市川竜の文学ブログ -2ページ目

市川竜の文学ブログ

書き散らした私小説と読書感想文をアップしています。気長に読んで下さい。

 
 
イメージ 1
 
 
 
 ★おばあさん★ ボジェナ・ニェムツォヴァー著
        栗栖継(くりすけい)訳
          岩波文庫 初版は1971年
 
1964年の東京オリンピックに出場し、一躍有名となったチェコスロバキア体操女子選手のベラ・チャスラフスカがこの夏亡くなった。子供だった私も彼女の競技を白黒テレビで食い入るように見たものだが、当時はチェコスロバキアについてはベールに包まれた共産圏の国という程度の知識しかなかった。少ししてカフカだとか、チャペックとかの名を知っても、1968年の「プラハの春」まで、かの国の首都がどこなのか知らなかった。
 
この遠い国チェコ・スロバキアが国家として存在したのは1918年からであるが、1992年に連邦制を解消し、チェコとスロバキアという二つの国となって平和に共存している。しかし第二次世界大戦時にはドイツに占領されたり、戦後社会主義国となってもプラハの春の動乱など、その歴史は紆余曲折に富んでいる。
 
文学の話をしよう。カフカ(プラハ出身1883~1924)もチャペック(ボヘミア出身1890~1938)も一応チェコの人である。この豊かなチェコ文学の源流はどこかと探してみると、オーストリアの領土であった頃の女性作家ボジェナ・ニェムツォヴァー(1820~1862)に突き当たった。チャスラフスカでも舌が回らぬのにニェムツォヴァーか。こうやって打ち込むのすら困難なお名前ばかりである。
 
代表作の「おばあさん」のモデルは彼女自身の祖母だ。
おばあさんはポケットの中からお土産を取り出して孫たちを喜ばせ、節約の精神、公平、信仰と祭礼の大切さ、それから他者の信仰への寛容をさりげなく語る。
小説は18章まであって、各章にメインのエピソードがあり、そこにチェコの風俗、風習、自然、災害、伝説、民話、諺を随所にからめて百科全書の趣きだ。また、娘を見れば口説き回るイタリア人や「ハゲチャビンが頭を剃られた」という馬鹿な話、お菓子を食べ尽くして引き上げたプロシア軍の「お菓子戦争」など、笑える挿話も多い。
感心するところも数多ある。その一つ。
「あの風はいいことをしてくれるのだよ」
「いいことってなに」
「木をたがいにおじぎさせるのさ。花の咲いている木がキスしたり抱きあったりする時は、豊作だというからね」
 
作品の中でビールを飲みダンスに興じるチェコの若者たち。しかし当時の徴兵制度では兵役期間は14年だったというから恐ろしい。婚期など確実に逸してしまうではないか。若い人たちの恋物語が頻繁に語られるのも当然だ。
 
ニェムツォヴァーの時代、チェコはオーストリア・ハンガリー帝国の一地方でドイツ語が公用語であったが、「おばあさん」は抵抗の意味でチェコ語で書かれた。小説を書いて飯を食うにはそれなりの続者層が必要だが、当時のチェコ語圏の規模はどうだったのか。
本作品は1856年の発表。著者36歳だったが、彼女は苦しい生活のまま42歳で亡くなった。しかし「おばあさん」はチェコでは不朽の名作として認められ、国民の愛続書となっている。ニェムツォヴァーは人生のすべてをチェコの未来に捧げたといえるだろう。チェコを根本から知りたい人には必続書である。これに匹敵する文学が日本にあるだろうか。

 

 
 
 
 
 
★アメリカを変えた夏 1927年★ 
原題〝ONE SUMMER〟 ビル・ブライソン著

                                         伊藤真訳

白水社 20151110
 
昨年から図書館の本棚に置いてあった581ページのこの大作、今月意を決して借り出し、3週間がかりで読了した。作者のビル・ブライソンは1951年12月生まれのアメリカ出身、英国在住のノンフィクション作家。 
 
