市川竜の文学ブログ

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書き散らした私小説と読書感想文をアップしています。気長に読んで下さい。

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 作者の伊与原新(いよはら しん)氏は1972年生まれというから、私より20歳も若い。

 この作品は作者と同世代の高校同級生たちが揺れる40代後半を迎えた頃、高校最後の夏休みを空き缶による巨大タペストリー作りで協力しあった仲間たちが再び集い、小さな天文台作りに挑むストーリーだ。

 

 舞台は神奈川県の秦野市と具体的。

 

 仲間の一人は「45歳定年制」が持論だが、彼に説教されなくとも、誰もが人生の岐路あるいは隘路に立ちながら、天文台の適地を探して丹沢山地を走り回る。

 高校時代の空き缶タペストリーのネタがオオルリという渡り鳥だったが、偶然辿り着いた場所にオオルリの巣があったことから、天文台建設地はここに決定された。

 彼らを核にして、地主や他の同級生、やがては多くの市民を巻き込んでついに手作り天文台を完成させるという汗と涙の物語である。

 

星

 兵庫県内のとある町で生まれた私だが、両親は地元の者ではなく、父親はというと、なんと秦野の生れ。とはいうものの、遠方のゆえ親戚との音信はほぼ無し状態で、親爺はどんな所で生まれ育ったのかまったく知らずに生きていた。しかし興味はあったので、一度は行きたいと思っていた。

 そして父が他界して間もなくの1994年、勤続20年のステップアップ休暇を使い、半端ながら親孝行のつもりで母親を連れてルーツ探しの旅へと出発。

 父の生家は神奈川県中郡大根村・・・ここは現在秦野市に編入されている。

 秦野市役所に立ち寄り古い戸籍謄本を示し、この場所へはどうやって行くのかと尋ねた。

 この時「はたの」だと思い込んでいた秦野の読みが「はだの」だということを教えていただいた。ありがとうございました。

 

 東名高速を見おろす丘の上には××ハイツという名のアパートや××家の墓があった。

 

 私の山間の生れ故郷とは対照的な広々とした世界を見渡す。

 そうか、これが親爺の原風景なのか。

 

 親爺はここで関東大震災に遭遇。神戸で母親と結婚したが空襲で焼け出され、親爺が職を見つけるまでの一時期実家に世話になっていたようだが、よそ者の母親にはいい記憶ではなかったようだ。まっ、そんな複雑な視点もあります。

 旅の私もグラグラ揺れ動く40代。自分を壊さず生延びる方法を探っていたのだが、親たち世代の経験を知れば私の苦労など屁みたいなもの。

 

 人生など一瞬先は暗闇である。いつ、どんな災難に見舞われるかわからない。

 しかし忍耐や努力の末には穏やかな幸福が迎えてくれるかもしれない。

 

 伊与原新の「オオルリ流星群」も、そんなことを教えてくれるかも。

 

                        角川書店2022年2月18日初版

 

 

 

 京アニ事件の現場はまさに3密職場だった。

 テロに遭わなくてもコロナ騒ぎで仕事のやり方を大きく変更されていたに違いない。

 創造性溢れる人たちにもこんな事態は想定できなかったのか。

 夢の実現はリスクと隣り合わせだ。

 

 子供の頃から嫌な場所とか、嫌な奴らとかが居る。

 大勢が集まる所。

 大声で喚く奴。

 どちらも風邪をうつされるのである。

 

 都会でしか実現できない特別な夢を持たぬ者からすれば、大都市なんて嫌な場所でしかない。

 では田舎に棲んで電車で通勤するのがいいのか。しかし痴漢だ痴女だと満員電車も気が安まらぬ。で、知らぬ間に小田舎に住んでマイカー通勤。このJターン的生き方で、実際にかなりの災難を免れていた。

 

 果たして、都会に住む人たちにはコロナ禍を機にIターンJターンUターンを考える者たちが増えているとか。

 君子ならずとも危うきには近付かないことが生き延びる智慧だ。

 

 

 

 3密はケッコーとはいかんだろ。

 でも、この先ライブハウスや映画館のコスト計算はどうなる。

 鉄道や飛行機のような大量輸送機関の有り方も大きく変わらざるを得ない。

 そして誰も彼もが野心やキャリアも捨てる生き方を選べば明日の日本はどうなることやら、そっちの方も心配。

 コロナ後の世界(コロナ時代と呼ばれるか)が一体どんなものになるのか、まだ誰にも分らない。

 

 

 

 しかし良いことも有る。

 緊急事態解除で久し振りに図書館に入ったが、入口で名前と電話番号を書き、短時間で出るように言われた。

 中では椅子が撤去されていて、以前のように本など読みそうもない輩が居眠りしている胸糞の悪い情景が無くなり実に爽快です。

 また、美術館などでは入場制限がなされるそうで、名画をゆっくり鑑賞できるとか。以前は人の頭越しに見ているのが常態で、馬鹿の行進を見ているようだった。

 こんなことに関しては、当然あるべき世界で、是非とも永続を願いたいものである。

 

