その正体はこれです。
ナチのプロパガンダは、内容面からいうと、テーマを重要なものに絞ることで、記憶に残り、感情に訴えかけるスローガンを作り出すものであった。これはアドルフ・ヒトラーのプロパガンダの指針を踏襲したものである。1924年から1926年にかけ書かれた基本の書『我が闘争』にはこうある。「プロパガンダの芸術とは、まさにこの点にある。すなわち大衆の感情に基づく表象世界を理解し、心理学から見て正しい形式をとれば、注目を集めるばかりか、ひいては広範な大衆の心へ至る道を見出すのである[1]。
ナチスのプロパガンダ - Wikipedia
そうです。共産党がやっていることはナチスのプロパガンダと同じなのです。
ナチスと共産党の接点はそれだけではありません。
政策度外視で「野党共闘」などと言っているのも共産党です。これもかつて共産党がやってきた悪行を繰り返しているにすぎません。
当時、共産党はコミンテルンの指示のもと社会民主主義を敵視する社会ファシズム論へ傾いていたこともあり、社会民主党打倒という点でナチスとは協調路線をとっていた。1932年1月、コミンテルンから派遣されたドミトリー・マヌイルスキーは、「ナチスは社会民主党の組織を破壊するがゆえにプロレタリア独裁の先駆である」と述べ、これを受けて共産党のヘルマン・レンメレ(ドイツ語版)は「ナチスの政権掌握は必至であり、その時共産党は静観するであろう」と述べている[3]。このため共産党は議会では法案の提出(例:パーペン不信任案)・反対動議をナチス等と共同で行い、大規模な交通ストライキを協力して組織する等、共闘することも多かった。
この間にナチスは保守層からの支持と資金を有効に使い共産党以上に勢力を伸張させ、1933年1月30日のヒトラー内閣成立へと至った。
ドイツ共産党 - Wikipedia
かつて、与党を倒すためだけにナチスと共闘した共産党。
ポリシーのない共産党の共闘こそが、ナチスを増長させ、ヒトラーを生み出したのです。
今、日本共産党がやっていることも、このドイツ共産党がやったことと全く同じです。
それでも共産党を評価する人もいるかもしれません。口先では一部いい事も言っているからでしょうか。
御存知の通り、当初、レーニン、スターリンは労働者のためだと口先では言っていました。しかし、政治は結果です。実際にやったことは戦争と暴力、自国民の大虐殺です。
同様に、中国共産党も最初は労働者のためと口先では言っていました。しかしやったことは戦争と暴力、自国民の大虐殺。
目的のためにはナチス式のプロパガンダを使ったり、節操のない共闘を行うなど、手段を選ばない共産党のデタラメな精神は今も生きています。
中国共産党による、チベットウィグルへの侵略は現在も行われていますし、それだけでは飽きたらず、南シナ海や東シナ海、沖縄県、鹿児島県にまで触手を伸ばしてきて、もはや戦争状態というところまできています。
平和主義者の仮面を被った戦争主義者が共産党なのです。党名からもわかるように、日本共産党の実態は昔と今で全く変わっていません。
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