ある冬の日の光 -4ページ目

ある冬の日の光

今まで自分の日記じみた事を書くツールは何度かやってきたけど、結果的にリアルの知り合いが見ているものは
自分をよく見せようとする気持ちが働いてしまって、自分のダメな所はさらけ出せない。
ここでは、素性を隠す替わりに本当に心の内を書いていってみたいと思う。

死について・・・


「死」で怖い事は、「自分」の今まで積み重ねてきた経験が
失われてしまうのではないか、という事。
俺が必死にしがみついて放したくないと思ってる、

自分のルーツ・・・
楽しかった幼少期の想い出、感性・・・。
ある過去の日の自分。。。
でも、そんなの誰にでもある。
じゃあもし生まれ変わって、次が理想的な状況・設定だったら?
それが今から分かっていたら?
あるいは、この人生の想い出と引き換えに理想の誰かのような

人生と交換だったら?
まあ後者はともかく、前者が分かっていたら楽しみで老後も毎日ウキウキ気分か。
早くその、次の世界へ、ってなるだろう。
まあでも、「自己意識」が持ち越せないとあまり

意味ないかもな。。
魂界にいる時だけ通算の記憶あっても。。


遠い過去、中年の今から振り返るととても価値があるように

感じられる少年期の日々。
でも、それらの日々も、今、大した価値がないと感じている

日々も、同じような価値なのではないか。。。
死んでみれば、すべて貴重で大事な、人生の日々

なのではないか。
もし、死んだあと人生の好きな日を選んで追体験できる

機能が霊界システムにあったとしたら、それがいつでも

何回でもできるとしたら、もはや人生序盤の幼少期も、

後半の中年期も、同じような価値ではないか。
ただ、今は人生の最中であり、遠い過去は愛しく、

懐かしく、もう二度と戻らないと思っているから、

過剰に価値を見出しているだけではないか。
そう考えると、あまり過去を思って思い煩う必要もない。
いやさ人生を楽しく豪快に生きて充実させている人なら

そんな事を思いもしないだろう。
そもそも「今」が常に充実していればそんな事を考える

余地もない筈で。


恋人や奥さんができてからの方が圧倒的に価値が大きい(?)

から少年期はむしろ価値が低いかもしれない、そういう人は。
聞いてみないとわからない。
俺はそこのところが一貫して同じだからな・・・。