 先週10万円の給付金を頂きました。山口代表ありがとうございました。パッと使わせてもらいます。

 地獄の沙汰も金次第と申します。誰もが地獄の沙汰に備えて、いや、地獄の事態を防ぐために懸命に働いているのだと思います。皆さま本当にありがとうございます。

 

 今週ようやくアベノマスク到着しました。安倍さんの顔って大きいなと思ってましたが、小さいマスクだったのですね。

 

   See You

 

 

 

 

今14歳のあなたへ、あるいはかつて14歳で今まで無事に生き延びたすべての人に。

忘れるところだった、これから14歳になるあなたにもお勧めな一書。

 

石田衣良氏の講演会が有ったので参加させていただいた。

今回の講演は録画、録音禁止が建前で、氏も言いたい放題、時に際どい発言もあった。ま、それは内緒として、氏は私より若い人だが、実際の氏をそれ以上に若く感じたのは、小説家としての探求心ゆえか。

若者、というか人々の読書離れが甚だしい。同じ会場では日を替えて何人かの講演をお聞きしたが、「本屋へ行こう、本を買って読もう」と石田衣良氏を含む複数の人が話していた。

トップバッターのF先生なんかは、小学校の英語教育なんか時間の無駄なのでやめて国語に力を入れよ古典を読ませろとかと、いつものF節全開であった。

 

 

さて、講演会のあとサイン会が有るとか。「池袋・・・」の印象が強くて関西人の私からは遠い存在と思い込んでいて、実は氏の作品を一度も読んだことが無く、サインをいただく本はどことなく気になった2003年直木賞受賞の「4TEEN」をその場で買った(文庫本で安いし)。

 

私と同じく、子供のころから読書好きの氏はSFも好きだったとか。

「4TEEN」を読むと、本当に少年が空を飛んでしまったり、病院を抜け出した末期のガン患者と少年たちが交流したりと科学的ではないが、どこかSF的で、経済的にも体力的にも不均質な4人の組合せもファンタジーだ。

でもそこが小説。色んな個性と家庭事情を持つ中学二年生の4人の交友生活を描き、恋あり冒険あり、時にイライラドキドキの各場面には私も通り過ぎて来た中二から中三の時期が思い出されて涙が滲み出す。

 

                    星

 

休み時間にウダウダと言い合うだけでサイクリングに出掛けるほど親密ではなかったが、私にも4TEENらしき仲間がいた。

お父上が私の小学校の時の担任だったT君。町工場の息子で秀才肌のY君。前記のジェントル二人とは違ってやたら口の悪いS君。そして本を読むしか能の無い私。こんな取り合わせの仲良しもちょっとファンタジーじみているが、この切れ者三人が私のようなただの本馬鹿と付き合ってくれたのはどうしてだったのか。

しかし軽い交流のせいか、中学卒業と同時に3人との音信はプッツリ途切れる。

S君と私は集団就職先へと散り、T君Y君はそれぞれの道に相応しい私立高校、そして大学へと進学したらしい。

 

45年も経っての同窓会で知ったこと。

ドイツ留学の後、父親の町工場を継いだY君は特殊なポンプの特許を得るなどしてやがて何百人も雇う大きな会社を築き上げ、S君は名古屋でメディア関連の会社を立ち上げて、何てことか、Y君と一二を争う同級生の出世頭となっていたが、その複雑なサクセスストーリーは何度聞いても理解できなかった。

  もっと意外だったのは、いずれ校長とかでリタイアすると誰もが信じていたT君のことだ。

私のような退屈な人間と辛抱強く付き合ってくれた彼はきっと子供たちからも慕われる立派な教師になったに違いない。だがあるとき教職を投げ打ち、色々彷徨った末に今は故郷の町から委託された小さな観光案内所兼カフェを経営しているとか。しかし人徳あって、陰の町長のような存在感を放っているのは確か。

 

三人の人生が物語性に溢れているのに反し、私だけは14の時のまま読書に明け暮れつつ、無事に生き延びてきたことしか自慢することがない。頭の中身は永遠の14のまま進歩していないのではあるまいか、とふと思う時が有るが、考えようによっては、これも一つの奇跡的ストーリーかもアセアセ

 

そういえば、あの三人も含めて、45年ぶりに会った同級生たちの私を見た時の幽霊を見付けたような驚きようときたら・・・しかも口を利いたことの無い女の子(バアサンだが)までもが「ワァー」と言いながら体を触りに来るとは!

