Amazing Grace
日本列島へ大寒波が連荘で訪れて、毎日の雪下ろしに腰を痛めて、風が吹けば桶屋が儲かるが、大雪が降れば整体院が儲かる前に久光製薬のサロンパス冬場投機で儲けるのが先かと…大雪で整骨院に出掛ける前にそんなお天気で外をウロウロすれば凍結路面で滑って運良く、また腰をバース先生見て下さいо(ж>▽<)y ☆並みの強打…(ノ´▽`)ノ○なら、自宅でサロンパス貼っておこたでみかんを食べるのが日本人のデフォ(´0ノ`*)しかし、晴れの国おかやまのネイティブ玉野に雪など降る気配など一切無いのに、震災以降に岩手県から引っ越してこられたご近所さんはスバルさんちのびびおくんにスッタッドレスタイヤに朝から交換していらっしゃるのを暖かいお部屋の窓からヲチしながら、ネイティブ玉野は積雪より路面凍結なので、スタッドレスの意味は全く制動停止距離に効果が無いなんて教えずに生暖かな視線で見ていたら引っ越して来てから挨拶一つ我が家にうさぎ饅頭持って来ないのに視線が合ってしまい会釈されたが、優しいおっちゃんはメンヘラなので無視してあげました( ´艸`)さて、カトリック教会で賛美歌としてよく歌われる歌に『Amazing Grace』と言う歌が有りますが、この歌詞はイギリス人のJhon Newtonさんの作詞で、作曲はアイルランドとスコットランドの民謡を合体させ造られ不詳となっているがアメリカで編曲された説が濃厚である。この作詞者のJhonさんはアフリカからの奴隷貿易で莫大な富を得た極悪人であるが、ある航海中に嵐に遭遇し、神に初めて命乞いをし助かったがその後、6年間はやはり奴隷貿易商を続けたΣ(・ω・ノ)ノ!(反省しとらんやんっΣ(・ω・ノ)ノ!)1755年に病気の為に船を降り、少々のお勉強と教会に賄賂を贈り続けて似非牧師になり、Amazing Graceは1772年に生まれ、1807年に作詞者のJhon Newtonさんは地獄に落ちた(´0ノ`*)黒人奴隷貿易に関わった事に対する悔恨とそれにも拘わらず赦しを与えた神への感謝の意味が込められているが、普通に赤い血の流れている人間は奴隷売買等には最初から加担しないのを人間と言う。Amazing grace! how sweet the soundThat saved a wretch like me.I once was lost but now am found,Was blind but now I see.恩寵 美しい響き(恩寵:おんちょう=正教会 カトリック=聖寵:せいちょう 神の恵みの意味)私の様なならず者までも救われた道を踏み外し彷徨っていた私を神は救いあげて下さり今まで見えなかった神の恵みを今は見だすことが出来る'Twas grace that taught my heart to fear,And grace my fears relieved,How precious did that grace appear,The hour I first believed.神の恵みこそが 私の恐れる心を諭しその恐れから心を解き放ち給う信じる事を始めたその時の神の恵みのなんと尊いことかThrough many dangers, toils and snaresI have already come.'Tis grace hath brought me safe thus far,And grace will lead me home.これまで数多くの危機や苦しみ、誘惑があったが私を救い導きたもうたのは他でもない神の恵みであったThe Lord has promised good to me,His Word my hope secures,He will my shield and portion beAs long as life endures.主は私に約束された主の御言葉は私の望みとなり主は私の盾となり 私の一部となった命の続く限りYes,when this heart and flesh shall fail,And mortal life shall cease,I shall possess within the vail,A life of joy and peace.そうだ この心と体が朽ち果てそして限りある命が止むとき私はベールに包まれ喜びと安らぎの時を手に入れるのだThe earth shall soon dissolve like snow,The sun forbear to shine,But God, Who called me here below,Will be forever mine.やがて大地が雪のように解け太陽が輝くのをやめてもしかし私を召された主は永遠に私のものだ*When we've been there ten thousand years,Bright shining as the sun,We've no less days to sing God's praiseThan when we'd first begun.*私たちはいつまでもそこに居て太陽のように光り輝き最初に歌い始めたときから神の恵みを歌い讃え続けることだろうJhon Newtonの父親は東インド会社の航海士で、母親は敬虔なクリスチャンだった。亜米利加は東海岸開拓移民時代であるが、ネイティブ玉野市出身のとある人物は人前でこの歌の意味を正しく人に伝えていないのを某メルマガで知った( ´艸`)また、この時代の三角貿易で奴隷として亜米利加さんに運ばれたお方々は家畜以下の扱いで輸送中に多くが病気や餓死で亡くなっている。キリストちゃんは、悪魔くんに見渡せる限りの世界を見せてこれを全てお前にやると言ったが、悩んだ末に悪魔くんに魂は売らず、石ころをパンに変えるパルプンテの呪文も、人はパンのみに生きるにあらず…と、武士は喰わねど、高楊枝を貫いて十字架を背負ってゴルゴダの丘で処刑された。おっちゃんなら素直にお取引しますけどねぇ(・ω・)/