夕雨子のブログ -19ページ目
チャペルでの結婚式では大抵
歌われる
”いつくしみ深き友なるイエスは
罪とが憂いを取り去りたもう・・・”
拓也が好きだと言っていたので
ICUで洗礼を受ける際に司祭さまに
話していたので葬送式での聖歌に
選んで下さった。
今日の礼拝での聖歌の1つだった。
歌い始めてすぐ、葬送式の情景が
脳裏によみがえり、どうにも涙が止まらなく
なった。回りに気づかれないように
何度も何度も涙をぬぐった。
嗚咽してしまいそうなのを
必死でこらえた。
私の教母の方が良い本だからと
薦めてくださった1冊
「置かれた場所で咲きなさい」
これから読みます。
私の心に力を与えてくれますように・・・
目が覚めたら・・・
全部・・夢だったら・・いいのに・・
10年前の朝だったら・・いいのに・・
拓也が天国へ旅立ってから
私は幸せになったり、感じたりしては
いけないように思って来た。
それ以前に拓也が発病してからは
お風呂上りに1杯の麦茶を飲んで
「あ~気持ちいい」と思うことさえ
罪のように感じて来た。
先日、ふと思い出したことがあった。
拓也が再移植しGVHDの為、
目がほとんど開けられなくなって
呼吸も苦しく悲観的になりつつあった
ある日、病室で、このまま目が開けられなく
なって見えなくなったら、生きていても・・
のようなことを拓也が言った。
「大丈夫。絶対良くなるよ」とは
言えなかった。そう言ったとしても
そのときの状態では拓也には
空しい嘘にしか聞こえないと
思った。それで「ねぇ、世の中には
いろんな障害を持った人がいるけど
そんな事いったら、その人たちに
失礼だよ。障害があるということは
不自由はあるかもしれないけど
どんな状況、境遇でも、その中に
小さくても幸せはあると思う。
その幸せはそんな中でも見つけよう
感じようとする、その人次第だと思うけど
何か障害があるから不幸なんだと
思うのは違うと思うよ。障害があったら
「不幸」だと思うのは失礼だよ。」と
話した事を思い出した。
正直、こんな偉そうなこと言ってたのに
今の私は、どこか幸せを感じることを
拒んでいる。拓也が元気だった頃は
美味しいものを食べては「しあわせ~」
いい映画を観ては「しあわせ~」
拓也といっしょに笑っては「しあわせ~」
だったのに。
少しずつだけど「幸せ」を感じることで
自分を責めないで過ごせるように
なれますように・・・