1927年のひと夏にアメリカ合衆国で何が起こったのか。
 
イメージ 1
 
 
「リンドバーグが飛び、アル・カポネが暗躍し、ベーブ・ルースが打つ」と帯にあるが、もちろんそれだけではない。
 
4月から始まったミシシッピー川流域の大洪水。学校爆破による児童44人の殺害。その他現代のニュースさながら各地で頻発する爆弾事件。凶悪事件に乗じて白眼視される欧州からの移民。幅を利かすナチス顔負けの優生学。トーキー映画の登場。全米に普及するラジオ。そしてテレビまで試作されていた1920年代後半、アメリカの自動車普及率はなんと6人に1台にもなっている。しかしオートメーションを開発したとされるヘンリー・フォードはそんなものなど考えたこともなく、注文に追われる現場の創意工夫でいつの間にか出来上がっていたシステムだという。
作者ブライソンはこんな事実を淡々かつ延々と書き連ねて結構おもしろい。
 
しかしひと夏のメインは表紙のスピリット・オブ・セントルイス号と無名だったリンドバーグ青年だろう。
 
ニューヨークのホテル王オルティーグが賞金を出す「オルティーグ賞」を獲得するため1927年に何機もの飛行機がアメリカを飛び立った。「アメリカ号」「コロンビア号」などなどネーミングだけは浮わつくが、何人もの乗員を乗せた多くの機体が行方不明になったり事故ったりする中、単独行のリンドバーグだけが迷うことなくパリ上空に到達。彼と乗機の最大の危機は着陸した飛行場で興奮した群衆に揉みくちゃにされたことだった。
 
孤独が好きなリンドバーグ自身の精神的な危機は帰国後の凱旋ツアーで最高潮に達し、移動の愛機の中だけで彼は安らぐ。しかし各地を飛び回るリンディーの姿にアメリカ人たちは空の時代が来たことを感じた。
それだけではない、世界の中心がヨーロッパからアメリカへと移動しつつあることをも実感していたのだ。そしてわずか10年後、何十人も乗れる旅客機が定期航路に就く。本書は歴史ファンならずとも、航空ファンというか、飛行機マニアが読んでも楽しめるかと思う。
 
さて、この時の大統領、クーリッジは「何もしなかった大統領」として有名だが、彼の在任中の1923年から29年の間にアメリカは著しい経済発展を遂げた。そしてオバマに先立つ88年前にキューバを訪問したアメリカ大統領がクーリッジその人なのである。
 
アル・カポネの話もベーブ・ルースの話も面白い。他にも面白いお話が満載。アメリカの一番長い、かっ飛ばしの夏を味わおう。
 
最後の写真はスミソニアン博物館に展示されているスピリット・オブ・セントルイス号。実物である。
 
イメージ 2
 
 
 
 
★連鶴 梶よう子
祥伝社 20150730
 
激動の幕末、会津藩とおなじく徳川最右翼であった桑名藩は王政復古により絶体絶命の危機を迎える。
 
連鶴(れんづる)とは一枚の紙で多くの千羽鶴を繋がったまま折っていく技術だが、本書は桑名藩士の二人の兄弟が時代の流れによって別々の道へと引き裂かれていく姿をこの連鶴に重ねて活写している。
 
イメージ 1
 
 
女性のたしなみと思われがちな連鶴というものを時代もの、とくに男臭い幕末ものに取り入れて時代に翻弄される家族の悲劇を描いた作者の取り組みは大成功している。
作中の蛤の煮しめ、生姜を加えた時雨煮というのも、やけに旨そうに書いているので食いたくなりまりした。
 
 
 

★太平天国 陳舜臣

中国史を主題にした小説を次々に出された陳舜臣先生が今年1月に亡くなられた。よく読んだ先生の作品の中で最も記憶に深いのが「阿片戦争」と「太平天国」だが、ここでは「太平天国」のお話をさせて欲しい。

