せっかくの休日のことでした。

私は、

ちょっと近所のスーパーまで、

お買い物に出かけていたのです。

 

暖かい日差しの中を、

のんびりと歩いていました。

 

ふと、

子供の頃のことを、

思い出したのです。

 

あの頃は、

大人になれば、

すべてが自由になると思っていました。

 

好きなものを食べて、

好きなだけ夜更かしをして、

自分の思い通りに生きられる。

 

そんなふうに、

本気で信じていたのです。

 

これは、

子供特有の、

純粋な夢だったのかもしれません。

 

では、

実際のところは、

どうなのでしょうか。

 

大人になった今、

私は何を実感しているのか。

 

それは、

思った以上に、

自分の自由が少ないということです。

 

いや、

自由はあるのです。

 

形としては、

何をするのも自由です。

 

けれど、

そこには、

大いなる責任というものが、

もれなくセットでついてくるのです。

 

たとえば、

おやつの時間の話です。

 

子供の頃は、

お母さんに隠れて、

こっそりチョコレートを食べる。

 

それだけで、

ちょっとした冒険のようで、

ワクワクしました。

 

では、

大人になった今は、

どうでしょうか。

 

誰に怒られるわけでもありません。

 

スーパーのお菓子コーナーで、

高級なチョコレートを、

カゴにいくつ入れてもいいのです。

 

財布の中身さえ許せば、

大人買いだってできてしまいます。

 

ここで、

問題になるのが、

 

『自分の体調』

 

というものです。

 

調子にのって、

甘いものをたくさん食べてしまう。

 

その結果どうなるか。

 

次の日の朝、

鏡を見て、

思わず絶句してしまうのです。

 

これは、

単なる食べ過ぎではありません。

 

『自己管理の欠如』

 

という、

大人の最も恐ろしい罪の、

現れなのです。

 

子供の頃は、

食べたものの責任なんて、

微塵も考えませんでした。

 

ただただ、

目の前の甘さを楽しんでいただけです。

 

でも、

大人になると、

そうはいきません。

 

食べた分のカロリーは、

しっかりと、

自分の体に蓄積されていくのです。

 

残酷なまでの、

『因果応報』

 

というやつです。

 

そう考えると、

大人になるということは、

不自由になることなのかなと思います。

 

いや、

正確に言うと、

自分で自分の首を絞めるようになる、

ということなのかもしれません。

 

ちょっと、

話しは変わりますが、

 

先日、

リビングの片付けをしていたのです。

 

棚の奥から、

古いアルバムが出てきました。

 

せっかくなので、

手を止めて、

パラパラとめくってみたのです。

 

そこに写っていたのは、

若かりし頃の自分の姿でした。

 

目は輝いていて、

肌はハリがあって、

未来への希望に満ちあふれている。

 

そんな、

まぶしい姿が、

そこにはありました。

 

私は思わず、

画面に向かって、

「若いなあ」と呟いてしまいました。

 

もちろん、

画面ではありませんが、

アルバムの写真に向かってです。

 

あの頃の私は、

まさか自分が、

こんな主婦になっているとは、

夢にも思っていなかったでしょう。

 

毎日、

夕飯のメニューに悩み、

特売の卵を求めて自転車を走らせる。

 

そんな日常が待っているとは、

微塵も想像していなかったはずです。

 

では、

あの頃に戻りたいかと聞かれたら、

どうでしょうか。

 

うーん、

それは少し、

違う気がします。

 

戻りたいような、

戻りたくないような。

 

複雑な乙女心が、

そこにはあるのです。

 

ここで、

一つ大きな気づきがありました。

 

それは、

大人の特権とは、

『自由』ではなく、

『選択の重み』を知ることだということです。

 

子供の頃は、

大人がすべてを完璧にこなしているように見えました。

 

料理も掃除も仕事も、

何でもスイスイと、

魔法のようにこなしている。

 

でも、

自分がその立場になってみて、

ようやく分かりました。

 

誰も完璧になど、

生きてはいなかったのです。

 

みんな、

その場しのぎで、

必死に生きているだけだった。

 

夕飯の買い出しの途中で、

「今日の夜は手抜きでカレーにしよう」と、

こっそり心の中でガッツポーズをする。

 

そんな日常の裏側を、

子供の頃の私は、

知るよしもなかったのです。

 

