■先史時代の古代日本は文明先進国だった
これまで文明の始まりは、今から5,500~3,500年前の「メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明」の四大文明とされ、不思議なことに四大文明はほぼ同時期に起こったとされてきました。
しかし、「そんなに急に、しかも同時期に文明をつくることができるのか?」という疑問は残ったままです。それ以前にどこかで文明があり、何かしらの事情により、その土地から各地に移り住み、文明を再構築したとも考えられます。
もし、超古代文明が四大文明以前にあったのであれば、その直前に天変地異などの何らかの大きな「断絶」があり、その結果として、世界各地に散らばったことで、文明がほぼ同時期に起こったと考えた方が現実的です。
世界的な断絶があったからこそ、その後、生き残った人たちが散らばり各地で文明が作られた・・・。
そのように見ていくと、四大文明が一番最初の文明というよりも、むしろそれ以前に、超古代文明と呼ばれるものがあったと見ていくほうが自然なのではないでしょうか。
もし、文明の断絶があったのであれば、その断絶の原因となった最有力候補は、世界各地で伝えられている世界的洪水「ノアの大洪水」ですし、火山噴火や地震などの天変地異も考えられます。
(現在の日本周辺の地図)
(2万年前の日本周辺の地図)
黒い部分が海です。日本海は巨大な湖。ロシア、朝鮮半島や中国とも陸続きでした。
琉球諸島も台湾までほぼつながっていました。
一方、日本の縄文時代は、今から1万6,500年以上も前の旧石器時代から2,500年前まで、最低でも1万年以上も続いた文明だったと考えられています。
その当時の日本列島は温暖な気候で、縄文人は山や川、海から季節の恩恵を受けて、狩猟だけでなく、農作物の栽培もしながら、ヒスイや黒曜石をはじめとする宝石を加工したアクセサリーを身に着け、お洒落で平和に暮らしていたことがわかっています。
これほど早く誕生し、これほど長く続いた文明は、世界中探してもどこにもありません。
考古学的に考えても、文明の始まりが日本を出発点としているといっても過言ではないのです。
その証拠として、1998年に「炭素14年代測定法」によって、青森県太平山で発見された日本最古の土器は、1万6,500年前に作られたものであることが判明し、世界的に決定づけられています。
その後の調査で発見された「石の矢じり」も同年代で、土器も石器も世界最古レベルなのです。
縄文遺跡で有名な青森県の三内丸山遺跡は、東京ドーム7個分の敷地内に大型の住居施設が10棟以上、小さな住居や倉庫が780棟も建てられており、はっきりとした目的がある計画的な500人規模の町(集落)が作られていました。
これは、高度な文化と社会性が維持されていたという証です。
日本ではすでに1万6,500年も前には縄文文明が始まっていて、世界に先駆けて縄文土器を使って、食べ物を煮たり、炊いたりしており、保存性を高める工夫までしていたことが科学的に裏付けられているのです。
稲作も小規模ながらおこなわれており、全国各地の遺跡から稲もみが付着した土器が発掘されていますし、岡山県灘崎町にある6,000年前の縄文中期の地層からは、稲の細胞成分が大量に発見されています。
ただし、この時の稲作は「真菰米(元来種の黒真菰=ワイルドライス)」です。
この真菰米が変異し派生して、現在の私たちの主食となっている「稲=お米」になっています。
日本での稲作は、少なくとも陸稲栽培が6,700年前、水稲栽培が3,200年前からおこなわれていたことが明らかとなっていますが、朝鮮半島で発見されている水稲栽培の痕跡が2,800~2,500年前なので、遺伝子学的にみても、水稲栽培は日本から伝えられ、陸稲栽培は満州経由で日本から伝えられたと考えるのが妥当なのです。
ですから、稲作は弥生時代に大陸からもたらされたというのは誤りであり、縄文時代にはすでに稲だけでなく、キビ、ヒエ、えごま、小麦などの雑穀も栽培し、農耕にも成功していたということがわかっています。
さらに、火焔土器のような見事な装飾が施されたデザイン性のある土器を作っていたということは、高度な精神性があり、豊かな暮らしをしていた証ではないでしょうか。つまり、学校で習った縄文人の原始人のようなイメージはことごとく覆されているのです。
さらに、世界各地で遺跡が発掘されていますが、日本では旧石器時代(1万6,000年前まで)の遺跡が世界でもダントツに多く発見されているのです。その数は1万個以上もあるのですが、日本に文化をもたらしたとされるお隣の朝鮮半島ではたったの50個しか発見されていません。
しかも、日本の正史とされる歴史よりも前である先史時代の遺跡は、関東から東北にかけて圧倒的に多く発掘されており、縄文時代の日本人の80%が東日本に住んでいたとも推測されているのです。
ですが、東日本の歴史は正史ではほとんど触れられておらず、明らかに消されています。
