こんばんは。

 

いつもブログを読んでいただき、

本当にありがとうございます。

 

今日も一日、

本当にお疲れ様でした。

 

みなさんは、

今日の夕飯、

何を食べましたか?

 

決めるの、

大変じゃなかったですか?

 

実は、

今日の夕方。

 

私は台所の前で、

完全にフリーズしていました。

 

頭の中が、

真っ白になっていたのです。

 

冷蔵庫を開けて、

中身をじっと見つめる。

 

豚肉がある。

 

キャベツがある。

 

卵が3個ある。

 

でも、

ここから何が作れるのか。

 

まったく、

頭に浮かんでこないのです。

 

ただただ、

時間が過ぎていく。

 

時計の針は、

どんどん進んでいく。

 

お腹は空いているのに、

メニューが決まらない。

 

この絶望感、

分かりますでしょうか。

 

ただの夕飯のメニューを考えるだけなのに、

まるで人生の重大な選択をしているような、

そんな重い気持ちになってしまうのです。

 

では、いったい、

なぜこんなにも夕飯を考えるのが

苦しいのでしょうか。

 

それは、

選択肢が多すぎるからなのかもしれません。

 

世の中には、

数え切れないほどのレシピがあります。

 

ネットで検索すれば、

一瞬で何万件もの料理が出てくる。

 

便利になったはずなのに、

逆に私たちを苦しめている。

 

そんな皮肉な現実が、

そこにはあるのです。

 

昔の人たちは、

どうしていたのでしょうか。

 

冷蔵庫を開けて、

あるものでパパッと作る。

 

今日の献立に悩んで、

一日が終わってしまうなんてことは、

きっとなかったはずです。

 

それなのに、

今の私たちはどうでしょう。

 

「美味しくなければならない」

 

「栄養バランスを考えなければならない」

 

「昨日の夜と被ってはいけない」

 

そんな見えないプレッシャーを、

自分で勝手に背負い込んでいるのです。

 

本当に、

生きづらい世の中になってしまったものです。

 

少し、

話は変わりますが。

 

先日、

テレビを見ていたら、

面白い特集をやっていたんです。

 

ある著名な料理研究家の方が、

こう言っていました。

 

「夕飯のメニューは、

ルーティン化しなさい」

 

と。

 

つまり、

月曜日は魚、

火曜日は肉、

水曜日はカレー、

というふうに、

あらかじめ曜日ごとに決めておく。

 

そうすれば、

悩む時間ゼロになりますよ、

という提案です。

 

それを聞いたとき、

私は目からウロコが落ちる思いがしました。

 

目からウロコ、

というのは、

今まで分からなかったことが、

急にハッキリ分かるようになることですね。

 

なるほど、

そんな方法があったのかと。

 

毎日悩むからいけないんだ。

 

仕組み化してしまえばいいんだ。

 

そう、

強く思ったのです。

 

では、いったい、

私もそれを真似して、

さっそく取り入れてみたのでしょうか。

 

実は、

できませんでした。

 

なぜなら、

冷蔵庫の在庫は、

毎日違うからです。

 

月曜日は魚の気分だったのに、

冷蔵庫には豚の塊肉が眠っている。

 

特売で買ったから、

今日中に使わないと傷んでしまう。

 

そうなるともう、

月曜日は魚というルールは、

一瞬で崩れ去ります。

 

計画通りにいかないのが、

人生であり、

リアルな主婦の日常なのです。

 

計画通りにいかないからこそ、

悩み、

苦しみ、

そしてまた冷蔵庫の前で立ち尽くす。

 

そう考えると、

私たちの毎日の夕飯作りというのは、

単なる家事ではないのかもしれません。

 

それは、

日々の小さな決断の連続であり、

自分の限界に挑戦する、

過酷なサバイバルゲームなのだと思います。

 

大げさだと思いましたか?

 

でも、

本当にそうなんです。

 

朝起きて、

お弁当を作って、

洗濯をして、

掃除をして、

 

仕事に行って、

帰ってきて、

そこからの夕飯作りです。

 

HP、

いわゆるヒットポイント(体力)が、

もうゼロに近い状態なのです。

 

そのボロボロの状態で、

「今日の夕飯は何にしよう」

というラスボスと戦わなければならない。

 

そりゃあ、

一日が終わるような感覚にもなります。

 

いや、

実際に夕飯を考えるだけで、

一日が終わっているのです。

 

朝起きて、

気づいたら夜になっていて、

夕飯のことしか考えていなかった。

 

そんな一日を過ごしたとき、

私たちはふと、

虚しさを覚えることがあります。

 