こういうのって、

なんだか面白いですよね。

 

立場が変わると、

世界の見え方が、

ガラリと変わる。

 

自分がその当事者になって、

はじめて、

大人の苦労が身にしみて分かるのです。

 

そういえば、

この間も面白いことがありました。

 

近所のカフェで、

一人でお茶をしていたときのことです。

 

隣のテーブルに、

高校生くらいの女の子たちが座っていました。

 

何やら、

楽しそうに将来の夢について語り合っているのです。

 

「私、大人になったら、毎日ケーキバイキングに行くんだ」

 

そんな、

可愛らしい声が聞こえてきました。

 

私は、

コーヒーを飲みながら、

心の中で、

そっとツッコミを入れてしまったのです。

 

「お姉さん、それは絶対にやめておいたほうがいいよ」

 

と。

 

もちろん、

口には出しませんでしたが。

 

若いって、

本当に素晴らしいことだなと思います。

 

無限の可能性を信じて疑わない、

あのピュアな瞳。

 

かつての私も、

きっとあんなふうだったはずです。

 

それが今やどうでしょう。

 

「ケーキバイキングなんて行ったら、胃もたれで翌日一日が潰れるわ」

 

そんな現実的な計算をしてしまう、

すっかりすれてしまった大人になってしまいました。

 

これは、

成長と言っていいのかどうか。

 

少し、

切ないような気もします。

 

でも、

悪いことばかりでもありません。

 

大人になったからこそ、

味わえる良さというものも、

確かに存在するのです。

 

たとえば、

休日の静かな朝。

 

誰も起きてこないリビングで、

一人ゆっくりと淹れるコーヒーの味。

 

この、

静寂を味わう贅沢は、

子供の頃には絶対に分からなかったものです。

 

あの頃は、

ただ騒がしいのが好きだったし、

静かな時間は、

なんだか寂しく感じられたものでした。

 

でも今は、

この静けさこそが、

最高の癒やしだったりします。

 

自分の好きな音楽を小さくかけて、

お気に入りのマグカップで、

温かい飲み物を口に含む。

 

ふうっと息をつく。

 

こういう時間って、

やっぱりいいですよね。

 

大人になるって、

こういう、

ささやかな幸せの引き出しを、

たくさん増やすことなのかなと思います。

 

若い頃のような、

爆発的なエネルギーや、

きらびやかな夢はないかもしれません。

 

代わりに手に入れたのは、

日常の些細なことに喜びを見出す、

ささやかな知恵のようなものです。

 

そう考えると、

大人になるのも、

悪くないなと思えてきます。

 

もちろん、

体重計に乗る瞬間を除いては、ですが。

 

あの数字を見るたびに、

「やっぱり、昨日のケーキは余計だったな」と、

深く反省するのです。

 

でも、

そんな反省を繰り返しながらも、

また次の休日には、

美味しいパンケーキを食べに行ってしまう。

 

人間の欲望とは、

なんと泥臭く、

愛おしいものなのでしょうか。

 

完璧な人間なんていません。

 

みんな、

何かしらの失敗や後悔を抱えながら、

それでも明日へ向かって歩いているのです。

 

自分の機嫌は、

自分で取る。

 

これこそが、

大人になった私がたどり着いた、

最大の真理なのかもしれません。

 

さて、

そろそろ夕方の支度を始めないと。

 

今日の晩ご飯は何にしようかと、

冷蔵庫の中身を思い浮かべています。

 

子供の頃は、

勝手に出てくるものだと思っていたご飯も、

今や、

私がゼロから生み出さなければならない。

 

大変といえば大変ですが、

これもまた、

大人の特権なのだと思うことにします。

 

次は、

もう少しだけカロリーの低いおやつを見つけて、

優雅なティータイムを楽しみたいなと思いました。

 

みなさんは、

大人になってから気づいた、

ちょっとした驚きはありますか。

 

こういう何気ない日常の発見を、

これからも大切にしていきたいなと、

しみじみと感じる休日なのでした。

ふと、

リビングの時計を見ると、

もうすっかり夕方の時間になっていました。

 

外の景色も、

ほんの少しだけ茜色(あかねいろ)に染まり始めています。

 

一日が過ぎるのって、

本当に早いものですね。

 

