要としたのではなかろうか。しかも出鱈目ではすまされないという意味で、この作品の執筆は難しかったのではないか。
 
 そして恋あり愛あり冒険あり決闘あり、暗号の謎解きまでありの何でも御座れであるから、面白くて最後まで一気に読まざるを得ない。
 
 ヴェルヌの隠れた傑作の一つである。
 
 
 
 
★高樹のぶ子の「HOKKAI」
 
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 これは実在の凄い人の小説風伝記。
 私が日本画家の高島北海のことを知ったのは旅の途中で立ち寄った呉市の「蘭島閣美術館」でだった。
 
 
 
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 長州人高島得三のち北海と号した1850年生れのこの人物は、藩校明倫館で同期だった乃木稀典に倒幕運動に誘われたが「僕は絵を描き続けるだけだ」と言って絶交されてしまう。明治に入り生野鉱山に来て仏人技師ジャン・フランシスク・コワニエからフランス語と地質学と植物学を学び、スケッチブックを片時も離さず師に付き添って全国を回った。そして官命により渡欧、画家としても彼の地でエミール・ガレなどと親交を結んだ。
 
 退職後も世界中を旅して多くの風景画を遺したスケール壮大な人物である。
 
蘭島閣美術館で高樹のぶ子の「HOKKAI」を知り、帰ってからすぐに図書館で借りて読んだが、奇跡のような人生行路はもちろん、虚実取り混ぜての生野鉱山での思い出とかも面白い。
 
すでに絶版なので本屋には無く、そこでアマゾンの古本を検索するとちゃんと有ったので即買いしておいた。
 
 
 
 ★兵庫県の生野銀山を舞台にした玉岡かおるの長編ロマン「銀のみち一条」
 
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 主人公の雷太さんですか、そんなにモテる奴おらへんやろ、と思いながら一気読みしました。小説として楽しめるし、鉱山町として栄えた頃の生野の裏面もよく知ることが出来ます。
 図書館で借りて読んで、文庫本を買ってしまった。永久保存です。
 
 
         笑うマネキン (その3)
 
                               市川竜
 
 声を出すのをあきらめ、人声の絶えた闇でジッとしたまま耳をすましていると、列車の音が聞こえてきた。通勤電車や新幹線ではなく、貨物列車の重くて長々と続く音だ。普段なら眠っている時間だろうが、眠くはなかった。すると今度は微かであったが、壁の向うからコツコツと硬い足音が聞こえてくる。とうとうお迎えが来たのか。何を馬鹿な、簡単に希望を捨てたりするな。きっとスーパーの見回りがいるのだ。
 ドアの開くような音がして、頭上に光が見えた。彼は瞬間はっきりと思い出した。いま開いたあのドアは、自分が転落する直前に通り抜けたドアなのだ。
 成田は絶叫した。声の限りに。しかし口から出たのはゼエゼエという喘息のように苦しい吐息だけであった。そして光はすぐに消え、バタンとドアの閉まる音がした。何てことだと思った。あの見回りはここに成田が転落していることなど夢にも思わないのだ。しかもそのことは酔っ払いも素面も警察官も含めて、トタン板の向う側を歩く人々にとっても同様なのだ。わずか数メートル先を妻や近所の者たちが成田を捜して何度も通り過ぎたのかもしれない。その瞬間、誰にも知られず死んでいくという恐怖が激しい動悸を伴って成田に襲いかかってきたが、いや落ち着け、そうなる確率はまだまだ少ないのだと自らに必死になって言い聞かせようともした。
 やがて夜が明けると雑踏の騒音に包まれ、そしてまた日が暮れていく。その間成田は何度も叫ぶ動作を繰り返したが、トタン板を隔てたわずか十メートルの場所を通る人々にはついに届かなかった。背中の地面は生暖かいが、初秋の夜気が身体にしんしんと降りかかる。少しでも暖かい姿勢をとろうとして体を動かすとそこいら中が痛むので、じっとそのままでいなければならなかった。脳裏に妻のことや一人息子のこと、それから父母や友達などの思い出が次々に浮んでは消えた。店の開業資金は父の貯蓄と融資で調達したが、自分が死んでも生命保険に入っているので、最悪閉店したとしても融資の返済と妻子の生活には困らないだろう。妻は若くて美人だから再婚相手には不自由しまいと寂しく笑ったが、子供のことはやはり不憫であった。
 気になりながら何度考えても分らないのは微笑む女のことだった。スーパーで会ったことは確かなのだが、どこでだったのか定かに思い出せないのである。
 しかしあれは人間だったのだろうか…。
 彼は何やらこの世ならぬものの存在を感じて、戦慄した。
 またあの足音が聞こえてきた。硬くて重い靴だが、それは苦にならない…若い男だ。安全靴を履いたガードマンに違いない。体の自由を失った分だけ研ぎ澄まされた神経がそう教えていた。どこの誰かは知らない。しかし今俺をこの場から救うことができるのは彼だけなのだ、どうか頼むからドアを開けてこの場所を見てくれ、と成田は必死に祈った。だがその祈りもむなしく、今夜も希望とともに足音は冷たく遠ざかって行った。
 再び夜が明けたが、彼は叫ぼうとしなかった。その代わりに頭上の数十平方メートルの空を無心に眺めた。高い空の雲はゆっくりと流れ、低空の雲は足早に通り過ぎた。わずかな時間だが、雲は少しずつ形を変えていく。それは一定の形で居ることは瞬時でも嫌だという雲の意志によるものかもしれぬと思った。そのことを発見すると、念力でトタンをめくることが出来ないかというような考えが沸いてきた。他にすることは無く、無駄な努力だとは思わなかった。そこで神経をその一点に集中するという作業を数時間にわたって試みたが、奇跡は起らなかった。そうしてみると、元気に動いていてもさほど世の中に影響を与えなかった無力な人間など、身動き出来ぬ状態では何の力も発揮出来ないのだという当り前の事実に気付いた。だとすれば彼の存在がこの世のものでなくなったとしても、生きた人間に何らの力も行使し得ないのは明白だった。つまり死ぬということは、無力な人間としての能力すらすべて奪われる、どうしようも無い立場に突き落とされることなのである。その時初めて、死ぬことが無性に怖くなった。
 何度めかは分からなくなっていたが、夜が訪れていた。そして無情だが今夜もあの靴音が成田の耳元を訪れていた。歩調から前とは違う男だと気付いた。神様仏様もう一度だけチャンスを与えてくれ、どうか男が気紛れを起こしてあのドアを開け、ここを見下ろすように仕向けてくれ…ああ、お願いします。願いが叶えばどんなことでも致します…。
 しかし奇跡は起らぬまま足音は去り、そして貨物列車の音がガタゴトと地面を伝わって来る。こんな場所が人生の終着駅になってしまったのかと悟ると、ただ一人暗闇で笑うしかなかった。
 
