年が明けてから、どうも気持ちの落ち込みが酷くてダメだ。


5日から仕事だったけれど、昨日も今日も通勤の


電車の中で泣いてしまった。


家に帰ってからも、頻繁に感情がこみ上げて来て、


1人で号泣している。


やはり、年末年始の休みがよくなかったのかなぁ・・・


今日も電車の中で目を閉じていると、


拓也はあの時どんな気持ちだったのだろう?とか・・


考えれば考えるほど拓也の無念な気持ちを思い


涙が出てくる。


2009年8月、大学の実習が始まったばかりの時に


再発を告げられ、家族もだけれど、


本人はどれほどショックだったことか。


発病した時も死の恐怖はあったけれど、


再発はもっと「死」というものが近くに迫って来るような


思いだっただろう。


でも、どこかで、まだ若い自分にそんなに早く


「死」というものがやってくるとは信じたくない、


信じられない気持ちもあったと思う。


移植後、だんだんと病状が思わしくなくなっていった時、


「怖い、怖い」と言って、私が側を離れるのを嫌がった。


病気になる前から何故か「死」を


極端に恐れるところがあった。


でも、たぶんそれは自分の「死」ではなく、自分の


大切な家族、普通に行けば自分より


先に逝くであろう親や、


祖父母の「死」に対しての恐れだったと思う。


本当に苦しい思いをした。本当に頑張った。


私はあんなにも頑張れないと思う。


幼くて甘えん坊の拓也が家族の中で一番頑張った。


大学もあきらめ、スポーツもあきらめ、


いろんな事をあきらめて来たのに、


「もう生きているだけでいい・・」と悲しい言葉を


口にするほど頑張りぬいたのに・・


悔しい・・悔しくて、可哀想で・・


1年が過ぎて、また最初に戻ってしまった。


波があるので流れに身を任せるしかないのかな・・・


泣きたい時は泣いた方がいいんだよね・・・


私って変なんですよね。新年にいつも思うのだけれど、


「あ~また1年の始まりだ。しんど~。また1からかぁ~。


長いなぁ~」って。なんか振り出しに戻るみたいな感じがして


元気無くすんですよ。



皆さん明日から仕事の方が多いようですけれど、


私も明日から仕事。この休みの間、ただダラダラ


過ごしていただけで何も出来なかった。クリスマス前に


足を怪我したり、年末30日も仕事だったので


大掃除も片付けも出来なかった。(これは言い分けです)


ので正月休みに少しは片付けと「エンディングノート」を


書こうと思ってたのに、それすら出来なかった。


なんか休みが数日続くのも考えものだ。かえって身体が


しんどくてダラダラ過ごしてしまい、考えなくていいことを


考えてしまったり、いろんな事を思い出してしまう。


新年から泣いてると1年中泣くことになりそうだけど、


仕事に行ってる方がその時間だけでも忙しくして神経が


仕事に向いてるので泣かないで済むのかもしれない。


とにかく明日から仕事。


お酒でボケた頭をしっかりさせなくちゃ・・・

日付が変わった。今日は拓也の24回目の誕生日。


かわりにろうそくの火を消すのは2度目・・・


主役がいなくても毎年この日はやって来る。


そして、この世にいる者だけが年を重ねて行く。


病気になんかならなかったら今頃どんな日々を


送っていたのかな?彼女が出来てたかな?


おくてだったからまだ、お母さんに付き合って


いてくれたかな?仕事をして、時々は仕事上の


悩みなんかを話してくれてたかな?彼女が出来てたら、


うれしい反面ちょっと淋しかったかも。


それでも拓也が幸せなら、お母さんも幸せだったよ。


やりたいこと、いっぱいあったよね。


病気が良くならず精神的にもかなり参って来ていたある日、


言ったよね。「俺、今まで生きて来て、言いたい放題言っても


来なかったし、我慢して来たこともいっぱいあった。


やりたい事もまだいっぱいある。


だから・・だから・・まだ死にたくない!」泣きながら言ったよね。


最後までほんとにいい子で小さい頃から駄々をこねて


親を困らせたこともなく、いつも子供のくせに


聞き分けがよくて・・・自分は我慢しても人に譲って・・・


そんなにいい子じゃなくてよかったのに。


もっとわがまま言って自分の思いを通してよかったのに。


こんな短い人生だったのにいつも自分より


人のことばかり考えて・・・・お兄ちゃんはいつも言ってるよ。


「あいつは優しすぎたから、こんな病気になったんや。


もっと自分のこと考えて生きたら、病気になんかならなかった」


って。


いろんな事聞いたよ。


小学校の頃、運動会の練習で走っていて


他の子の靴が脱げて・・・そしたら・・


拓也走るの止めてしまったって。


競争なのに待ってあげないと・・と思ったんだね。


で、先生に「走りなさい」と叱られた。家族で笑ってしまったよ。


拓也らしいなぁって。それから友達のお兄ちゃんの誕生日。


どうして友達のお兄ちゃんの誕生日を知っていたのか


わからないけど、少ないお小遣いでお菓子を買って


行ってあげたんだってね。


それから、個別懇談の時に先生から聞いた話。


給食当番が残した牛乳を捨てるバケツの用意を


忘れていたらいつも黙って拓也がバケツを用意してくれたと。


先生が授業の教材を運ぶ時、いつも拓也が


手伝ってくれたともおっしゃっていたよ。


お母さんの手伝いもよくしてくれたね。


掃除機かけてくれたり、洗濯物たたんでくれたり。


いつも仕事で疲れてるお母さんの心配をしてくれてたね。


お母さん今日、おじいちゃんの眼科の付き添いで


病院に行って来た。


あの病室で今も拓也がお母さんのこと待ってるような


気がしてまた泣いちゃった。よその人に気づかれないように


目にごみでも入ったかのように目をこすって


ごまかすのが大変だったよ。でもバレバレだよね。


また息苦しくなっちゃった。



拓也が生まれた日のこと、昨日のことのように思い出す。


映像を見るようにはっきり憶えているのに、


なんでお母さんの目の前にいないんだろう。


お母さんの目に見えないのにそばにいるの?


抱きしめることが出来ないのに


2011年はやってきて終わろうとしている。


そして思い出だけを置き去りにして2012年がやって来る。


ただただ時は流れて行くんだね。


お母さんと同じ思いをしてる人、たくさんいるんだね。