2024年3月、奈良県立橿原考古学研究所は奈良市の富雄丸山古墳で出土した「蛇行剣」に把や鞘、石突などの装具が残存していた事を発表、4月初旬にかけて開催された附属博物館での一般公開は多くの人が見学に訪れ話題となりました。
 

 

この蛇行剣の把は、発表のさいに「剣の装具と大刀の装具のハイブリット型」と報じられました。



↑公開のときに配布された資料に掲載されていた概念図。
 把頭に文様が有ることが表現されていますが、見づらいので画像加工してみました。


こんな感じの柄だったのではないかと想像してみました。
把の本体は木製。鞘の木材は朴(ホオ)だと発表されていますが、把に使われた木の種類は未発表の様です。把頭と「鍔」にあたる把縁は直弧紋のような装飾文様が彫刻され、黒漆塗りです。把間(にぎるところ)は糸巻きされていた可能性を考えました。
異常にバカでかいサイズです。



発表された「ハイブリット型」とはどういうことかと言うと、古墳時代の刀剣には両刃の「剣」と、片刃の「刀」があり、それぞれに専用のデザインの把があったという事が分かっていて、この蛇行剣の把はその両方の特徴を併せ持っていたという事なのです。



↓刀の把はこんな感じで、くさび形の大きな把頭が付きます。このイラストでは把巻    の糸が巻かれていない状態で、鞘も描いていません。




↓剣の把はこんな感じで、異様な姿をしていて日本刀の常識からは懸け離れた印象です。把頭は傾いた円柱形で、鍔にあたる位置に横向きに突起が生えています。


↓復元模造品。これらの把は木製で、把頭や把縁には黒漆が塗布され、把間には糸が巻かれていた事が分かっています。


こうした古墳時代独特の形状の刀剣装具があったことはかなり昔から注目されていて、大正時代には研究が始まっていました。その契機となったのはこれら全体が木製のものではなく、把頭や把縁を鹿角を材料として制作されたものが知られていた事からでした。鹿角製装具は木に比べるとやや腐りにくく、形を保ったままで出土した事例が大正時代にはすでにいくつも見つかっていたとの事です。

↓兵庫県西脇市黒田庄の大伏南山古墳から出土した鉄剣の装具は明治時代に見つかったもので、古墳時代の刀剣装具の研究資料として極初期に見つかっていたものの一つです。



★「つか」は「柄」と表記して来ましたが、この度の橿原考古学研究所の発表では「把」とされていましたので、それに倣う事といたします。