 台風二十号は近畿地方を直撃するコースに乗り、雨と風は夜半に入って強まった。
「××工機稲美工場、異常発報です。急行願います」
 異常発報とは、契約先の警報装置が作動することである。「了解」と大寺に答えながら、すでに田中はうんざりしていた。今夜の異常発報はこれで三度目である。今までの二度ともドアや窓が強風で開いていただけであった。
 田中は何かを毒づきながら豪雨と強風吹き荒れる播磨丘陵をひたすら疾走した。街灯などほとんど無い田園地帯である。ヘッドライトの光は黒い路面に吸い込まれ、路側を夏の間に伸びきった草が波濤のように叩いた。それはまだしも、凹凸の激しい台地は所々冠水し、その中を船のように本物の波を立てて走らねばならない時まであった。水のまわったファンベルトがかすれた悲鳴を上げて空転し、ダイナモが停止した瞬間ヘッドライトが暗くなる。ここでエンストしてなるものかと、がむしゃらにアクセルを踏み込んで水溜まりを抜けたとたんヘッドライトの光量は日の出のように回復する。こんなやわなファミリーセダンで嵐の深夜の極限ラリーに参加するとは、平素の退屈の埋め合わせには度が過ぎると思った。
 仕事柄傘など持たない。門扉の錠をはずしたためズブ濡れになった体で旋盤の並ぶ工場に入ってみると、異常発報の原因はやはり無施錠の窓であった。窓は高い位置にある。普段なら誰も気にしない場所である。強風は田中を翻弄するために重い鉄枠の窓をじわじわと押し広げていたのだ。彼は何度も舌打ちしながら手近な作業台を移動させ、その上に箒を持って登った。
 電話連絡のあと工場を離れる時、最悪の事態に見舞われた。出入口道路で溢れた水に隠れていた側溝に前輪を落としたのである。
「日本アラーム九十四、こちら姫路四」
「姫路四、どうぞ」
「××工機前にて脱輪し、一人では脱出できません。応援を頼みます」
「了解」
 続いて大寺が鈴木を呼び出すと、彼は近くに居るのか、すぐ行くと言う答えが傍受できた。風は弱まっていたが、まだ雨はやまない。しばらくして到着した鈴木は傘をさして田中の車に歩み寄ってきた。雨傘常備とは要領のいい男だと田中は思った。田中が前を持ち上げ、鈴木がバックでアクセルを踏むと、車は軽々と路上に戻った。
「田中警務士、僕の生れ故郷では、弁当忘れても傘忘れるな、て言うんや。悪く思わんでな」
 兵庫県北部出身の鈴木は、下着まで濡れ込んだ田中にそう言って立ち去った。
 田中は待機場所である丘の上のデポ車まで戻った。だが、そのデポ車から降りて来た大寺を見て彼は驚き、ついで雨に打たれていることも忘れてゲラゲラと笑い出してしまった。大寺は裸の体にデポ車のカーテンをサリーのように巻き付けていたのだ。
「わしも助けに行こ思うてアンテナ下ろしよったら、ビショ濡れになってもうてな、風邪ひく思うて、これ巻いとんや。もう一枚有るで田中もどないや」
「いっ、いや、僕は結構です」
 と田中は応えた。彼はそんな無様な格好ができるほど豪傑ではなかった。田中は自分の巡回車の中でヒーターの熱量を最大にして夜明けを待った。
 
