チャペルでの結婚式では大抵


歌われる  


”いつくしみ深き友なるイエスは


罪とが憂いを取り去りたもう・・・”


拓也が好きだと言っていたので


ICUで洗礼を受ける際に司祭さまに


話していたので葬送式での聖歌に


選んで下さった。


今日の礼拝での聖歌の1つだった。


歌い始めてすぐ、葬送式の情景が


脳裏によみがえり、どうにも涙が止まらなく


なった。回りに気づかれないように


何度も何度も涙をぬぐった。


嗚咽してしまいそうなのを


必死でこらえた。




私の教母の方が良い本だからと


薦めてくださった1冊


「置かれた場所で咲きなさい」



夕雨子のブログ







これから読みます。


私の心に力を与えてくれますように・・・




目が覚めたら・・・


全部・・夢だったら・・いいのに・・


10年前の朝だったら・・いいのに・・

拓也が天国へ旅立ってから


私は幸せになったり、感じたりしては


いけないように思って来た。


それ以前に拓也が発病してからは


お風呂上りに1杯の麦茶を飲んで


「あ~気持ちいい」と思うことさえ


罪のように感じて来た。


先日、ふと思い出したことがあった。


拓也が再移植しGVHDの為、


目がほとんど開けられなくなって


呼吸も苦しく悲観的になりつつあった


ある日、病室で、このまま目が開けられなく


なって見えなくなったら、生きていても・・


のようなことを拓也が言った。


「大丈夫。絶対良くなるよ」とは


言えなかった。そう言ったとしても


そのときの状態では拓也には


空しい嘘にしか聞こえないと


思った。それで「ねぇ、世の中には


いろんな障害を持った人がいるけど


そんな事いったら、その人たちに


失礼だよ。障害があるということは


不自由はあるかもしれないけど


どんな状況、境遇でも、その中に


小さくても幸せはあると思う。


その幸せはそんな中でも見つけよう


感じようとする、その人次第だと思うけど


何か障害があるから不幸なんだと


思うのは違うと思うよ。障害があったら


「不幸」だと思うのは失礼だよ。」と


話した事を思い出した。


正直、こんな偉そうなこと言ってたのに


今の私は、どこか幸せを感じることを


拒んでいる。拓也が元気だった頃は


美味しいものを食べては「しあわせ~」


いい映画を観ては「しあわせ~」


拓也といっしょに笑っては「しあわせ~」


だったのに。


少しずつだけど「幸せ」を感じることで


自分を責めないで過ごせるように


なれますように・・・