私の一日って、

いったい何だったんだろうって。

 

もっと、

自分の好きなことをしたり、

有意義な時間を過ごしたり、

できるはずじゃなかったのかって。

 

ここで、

大きな問題にぶつかります。

 

私たちはなぜ、

これほどまでに毎日の食事に

振り回されてしまうのでしょうか。

 

それは、

「丁寧に暮らさなければならない」という、

呪いに似た思い込みがあるからではないでしょうか。

 

SNSを開けば、

キラキラした手料理の写真があふれています。

 

彩りのいい野菜。

 

手作りの小鉢。

 

完璧な食卓。

 

それを見るたびに、

自分の手抜きご飯を見て、

落ち込んでしまう。

 

ウインナーをただ焼いただけの夜。

 

納豆と卵かけご飯だけの夜。

 

「あぁ、今日もちゃんとしたご飯を作れなかった」

 

と、

罪悪感に押しつぶされそうになる。

 

でも、

ちょっと待ってください。

 

本当に、

そんなに頑張る必要があるのでしょうか。

 

誰が、

そんなに完璧な食卓を求めているのでしょうか。

 

旦那さんですか?

 

子どもですか?

 

それとも、

他でもない自分自身なのでしょうか。

 

答えは、

きっと最後の「自分自身」です。

 

自分で自分のハードルを上げて、

自分で勝手に飛び越えられなくて、

自分で勝手に落ち込んでいる。

 

何という一人相撲でしょうか。

 

相撲(すもう)、

というのは、

二人の力士が土俵の中で組み合って戦う、

日本の伝統的なスポーツですね。

 

まさに、

私は毎日、

自分自身という見えない相手と、

一人で相撲を取り続けていたのです。

 

そう気づいたとき、

肩の力がスッと抜けたような気がしました。

 

別に、

毎日凝った料理を作らなくてもいい。

 

お惣菜を買ったっていい。

 

冷凍食品に頼ったっていい。

 

生きてさえいれば、

それで十分の一万点なのだと。

 

そう思えるようになったのです。

 

もちろん、

そう頭では分かっていても、

いざ夕方になると、

また同じように悩んでしまうのですが。

 

でも、

以前よりは少しだけ、

気が楽になりました。

 

「今日もよく頑張って生き延びたな」

 

そうやって、

自分を褒めてあげることの方が、

何倍も大切なことなのだと思います。

 

夕飯のメニューが決まらなくても、

世界が終わるわけではありません。

 

お腹を満たせれば、

何だっていいのです。

 

もし、

今日のあなたも、

冷蔵庫の前でフリーズしていたなら。

 

どうぞ、

自分を責めないでください。

 

あなたは今日一日、

本当によく頑張ったのですから。

 

コンビニの唐揚げでも、

カップラーメンでも、

胸を張って食べていいのです。

 

自分を甘やかすこと。

 

それこそが、

この忙しい現代を生き抜くための、

最大の知恵なのかもしれません。

 

明日もまた、

同じように悩む日が来るでしょう。

 

でも、

それでいいのです。

 

悩むということは、

それだけ一生懸命に生きている証拠なのですから。

 

だからこそ、

今日という日の終わりくらいは、

自分の好きなものを食べて、

ゆっくりと体を休めてくださいね。

 

あなたの明日が、

美味しい笑顔であふれる一日になりますように。

 

それでは、

また次回のブログでお会いしましょう。

 

おやすみなさい。

ここで、

少し、話しは変わりますが、

 

みなさんは、

「時間」というものについて、

考えたことはないでしょうか。

 

朝が来て、

昼が過ぎて、

夜が訪れる。

 

私たちは、

時計の針が進むのを見て、

「今日も一日が終わった」と感じます。

 

でも、

ふと思うのです。

 

この「時間」というものは、

いったい、

どこからやってきて、

どこへ流れていくのでしょうか。

 

たとえば、

楽しい時間を過ごしているときは、

あっという間に過ぎ去ってしまいます。

 

逆に、

退屈な会議に出ているときや、

病院の待合室で順番を待っているときは、

時計の針が、

まるで止まっているかのように感じられます。

 

同じ一時間なのに、

なぜ、

こんなにも長さが違うように感じるのでしょうか。

 

実は、

時間は、

みんな同じスピードで流れているわけではないのです。

 

物理的な時間は、

誰にとっても平等に、

一秒ずつ進んでいるのかもしれません。

 

でも、

私たちの「心」が感じる時間は、

そのときの一瞬一瞬のあり方によって、

大きく伸び縮みしているのです。

 

そう考えると、

面白いことが見えてきます。

 