19世紀の清国南部、エホバの託宣を受けたと称する洪秀全は「拝上帝会」を旗揚げ、奇跡を起こして教勢を拡大。「人民からは糸一本でも取るな」(どこかで聞いた・・中国共産党が言ってたような。順序からするとこれが元祖か)をスローガンに堕落した清国正規軍、団連と呼ばれる民間の義勇軍などと衝突しながら進撃し、1851年、「太平天国」の国号を定め、軍を「太平軍」と称した。国教はキリスト教、礼拝の対象はエホバであり、国是は「阿片の撲滅」と理想的なものだったが、「天王」を称した洪秀全は武昌で60人もの選妃を行い、その後南京へと進撃を開始する。
「百姓は一人たりとも殺すな」「官兵、官吏はみな殺して一人たりとも残すな」
 1853年、南京を占領して「天京」と改名し、国家的な体裁を整え出したころから、権力の魔性に憑りつかれた人々の裏切りが相次ぐ。求心力を回復するため奇跡をたびたび演出するのだが、見る者が見れば茶番と偽善者の集団としか思えない。
 清王朝の正規軍を一時は圧倒しながら、その中国的な自己中心観から抜け出すことが出来なかったため、キリスト教を母体にしながらも西洋列強を味方にすることが出来ず、1864年、大虐殺と破壊を伴って太平天国は滅亡した。

 この支那の大地に延々と繰り広げられてきた王朝の興亡史。成功したものが民衆の救済者として正史に記録され、失敗したものは非道の逆賊とされる。陳舜臣は失敗例の一つを記録した。この大陸で今後も繰り返されるであろう悲劇のモデルケースとして。



 
 
★バンヴァードの安房宮 世界を変えなかった十三人  
             
              ポール・コリンズ 山田和子訳 白水社 20140820
 
イメージ 1
 
〝世界を変えなかった十三人〟という副題はかなり新鮮。
 
 そんな13人のトップがジョン・バンヴァード。
1815年、マンハッタンの裕福な家庭に生まれたバンヴァードは父の破産により、無一文でただ一人アメリカ南西部へと旅立つ。その時若干16歳、ガンバレ。
頑張りましたね、色んな職業を経ながら絵描きとしての腕を磨き、やがて行商人兼旅の画家としてアメリカの大河を巡り、パノラマ画の構想を練った。
パノラマ画(画像の中央に絵がある)とは、二つのローラーに巻いた長いキャンバス画を観客に見せるものだが、「鳥獣戯画」のような絵巻物の大型をクランクで回して見せるといえばいいか。
1846年6月に発表した渾身作〝ミシシッピ・パノラマ〟はキャンパス幅が3.6メートル。全長が369メートルで、バンヴァード自身がクランクを回すと、あたかも船に乗って旅しているかのごとくにミシシッピ川流域の風景が観客たちの眼前に展開し、それを弁士バンヴァードの実見に基ずく巧みな解説が臨場感を盛り上げる。しかもこのロール画は上流からでも下流からでも見れるように描かれているから巻き戻しの無駄が無く二度おいしい。
この史上最長の絵画の興行収入により、バンヴァードは歴史上もっとも裕福な絵描きとなった。これだけでも凄い話なのだが、しかし彼の物語はこれで終わらない。
ロングアイランドにウィンザー城を模した大邸宅を建設してこれが〝バンヴァードの安房宮〟と呼ばれたまでは良かった。つまづきはマンハッタンに建設した博物館で、これがまさかの経営大失敗。バンヴァードは破産し、借金取りから逃げ隠れするうちに寂しく亡くなった。
そして映画がパノラマ画を駆逐、バンヴァードの作品も朽ちて散逸し、彼の名を憶えているものは合衆国でも少ない。
 
