今日(日付が変わってしまったので昨日)


同居している私の母が緊急入院した。




日曜は夫と私はいつものように教会の礼拝に


出かけ今日、母はカラオケの会の新年会で


午前10時から近くの福祉センターへ行っていた。


父は家で留守番。長男は友人宅へ。




礼拝が終わり、夫は義母(夫の母)の介護


に実家へ。私は買い物をして家に帰った。


午後3時半頃、帰宅し午後4時に父は


母を迎えに行き帰宅した。



食事は別なので父と母は5時半くらいに


夕飯を取ったようだ。私は2階で洗濯物を


たたんだり・・


午後6時20分頃夫が帰宅したようなので


下に降りると母が自室で「苦しい・・・


息が出来ない・・・」と言っていた。




数年前に心不全を起こし服薬していたが


薬は飲んだり飲まなかったり・・


認知症の症状が出てきていたので


薬を預かって管理しようとしたが


これも認知症のせいか納得せず


1日何度も薬を返せともめた。


父も私もホトホト困り、仕方なく


薬は母が自分で管理していた。


週2回しか飲まない薬は父が管理して


いた。(毎日飲んでしまうので)




先日も朝、息苦しいと言っていたので


「心臓の薬をきちんと飲まないと


ダメだよ」と言ってあったので


すぐに救急車を呼んだ。


母が心不全で最初に診察を受けた病院を


救急隊の人に告げたが(ここは今も


バセドー病で通院中)地域の2次救急病院で


内科はいっぱいで受け入れられないとの事。


車で20分ほどの別の病院に搬送された。


診断は心臓に水が溜まり、典型的な


心不全との事。入院することになった。


母は最近認知症が進行しつつあり、


その旨、看護師さんにも伝えた。


今日は集中治療室なので父も私も


帰宅したが、環境が変わると認知症が


進行することがあると言われ、勝手に起きて


トイレに行こうとしたりするとベッドに拘束


する場合がありますので了承して


下さいと言われた。母によく言って


聞かせたが、理解したかどうか・・・


明日、仕事が休みでよかった・・・・


父は耳が遠いし・・・


明日から、日常が変わる・・・・


今日は何度か目眩がするし・・・


体力的に自信がないなぁ・・・・


私が頑張るしかないんだけど・・・・




それにしても救急車はイヤだ。


拓也のけいれん発作で2度救急車に乗った。


つらい思い出ばかり・・・フラッシュバックが


起きそうで苦しかった。



話をした看護師さんに「何かこういう


関係のお仕事されてます?」と聞かれた。


別に専門用語を使ったわけではないが


拓也の闘病生活が長かったので


私の話し方が普通と違っていたのかな?


医学、医療の知識なんか全く無い私だけど


何か違っていたのかな?


複雑な心境・・・・

親ばかだとは思うけれど、拓也は本当に


優しい子だった。


今、洗濯物を取り込みながら思い出していた。


「お母さん、洗濯物たたむの手伝うよ。」と


言って、夕焼けの差し込む部屋で2人で


洗濯物をたたんだ。他愛無い話をしながら・・


食事の支度も手伝ってくれたし、小さな頃は


お風呂に入っていると脱衣所に麦茶が


置いてあり、メモに「飲んでね」と書いて


あった。お兄ちゃんのお昼ご飯を作ってくれたり


コーヒーを入れてくれたり、いつもいつも


私が少しでも楽が出来るようにと考えて


くれていた。闘病生活に入ってからは


「ごめんね。苦労ばかりかける」


「疲れてない?」と気遣いながら


パート先からお昼休憩の時に電話をすると


「早く来て。10分で来て。」と冗談交じりに


甘えていた。


なんでこんなことになったんだろう・・・


なんで・・なんで・・・いつまで経っても


繰り返し思ってしまう・・・

最初の移植後、高熱に苦しんだけれど順調に


3ヶ月後の5月に退院し、家での生活に戻った。


骨髄移植後も免疫抑制剤の服用で免疫力が


下がっているので、神経質なほどに用心した。


通院時や外出時のマスクはもちろん


家族がウイルスや細菌を持ち込まないように


細心の注意を払った。




6月に入って高校に卒業証書を頂きに行った。


2月の卒業式は移植から数日後だったので


拓也は無菌室にいた。


担任の先生から拓也の名前も式で


読み上げられました。とメールを頂いていた。


卒業証書は校長室で1年、2年、3年の時の


先生方、そしてお世話になった保健室の


養護の先生も来て下さり、キリスト教の学校


なので宗教科の先生が拓也の退院と


ドナーになって下さった方に感謝のお祈りを


して下さった。




週に1度の通院から徐々に2週間に1度、3週間に


1度と順調に落ち着いていき、家で大学受験の為に


勉強をし、たまに中学校の時の友達と外出したり


する生活となった。


この頃は再発の不安はまだあったけれど


きっと明るい未来があるものだと


信じていた。