時間は、

外側から与えられた絶対的なもの、

ではないのかもしれません。

 

自分自身の内側から生み出されている、

主観的なもの、

ということになるのではないでしょうか。

 

ここで、

さらに大きなテーマについて考えてみます。

 

「人生」という時間です。

 

私たちは、

自分の人生がどれくらい続くのか、

本当のところは、

誰にもわかりません。

 

明日かもしれないし、

何十年後かもしれない。

 

そう思うと、

少し、

不安になることもあるでしょう。

 

「もっと、

有効に時間を使わなければならないのではないか」

 

「自分の人生は、

これで本当にいいのだろうか」

 

そんなふうに、

焦ってしまうこともあるかもしれません。

 

でも、

ちょっと待ってください。

 

本当に、

そんなに焦る必要があるのでしょうか。

 

効率よく生きること。

 

無駄をなくすこと。

 

スケジュールを隙間なく埋めること。

 

それが、

素晴らしい生き方だと、

私たちは教えられてきました。

 

でも、

本当にそうなのでしょうか。

 

たとえば、

先ほどお話しした、

「夕飯のメニューが決まらなくて、

冷蔵庫の前でフリーズしている時間」。

 

あれは、

無駄な時間なのでしょうか。

 

違います。

 

あれは、

今日一日を必死に生き抜いたあとの、

とても大切な、

自分を取り戻すための時間なのです。

 

生産性がないように見える時間の中にこそ、

人間らしい温かさが隠されているのではないでしょうか。

 

効率ばかりを追い求めていると、

私たちは、

大切な何かを見落としてしまいます。

 

風のにおいを感じること。

 

温かいお茶を飲んでホッとすること。

 

ただぼんやりと空を眺めること。

 

そういう、

目に見えない価値を持つ時間こそが、

私たちの「生(せい)」を、

豊かに彩ってくれるのです。

 

つまり、

時間は、

ただ消費していくものではありません。

 

味わい尽くすもの、

なのです。

 

一瞬一瞬を、

味わい尽くす。

 

たとえ、

それが悩み多き時間であったとしても、

その中に身を置くこと自体が、

生きているという証拠なのです。

 

そう考えると、

日々の生活の見え方が、

少しだけ変わってくるのではないでしょうか。

 

忙しい毎日の中で、

私たちは、

どうしても「未来」ばかりを見てしまいます。

 

「来週の締め切りまでに、

これを終わらせなければならない」

 

「将来のために、

もっと頑張らなければならない」

 

もちろん、

それも大切です。

 

でも、

未来ばかりを見ていると、

「今、ここ」にある足元が、

見えなくなってしまうのです。

 

未来でもなく、

過去でもなく、

 

「今、この瞬間」

 

を生きること。

 

それこそが、

一番難しいことであり、

同時に、

一番尊いことなのだと思います。

 

美味しいものを食べて、

「美味しいな」と感じる。

 

疲れた体に、

お布団が優しく触れて、

「気持ちいいな」と感じる。

 

そんな、

当たり前の日常の中にこそ、

本当の豊かさが眠っているのです。

 

だから、

もしあなたが今、

何かに行き詰まっていたとしても、

焦る必要は全くありません。

 

遠回りをしたっていいのです。

 

むしろ、

遠回りをしたからこそ見えてくる景色も、

たくさんあるはずです。

 

人生という旅路は、

最短距離を走るための競争ではありません。

 

どれだけたくさんの景色を見て、

どれだけたくさんの感情を味わって、

どれだけ自分自身を愛せるかという、

とても個人的な、

そして美しい物語なのです。

 

そう思うと、

肩の力がすーっと抜けていきませんか。

 

完璧でなくてもいい。

 

不器用でもいい。

 

転んでも、

また立ち上がればいい。

 

自分のペースで、

一歩ずつ、

歩んでいけばいいのです。

 

この広大な宇宙の中で、

同じ時代に生まれ合わせ、

こうして同じ空気を吸っている。

 

それだけでもう、

奇跡のようなことなのですから。

 

明日もまた、

いろんなことが起きるでしょう。

 

思い通りにいかない日もあるかもしれません。

 

でも、

そんなときは、

今日の夜の静けさを思い出してください。

 

温かいスープの味を思い出してください。

 

そして、

自分自身に優しく声をかけてあげてください。

 

「今日もよくやったね」と。

 

それだけで、

世界は少しだけ優しくなります。

 

あなたの心の中に、

あたたかな灯りがともりますように。

 

ゆっくりと呼吸をして、

今夜は深く、

眠りについてください。

 

おやすみなさい。

 

また、

お会いしましょう。