休みの日になると、

朝はあんなにゆっくり起きたのに、

気がつけば、

もう夕方です。

 

あれをしよう、

これをしようと思っていたことの半分もできずに、

結局、

ダラダラと過ごしてしまう。

 

でも、

そんな何もしなかった休日も、

振り返ってみれば、

悪くなかったなと思えたりします。

 

むしろ、

何もしない時間こそが、

一番の贅沢(ぜいたく)なのかもしれません。

 

忙しい毎日を送っていると、

どうしても、

効率よく動くことばかり考えてしまいます。

 

あれを片付けて、

これを終わらせて、

時間を有効に使わなければと、

知らず知らずのうちに、

自分で自分を追い込んでしまうのです。

 

でも、

人間には、

そんなに頑張れない日もあって当然です。

 

たまには、

お昼過ぎまでパジャマのままで過ごしたり、

ソファに寝転がってテレビをぼんやり眺めたり。

 

そういう、

一見すると無駄に見える時間こそが、

私たちの心を休ませてくれるのではないでしょうか。

 

効率ばかりを追い求めていると、

大切な何かを見落としてしまうような気がします。

 

たとえば、

道端に咲いている小さなお花の名前とか、

夕方の風の冷たさとか、

淹れたてのお茶の温かさとか。

 

そういう、

ささやかな日常の美しさに気づく心の余裕を、

私たちはいつの間にか、

どこかに置き忘れてきてしまうのです。

 

そう考えると、

今日みたいに、

美味しいパンケーキを食べることだけを目標にして、

あとはひたすらダラダラと過ごした休日は、

すごく意味があったのではないかと思えてきます。

 

自分の心と体を休ませてあげるための、

大切な一日だったのです。

 

明日からまた、

平日の日常が始まります。

 

朝早く起きて、

お弁当を作って、

バタバタと家を出て、

仕事や家事に追われる日々が戻ってくるのです。

 

そう想像すると、

ちょっとだけ、

憂鬱(ゆううつ)な気持ちになったりもします。

 

あぁ、

またあの忙しい毎日に戻るのかと、

ため息をつきたくもなりますよね。

 

でも、

大丈夫です。

 

私たちには、

今日の思い出があります。

 

あのフワフワのパンケーキの食感や、

甘いメープルシロップの味や、

店内の心地よい音楽の余韻が、

きっと、

明日からの私たちを支えてくれるはずです。

 

嫌なことがあったら、

「今週末はあのおいしいお店に行こう」と、

新しい楽しみを作ればいいのです。

 

そうやって、

小さな楽しみをいくつも用意しながら、

私たちは人生の坂道を、

一歩ずつ登っていくのだと思います。

 

人生って、

そんなに劇的なことばかり起きるわけではありません。

 

むしろ、

ドラマチックな出来事なんて滅多になくて、

ほとんどが、

代わり映えのしない日常の繰り返しです。

 

ご飯を作って、

洗濯をして、

掃除をして、

仕事に行って、

帰ってきて、

また眠る。

 

その繰り返しのなかに、

時々スパイスのように、

ちょっとしたお出かけや、

美味しいおやつがある。

 

その小さなスパイスを楽しむだけで、

毎日の景色は、

ほんの少しだけ色鮮やかになるのです。

 

そういえば、

冷蔵庫の中の食材はどうだったっけと、

ふと思い出しました。

 

そろそろ、

晩ご飯の支度を本当に始めないと、

家族からお腹が空いたとクレームが来てしまいます。

 

今日のメニューは、

冷蔵庫にある野菜をたっぷり使ったスープと、

あとは、

簡単に焼けるお肉でもメインにしようかな。

 

手の込んだものは作れないけれど、

温かいご飯をみんなで囲むだけで、

それだけで十分にしあわせな時間です。

 

完璧じゃなくていい。

 

少し手抜きをしたっていい。

 

自分が笑顔でいられることが、

一番大切なんだと、

今日の休日は教えてくれたような気がします。

 

さて、

エプロンを締めて、

キッチンに向かいましょうか。

 

今日も一日、

よく頑張りました、自分。

 

みなさんも、

素敵な休日を過ごせましたでしょうか。

 

また明日から、

それぞれの場所で、

ゆるりと頑張っていきましょうね。

 

それでは、

そろそろ夕ご飯の準備にとりかかるとします。