そして、天皇家にゆかりのある神社は、江戸時代まで伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の3つとされてきましたが、伊勢神宮の創建よりも600年以上も古く、天皇家にゆかりのある鹿島神宮(茨城県)や香取神宮(千葉県)が、なぜ関東にあるのか?など、謎が多くあります。
このあたりのことも含めて、日本の真の歴史はいろいろなことが大きく変えられています。
明治維新後に、神社庁が設立され、神々の世界も支配者の思惑により、神仏分離や、出雲派の敗北によって伊勢神宮を頂点とする組織構造に大きく変えられてしまいました。
それを正すために降ろされたのが大本だったりするわけですが、結果的に非合法な手段で国家により焼き討ちにされたりして弾圧されました。。。このあたりの話はまたの機会にさせていただきます。
いずれにしても、ヤマト王朝以前には、西日本だけでなく、関東や東北を含めて、各地に独立国があり、それ以前から優れた縄文文明があったということは事実といえます。
さらに、縄文人は海洋民族でもあり、優れた海洋技術によって、漁業、貿易もおこなっていました。
青森県の三内丸山遺跡からは、丸木船とともに外洋に生息する大型魚の鮪(マグロ)や鯛(タイ)などの骨も発掘されていますし、全国の縄文遺跡から丸木船は160艘以上も発掘されています。
2013年に千葉県の縄文遺跡から発掘された丸木船は、縄文早期の1万6,000年前のものであり、日本最古です。
縄文人は、山で狩猟採集をして原始人のような生活をしていたのではなく、農耕を営み、農作物や木の実などの栽培をおこない、海や川で漁をして、食料を必要なだけ計画的に確保し、船で各地に渡り交易までおこなうなど、高度な社会生活を営んでいたのです。
これまでの調査仁より、縄文中期には人口が26万人にまで増えますが、なぜか縄文晩期には7万人にまで人口が急激に減少したと考えられています。
その理由が、7,300年前に起こったといわれている九州の薩摩半島沖にある鬼界カルデラの海底火山大噴火をはじめ、火山活動が全国的に活発になったため、火山灰で覆われた日本は寒冷地域となってしまい、食料確保が困難な時期を迎えたからです。
それによって、多くの縄文人が日本を離れ、自然の脅威と闘いながら、世界を旅し、世界各地に渡って、現地の人々に知恵を与え、技術を伝えていった結果、メソポタミアをはじめとする文明が同時期に興ったのではないか?とも考えられているのです。
しかも、縄文人はユーラシア大陸だけでなく、太平洋を横断して北米大陸、南米大陸、ハワイなどにも渡り住んでいます。
なぜ、そのようなことが言えるかというと、縄文土器が世界各地で数多く発見されているからです。
特に面白いのが、南米エクアドルでは多くの縄文土器が発掘されているのですが、インカ文明のものとは明らかに違い、主に九州から出土している縄文土器と同じなのだそうです。
調査によると、それらの土器が作られたには5,500年前とのことです。
つまり、縄文人は太平洋を横断していた可能性があるのです。
また、中国で2,000年前に書かれた古代中国の古文書『契丹後古伝』によれば、「漢民族が現れる以前からユーラシア大陸には先住民がいて、漢字を使う前には、天字という文字があり、それ以前にはト字があり、ト字は殷(いん)の国で使用されていた文字で、殷の国の元は倭国(日本)である。」とハッキリ書かれているのです。
殷は紀元前17世紀(3,700年前)に建国され、考古学的に実在していたことが確認されている中国最古の王朝です。
教科書にも出てきましたし、正史とされる歴史書にも出てくる中国から見た日本の呼び名である「倭国」が、中国最古の王朝である殷を建国したと、中国の古文書に明記されているんです。
しかも、日本から文字が伝えられて殷の文字ができたというんですから驚きです。
でも、縄文人が移り住んで国を創建したと考えれば辻褄が合います。
日本には漢字が伝わる以前から、20種類以上もの神代文字が見つかっており、カタカムナ文字のような特殊なものまで存在していました。
弥生時代に入り、侵略支配や争いが多発するようになると、各民族は自らの歴史書が焼き討ちにされるのを防ぐために、土に埋めて隠したり、口伝で伝えるようにして守ったりしています。
また、岩石や石碑、洞窟の壁面に描かれたペトログリフは、神社や神域をはじめとした場所で数多く発見されていて、1994年の時点ですでに120箇所、1,200個以上ものペトログリフが日本で発見されています。
しかも、最も古いペトログリフは6,500年前のものだということが判明しています。
これだけ多くのペトログリフ(岩刻文字)が発見されているにも関わらず、研究が進まないのは、大学教授らがペトログリフのことを調べようとすると、公的な研究資金が出されないことが大きな要因となっているようです。
歴史を変えられたくない人たちがいるということなのかもしれませんね。
■瀬織津姫(六甲比命大善神社)へ…つづきます
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