先日、生体肺移植のニュース見た。


新聞の記事によると、3歳の子に


母親からの移植で、2年くらい前に


白血病のため、骨髄移植を行ったが


GVHD(移植片対宿主病)によって


片方の肺の機能が落ち酸素吸入を


続けていたと書いてあった。



拓也も2度目の移植後、GVHDのため


本当に苦しめられた。


地獄の苦しみだった。


それを見ていたお兄ちゃんも


苦しんだ。弟を助けたい一念で


ドナーになったのに自分の細胞が


弟の身体を攻撃し苦しめているのだと。


拓也の肺は徐々に硬くなり、呼吸も


苦しくなってベッド横のトイレに立つのも


つらそうだった。


そして再再発。


意識をなくし、ICUに入り、


もう、どう手を尽くしてもダメと言われたけれど


私は、「生体肺移植はできませんか!?」と


主治医にもICUの医師にも、たずねた。


ICUの先生は「僕は本来、呼吸器が専門です。


肺移植は肺だけが悪くて、その他は全く問題のない


人が行っても大変な事なんです。


他に病気のある人には行えません。


白血病が完治しているならともかく


再発している人に肺移植は許可されません」と


言われました。


夫も私も自分の肺で拓也が救えるなら


自分の後の身体なんて、もうどうでも


いいのだと思っていた。




骨髄移植によって完治する人も


たくさんいるけれど、白血病が治っても


GVHDによる症状に苦しむ人も


たくさんいます。






今時、携帯電話を持っていない人を


捜すのは大変なくらい、高齢者も子供も


専業主婦もみ~んな持っているね。


昔は(年がばれる・・・)ケータイなんて


なかったから、家を出たら連絡取れないし、


営業職の人はポケベル(今やワープロと並んで死語)


持って会社を出て、ポケベル鳴ったら会社に


電話入れたりしてた。


今はほとんど「スマホ」。


私、おばさんなので「スマホ」もよくわかってなくて・・・


私の周り(職場)でも、みんな「スマホ」になって来てる。


長男にも「おかんもスマホにしたら?」と


言われるけど使いこなす自信無し・・・・


使いこなさなきゃ意味無いし・・・


今のケータイで十分間に合ってるし・・・・


通話とメール、ケータイBOOK、ナナコくらいしか


使わないし・・・


長男には「パケット代高くなるし、いいよ今ので」


と言っている。


ちなみに今使っているのは「ガラケー」と


いうらしい・・・意味わからないので


さっき調べた。新しいものに挑戦していかなければ


これから、いろんな物についていけなくなるとは


思うけど、今は「ガラケー」でいいや。


家の固定電話も最近はかかってくると


セールスの電話ばかり。


もういらないんじゃないかとも


思うけど・・無いと、なにかの書類に


電話番号を書く場合に、ケータイだと


住所地に確かに住んでいると、信用されない


ことがあるかな?




こんなにケータイが当たり前になっていて


何処にいても電話で話せるのに・・


天国ともつながればいいのにな・・・・・


拓に聞きたいこと、相談したいこと


いっぱいあるんだよ・・・・

生きていることは、すばらしいことだ。


幸せなことだ。




もう10年くらい前、「泣きながら生きる」という


タイトルのドキュメンタリー番組があった。


それは確か中国人の若い女性の話だったと思う。


内容は憶えていないのだが、タイトルだけは


なぜか心に残った。



生きていれば、泣き、また、笑い・・・


いろんな事がある。


泣く事があっても、また笑う日もある。


今の私は、笑うこともあるが


「泣きながら生きる」という言葉が


やはり、一番あてはまるのかもしれない。


私のことをいつも気にかけて下さる方たちがいて


本当に有難くて・・・いつも見習って


私も悲しみの中にいる人たちに寄り添えるように


なりたいと思う。


けど・・・弱虫な私は、今でも


拓也の姿が見えない事に


「何で・・?何で・・!?」と


涙を流すことが多い。


自分に与えられた命が、あとどの位あるのか


わからないが、やはり


「泣きながら生きる」・・生きて行くしかない・・・