目次を紹介
1       バンヴァードの安房宮 ジョン・バンヴァード
2       贋作は永遠に ウィリアム・ヘンリー・アイアランド
3       空洞地球と極地の穴 ジョン・クリーヴス・シムズ
4       N線の目を持つ男 ルネ・ブロンロ
5       音で世界を語る ジャン・フランソワ・シュドル
6       種を蒔いた人 イーフレム・ウェールズ・ブル
7       台湾人ロンドンに現わる ジョージ・サルマナザール
8       ニューヨーク空圧地下鉄道 アルフレッド・イーライ・ビーチ
9       死してもはや語ることなし マーティン・フォークワ・タッパー
10    ロミオに生涯を捧げて ロバート・コーツ
11    青色光狂騒曲 オーガスタ・J・プレゾントン
12    シェイクスピアの墓をあばく ディーリア・ベーコン
13    宇宙は知的生命でいっぱい トマス・ディック
 
チラッとみたところパロディっぽい。
まったく知らない人たちの名前ばかりだが、これらはすべて当時(18世紀から19世紀にかけて)の超有名人。そして我々の知る〝現在〟の有名人も脇役として登場するのだが、その中にはまったく後世に名を残すまいと思われていた人もいる。この中で私が知ってた事は「地球空洞説」ぐらいです。
 
暗闇の中に有りもしない放射線N線というものを見つけた、と主張したブロンロ氏は小保方さんみたいだが、もちろん彼も大真面目な人だった。
 
ブドウの生育に適していないアメリカで、何年もかけて原生種の中からヨーロッパ産に負けない品種を開発したブルの墓碑銘は皮肉だ。
「彼が種を蒔いた ほかの人が収穫した」
生物種に関する特許保護法の無かった19世紀のアメリカでは企業家たちがブルに無断で新品種を大量栽培し、加工食品として売り出すなど大儲け。そしてアメリカに富をもたらしたブルは救貧院で亡くなり、彼の名は忘れ去られた。
 
18世紀のこと、自称台湾人のサルマナザールは台湾の歴史、風俗、言語まででっち上げて本まで出版した。うっかり台湾は日本の領土だと言ったことを突かれたりしたが、その言を曲げなかった。
やがて嘘を付くのに幻滅した彼は〝真面目な台湾人〟として静かに余生を過ごそうとしたが、グリニッジ天文台長のハレーに著作の天文学方面の矛盾を突かれ、すべてがペテンであると白状した。その後に出した回想録がベストセラーになったりして、本書の登場人物の中では晩年に生活に窮しなかった珍しいケースだ。
 
空圧地下鉄道の話。電車以前、蒸気機関車で地下を走るのは煙たいので、19世紀のアメリカ初の地下鉄計画は空圧式だった。強力ファンの風圧によってパイプの中を客車が走るのだ。ブレーキシステムはどうなってるのだか空想されよ。まあ、個人的には乗りたくない。現在の我々が電車の恩恵を受けているのは非常な幸運である。いくつかの都市では郵便輸送用として、当時のシステムが今でも使われているという。
 
青色光線とはLEDのことではない。青色ガラスを透過する太陽光線が良い影響をもたらすという説だ。やがて窓ガラスを青色に替えただけで便秘や腰痛が治り、ハゲ頭に毛が生えたなどと言い出す人も現れ、植物も家畜も生育が良くなるとの報告まであった。思い込みとは面白いものだが、ここでも例によって提唱者ではなく、業者が大儲けした。もちろん青色透過光には何の効果もないので、プレゾントンはノーベル賞をもらってない。
 
1831年、二十歳のディーリア・ベーコンがある懸賞小説で一等を受賞した時、二等はエドガー・アラン・ポーという無名の作家だった。彼女の作家としての人生は順風満帆と思われたが、シェイクスピアはいなかったという妄想に取りつかれて破滅していく。かくしてディーリアの名は忘れ去られたが、ポーの名は永遠に残っている。
 
どこから読んでも面白い珍説奇説、それに悪乗りするペテン師たち。失意や狂気、そして貧窮の底で逝った人たち。
 
秋の夜長にじっくりと読める一冊。どれか一章ぐらいは、あなたも共感して泣くか笑うかするかもしれない。
 
ではまた