ディズニーランド設立のために! | 感動をありがとう!

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こんばんは!ちょもです。

今日は、本場ディズニーランドを作ったときのお話。

1940年代初頭、アメリカ。
ヨーロッパでは第二次世界大戦が開戦されていましたが、アメリカはまだ参戦していなかった為、ウォルトは比較的穏やかな日々を過ごしていました。

ウォルトは日曜になると、ウォルトの娘のダイアンとシャロンをよく遊園地へ連れだしました。
ウォルトはベンチに腰掛け、ピーナッツをポリポリと食べながら、娘たちの遊んでいる姿をぼんやりと目で追っていました。そして思案にふけるのです。
「(どうして遊園地はこんなに居心地が良くないんだろう。もっと清潔にして、もっと安全にしたら、大人も子供も楽しめるのになぁ。もし、僕が遊園地を作ったら…)」

当時は男性中心の社会で、女性や子供のための娯楽を本気で考えようとする人などいませんでした。ウォルトを除いては!

世間では、ミッキー・マウスをはじめとしたディズニーのキャラクターは、子どもから大人まで幅広く人気を集めていました。
そんなディズニーファンのために、ウォルトは小さな公園を作ろうと考えました。

1940年に新設したバーバンクのディズニースタジオの隣にある12エーカーほどの土地に、公園を作り、人々を喜ばせようとしたのです。

しかし、計画もつかの間、アメリカも大戦に参戦することになりました。
ディズニースタジオも軍に接収されてしまい、パーク建設どころではなくなってしまいました。

1945年に終戦を迎えましたが、ディズニーも戦争により経営が圧迫されており、厳しい状況が続きました。

それでもウォルトは夢を諦めません。

1947年にミッキーマウスパークとして夢を実行に移そうとします。

ですが、会社の財務を担う兄のロイは、スタジオの再建が先と関係者にこう漏らしました。

「弟がいろいろと申しているようですが、あれはあくまでも、こんなものがあったらいいという希望を述べているだけで、とてもその企画を実行するだけの資金はございません。」

ですが、ウォルトは、
「会社のお金があてにできないなら 自分でやるしかない!!!」
と決意を固めます。

そんなウォルトに希望の火が灯ります。
1950年に公開したシンデレラが大ヒットしたのです。

そこでウォルトは、自分の生命保険を担保に10万ドルを借り、別荘も売り払って、当面の資金を調達しました。

また、気心の知れた社員を見つけては、新しい事業への協力を説いて回りました。

こうしてウォルトは、1952年12月に、ウォルトだけの、ディズニーランド建設のための会社である、WED(Walter Elias Disney)エンタープライズを発足させたのでした。


ウォルトの反対されても、諦めない心。
見習いたいものです。