・・・あのー、僕はお祭りの見世物ではないのですが。

 

・・・どうやら、本だけ読んでボンヤリしていたパッと見生存能力皆無だった少年が、半世紀もの世間の荒波や風雪に耐えて、還暦過ぎて皆と対等に相見えているのが不思議ということらしい。

 

この文章を打ち込んでいてようやく腑に落ちた。かつての3TEENSが私と親しくしてくれたのは、受験勉強や何やらに疲れた時に、ああっここに将来のことなど何にも考えない呑気な奴が居る、ちょっと息抜きに相手をしてみるか、ぐらいの気持ちだったのかもしれない。

・・・ちょっとは癒しだか何だかの役に立ったようで、まあいいか。

 

 

 

 
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デンマークの女流作家カーレン・ブリクセン(karen Blixen)は1885年に裕福な荘園領主ディーネセン家に生まれ、1914年に遠縁であるスウェーデンの男爵ブローア・ブリクセンと結婚しケニアでコーヒー農園の経営を始めたが、男爵から梅毒をうつされてやがて離婚。その後も独力で農園経営を続けたが順調に行かず、ついに破産して帰国したのは1931年のことだった。
 
アフリカで書き溜めた作品を世に出したのは1934年で、英語で書かれた「七つのゴシック物語」をイサク・ディーネセン(IsakDinesen)という男性名でアメリカで出版。これがベストセラーとなり、彼女自身によってデンマーク語に翻訳されたものは、カーレン・ブリクセンの名で出版された。
他にもペンネームが有るというが、その後彼女の作品は英語版ではイサク・ディーネセン、デンマーク語版はカーレン・ブリクセンの名で出すようになった。
なぜ男の名で本を出したのか? これからして不思議だが、当時の風潮としては女性の書いた作品はあまり買われなかったということらしい。男の名前で出してベストセラーとなり、作者が女性と知れて尚売れたというから不思議なのは世の中の方である。
著作で日本語に翻訳されたものには、同じ作品でありながら英語版から翻訳されたもの、デンマーク語から翻訳されたものが併存して、当然作者名も違うので要注意。
 
自伝的な作品「アフリカの日々」を出したのは1937年だが、これが1985年のアメリカ映画「愛と哀しみの果て」(Out of Africa)の原作である。
その一場面。主演メリル・ストリープと後席ロバート・レッドフォード。
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私もそうだが、多くの人が彼女(彼?)を知ったのはこの映画によってではあるまいか。また1987年の「バベットの晩餐会」も傑作なので、DVDを借りてご覧下さい。
映画の「愛と哀しみの果て」だけを見れば、ムチでライオンを追い払ったりして、どこまでホンマヤネンと思うぐらい女性としては骨太で波乱の半生であるが、「バベットの晩餐会」ではこちらのほっぺたまで落ちてしまいそうな料理描写に舌を巻く。
 
こんな酸いも辛いも弁えた彼女の精神面の奥深さをもっと知りたければ、やはり本を読まねばならないと思うが、図書館には彼女の本があまり多くないのが実情。
イサク・ディーネセン名の短篇集工藤政司訳「不滅の物語」の表題作は港に着いた船乗りが老いた富豪からもちかけられる儲け話をネタにそれを実現すべく本物の富豪が動く物語。決してハッピーエンドではないのだが、潮騒のメロディー(高田みづえじゃないけど)で終わるのはなんだろうか。その他の短編には残酷な内容もあって、デンマークの大地を舞台にして、地主と領民との葛藤が語られるものには地主階級としての作者の良心が痛いほどに察せられる。
晩年の作品とされる桝田啓介訳の「草原に落ちる影」は「アフリカの日々」の裏話のようだが、作者のケニアへの思い入れの深さと、いくら尽くしても変わらぬアフリカの闇への絶望も感じた。
最もお勧めなのがナチドイツ占領下に書かれたという横山貞子訳「冬の物語」。北欧の自然や風物を取り入れたものや、船乗りのファンタジーも含まれて飽きることが無い。
 
彼女の作品のキーワードは貴族、農民、恋人たち、若い夫婦、裏切り、貧困、船旅、遭難その他と幅が広いのは国際的な北欧故か、やはり世界を股に掛けた彼女故か。彼女自身が不滅の物語であるのは確か。
 
 
 
 
 
三島由紀夫の「美しい星」が映画化されるそうである。個人的には文庫本として刊行された三島の作品はすべて読んだと思う・・・のだが、天然ボケの記憶に珍しくも残っているのが、「雨のなかの噴水」とこの「美しい星」なのである。
 
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「美しい星」はそれぞれが空飛ぶ円盤を目撃して、地球人を善導するため火星や金星などから来たと気付いた四人家族の物語。
あっ、こんな人たち居る居る、とか、自分もこんなこと考えたことある、とか。どことなく身近に感じるような妄想話なのだが、そこへ地球人を滅ぼすために白鳥座から来たと考える男たちが現れるからさあ大変。
双方による狂気スレスレの理路整然たるディスカッションは三島の真骨頂だ。
 
昭和30年代の埼玉県を中心にして金沢や仙台への旅も楽しく、新潮文庫239ページにちょっと茶目っ気あり。
 
「美しい星」を解説する人の中には、「勘違い家族の暴走」などと評している方もいるが、これが勘違いで終わらないところが、この小説が「SF」とされるゆえんなのである。
 

新潮文庫の短編集「真夏の死」に収録されている「雨のなかの噴水」は少年少女の愛の行き違いを描いて、これまた三島の存在をすごく身近に感じさせた掌編だ。