ある冬の日の光 -17ページ目

ある冬の日の光

今まで自分の日記じみた事を書くツールは何度かやってきたけど、結果的にリアルの知り合いが見ているものは
自分をよく見せようとする気持ちが働いてしまって、自分のダメな所はさらけ出せない。
ここでは、素性を隠す替わりに本当に心の内を書いていってみたいと思う。

父が亡くなった。

本当言うと、昨夏の帰省の時、東京に戻るために駅まで送ってもらう
クルマの中で、父からステージ4であること、もういつでも
おかしくない事を突然告げられた。
その時点で、「余命5年と言われてから6年目」の状態だった。
母と姉は最初から知っていたが、俺は余計な心配がないようにという
ことだったのか、本当に最後まで知らされなかった。
昨夏の帰省の時のブログ記事には書かなかったが。。。

それから、毎週スポーツネタでメールをしあうようになった。
ガンのことはなく、買い物に出かけたり、庭の草むしりをしたことなど
が書かれていて、なんだ大丈夫だ、もしかしてこのまま何年もいける
んじゃないか、という気にもなっていた。

それが2月頭くらいから、「体調が悪い」というメールになった。
それが続いたので、もしかして、と不安になり3月半ばに有休をとった。
その週に入って、週末に会いに行くつもりでいたら、母からのメールで
「病院に来てください、と電話来た」。
勤務中だったが、早退させてもらい、慌てて仙台に戻った。

不思議と冷静だったが、マンションで身支度し、東京駅に着き、チケット
を取り終わりホームで列に並び一息つくと、そこで涙が溢れてきた。

父親ベタベタという育ちではないし、独立して25年、帰省は年一回、
帰った時も特に人生について話すとか、そういうことはなかった。
正直、希薄な関係だった。
ただ、それでも自分が子供の頃に意識を戻すと、ああ、あんなシーン
こんなシーンあったな、と思い返す。
サラリーマンで、ネクタイをして金を稼いで一家を養っていた父親は、
もういなくなってしまった。

新幹線の中でも、ふと気を許すと涙が零れるが、スマホでネットを
見ると普通にその内容に集中もできる。不思議な状態だった。


まあ・・・その後の詳細は省くが、母と姉は以前から知っていた分、
めそめそしていなかったのが救いだった。

よく言われるように、亡くなったことに対しての悲しみは当日と翌日
くらいで、それ以降は喪主として葬儀屋と打ち合わせたり、寺と葬儀屋
に払う金額の多寡に驚いたり、事務的な庶務の大変さ、口座や保険の
把握と手続き連絡で、「とにかく大変」というだけになり、疲れて
しまって悲しみがどっかに行ってしまった。

で・・・・・・、
今度は父の死が悲しい、を超えて、これをもう一度母で、そして次は
自分で、ということを考えてしまい、完全に気が滅入ってしまった。
母の年齢を改めて意識して、不安で仕方なくなってしまったのだ。

例え今20代の若い夫婦に赤ちゃんが産まれたとして、めでたいし
これからが楽しい人生の本番だ、という状況だとしても、その先に
必ず「これ」があるのだ。
その若い夫婦にも、赤ちゃんにも。
この苦しみから逃れる事は誰もできない。
一体、我々は何なのか・・・と考えざるを得ない。
死んだ後どうなるのかはわからないが・・・
仮に意識が続きまた亡くなった人に会えるとしても、「この生」の
環境-国、時代、容姿、家、趣味や性格-からは離脱となる。
それが寂しい。

それに父母にはそれぞれに父母があり、その父母にも・・・と続く。
では父が天国で「自分が子供の頃に戻って母に甘えたい」と思ったら、
俺が死んだあとそこに現れるのはどうなんだ、となる。
つまり親子とはいえ、生まれた順番でそうなっただけであって、
一個の魂、存在はみんな互角な立場なのではないか。
そうなると、死んだあと、今気づいてない、全てを把握した
状態で初めて平気になれるのかな。
例えば、修行しに敢えて現世に自分の意志で生まれに行ってて、
それがあの世にいる間は自覚できてる、みたいな。
今回の修行、80年間お疲れ様、みたいに。
ああ思い出した、自分の意志で今回、現世に行ってたんだ、

みたいにね。。。

忌引きは今日までで、明日から仕事だ。