 台風は死者三十九人、行方不明者十六人の被害を関西地方に残して日本海に去った。一夜明けたA市の上空には、きれいさっぱりした、どこまでも青い秋の空がひろがっていた。
 午前九時、スーパー西A店の表では洋装品の露天商が商品を並べ始めていた。冷たく透きとおった空気の中を近くの乳製品工場からバターの香りが漂ってくる。その日人々は台風の後始末に忙しかったのか、日曜日にもかかわらず客足は少ない。
 昼を過ぎ、ようやく気になり始めた暑さの中で、露天商は異様な腐臭を嗅いでいた。鼻をうごめかせると、臭いは背後のトタン板の隙間から漏れてくるようである。彼は夕べの台風でめくれかけていたトタンを引っ張って奥をのぞいた。
 直後からこの界隈は、上を下への大騒ぎに包まれた。
 田中はその日出勤して初めて、スーパーで死体が発見されたことを聞いた。それは六日前から行方不明になっていた近くの電器商のものであった。警察やスーパーからの要請で、田中は鈴木や佐伯という渉外担当の課長と共にスーパーへと出向いた。
「そのドアをロックしたような気がします、たぶん五日か六日ぐらい前のことでしょうかね…。よく憶えていませんが」
 例のドアを前にして、田中は憔悴しきったスーパーの若い店長や警官にその程度のことしか言いようがなかった。
 一階と二階の同じ位置のドアは商品棚などで塞がれている。つまり死体が発見された場所と店内を結ぶのは三階のこのドアしか無く、なぜこれが店内から簡単に開けられるようになっていたのか、店長はその責任を問われていたのだ。成田氏がテラスから落ちた場所は調度土が盛り上げられていて、それがクッションの役目をして即死を免れ、彼は転落後数時間、あるいは数日間生きていたらしいと警察は推測していた。
 ひょっとしたらだが、自分だけが成田を救うことができたのかもしれぬ、と田中は気づいていた。そしてあの夜の奇妙な感触はやはり…。
 そばに立つ鈴木に目を向けると、彼もやるせない表情をしている。田中が非番の時には、鈴木もここを巡回していたのだ。しかし二人はそんなことなどおくびにも出さなかった。 店長が去ったあと、佐伯課長が小声で田中と鈴木に念を押すようにして言った。
「いいか二人とも、君たちにも我が社にも、このことに関しては、まったく責任が無い。扉の向う側は契約外の場所だからな」
 確かに課長の言うとおりであったろう。田中はあの夜ドアをロックした時点で、その勤めを立派にまっとうしていたのである…と思い込もうとした。
 
 田中はその後の冬も近いある日、スーパー西A店を巡回していた。三階のドアの前は事件後すぐに商品棚を置いて塞がれていたが、田中はそこへ近づいた時、何ものかの気配を感じて立ち止まった。
 誰かが笑っている…。自分一人しかいないはずの店内で。
 夜勤を生業にしているものにとって、それ自体はよく感じる錯覚に過ぎない。彼が冷静に辺りを見渡すと、少し離れた場所に壁を背にして女のマネキン人形が立っているのを発見した。笑っているのは彼女なのだ。その前まで行った田中は、このセーターを着た人形が、あの夜ドアのそばに立っていたことを思い出していた。死体発見の日には無かったから、その事を気にも留めなかったのだ。
 人形の微笑の奥に侮蔑が含まれているような気がして田中は一人つぶやいた。
「なぜ僕を責める、お前は見ていたはずだ。あれは事故だったんだ」
 店長はすぐに左遷されたが、電器商を救えたかもしれぬガードマンの存在など、まったく事件の埒外である。田中は事件後、屋上から吹抜け部分の地上を見下ろし、そこに花の供えられているのを見たが、彼が心を痛めたのはその一時だけだった。それに成田という人物とは一面識もなく、同情以上の感慨が湧かなかったのも確かである。
 しかしいま薄闇の中のマネキンは、田中の酷薄を咎める冷笑を浮かべている。それに腹を立てた田中の頭に、唐突にある考えが閃いて口にしていた。
「そうか、分かったぞ。お前があの人をドアの向こう側に誘ったんだな」
 その瞬間、彼はマネキンの微笑みがハッと凍りつくのを見た。
 やはりそういうことなのか。田中は開放感にほくそ笑みながら、足音も高らかにその場を去って行った。
 あれから何十年も経った。世の中の趨勢はスーパー西A店をもはや大規模小売店舗とは呼べぬほどまでに格下げしていたが、店は駅前の好立地が幸いして今でもかなりの売り上げを維持している。しかしエレベーター設置の計画はこの小さなスーパーには贅沢過ぎるとして放棄され、成田が宙を舞った同じ空間は今では薬屋や学習塾になっている。そしてとっくの昔に転職した田中は、何かの用で電車に乗って西A駅を通過する時には必ずあのマネキン人形のことを思い出すのだった。
 
         完