17粒目「戦争は国による自国民への犯罪である」 | 砂のブログ

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「線は無数の点から成り、…」で始まるボルヘスの
“砂の本”の様に、始まりも無ければ終りも無い
日々の営みの中で感じたことや思いついたことなどを
つらつらと綴っていこうかなと、ね。

例年のことですが
八月のNHKスペシャルは
世界大戦関連の
ラインナップでした

「原爆死」
「本土空襲 全記録」
「731部隊部隊の真実」
「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」
「戦慄の記録 インパール」
「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」

特に今夏は、
責任の所在追求が
一連のテーマで

決断し命令を出す
政軍の上層部や
命令を兵士に実行させ
指揮する将校など
その多くが戦後責任を逃れ


戦犯として
リストアップされた者は
数千人に上るけど

実刑を受けた
A級戦犯は
大将の東條英機をはじめ
25名
BC級戦犯は
およそ1000名ほど

政治経済警察の有力者とか
情報提供の見返りとして
アメリカに保護された将校とか
クズ共がゴロゴロ


戦前戦中は
兵士と国民に
国の為に死ねと
檄を飛ばし
背けば非国民と詰り
天誅と斬り殺す

ところが、
自らは
自決をすることもなく
おめおめと
生き延びたわけです。


敗戦した
原爆を落とされた
けれど日本は、
被害者ではなく
進んで戦争を起こし
残虐非道な行いもした
加害者で

責任を負うべき者が
罪を精算せず
国民から接収した金品物資で
財と権力を存続させ
ヤミ市で大儲けした奴等が
政財界に食い込み牛耳る

裏切り者
野良犬
泥棒
その子孫らによって

復興へと邁進し
土台が築かれてしまった事が
現在の堕落腐敗した
政経へと繋がっている

そう思うと

この国に
輝かしい未来は
有るのだろうか?

時が来れば又同じことを
繰り返すのではないだろうか?

と。



遡れば、

近代化と国際社会への
一歩を踏み出した
明治維新と
その最大の功労者
坂本龍馬先生の功績は素晴らしい

けれど、

長年の禍根の元であった
武家公家貴族などを
無力にせず解体せずに流用した事で
軍閥政治が引き継がれ
外国相手の様々な戦争へと

つまり、
明治維新は
大失敗だったわけでさ

世界大戦の敗戦は
そのリセットの最良の
タイミングだったのになあ

と。




扠、ね

第一次二次併せ
世界大戦迄の世界各国の戦争を
振り返ると

例え兵器が近代的に
なっていっても

進攻→占領→支配→略奪→反攻→報復→
ふりだしに戻る

という陣取り合戦のループが
古代から延々と続いていて

学者の中には
史上の戦争は連鎖しており
全てで一つだと説く人も多く
自分もそう思う
というか

生物は、
生きる為に闘い争い

サルをはじめ
群れで暮らす生物は
生きる為に縄張り争いをし

蟻や蜂など
群れで暮らし
社会性も有る生物の争いは
更に組織的で

人間も生物ですから
争い事を無くすことは
そもそも不可能で


他の生物とは異なるとはいえ
もしも、無くせたら
それはもう生物ではありません

群れで暮らし社会性の有る
人間という生物が
知恵や技術を発展させる
文明を持ったことで
争い事も過剰になったことは
当然のこと。


戦争は
ダメ、絶対
避ける努力を諦めては
いけないけれど

全ての物事には
裏表や陰陽が在るように
戦争と平和は一対で
片方を消し去ることは
絶対に不可能なこと

戦争は不可避な
一種の“現象”だということを
よくよく理解した上で
どうすれば良いかを考えない限りは

どうにもなりません。




誰が始めようと
戦争に一旦突入してしまうと
国民に止める術は無く
己や家族や友人を守るため
殺された者の仇を討つために
戦うしかなくなる

特に国家間の戦争において
その責任を問われるのは
当然のこと国を動かす政府なわけで

国民に罪は無いのは
日本全土を空襲で焼け野原にし
原爆を落とした
アメリカの国民も同じこと

日本は各国に戦争をしかけ
残虐非道な行いもし
あげくに敗戦

だからといって
例え国民が勝戦国から
負け犬野良犬の如く
扱われたとしても

国が責任を取り
国民を守っていれば

魂までも
腐らせることは
無かったのではないか

驚異的なスピードで
戦後の復興が成されたのは
勿論、必死に働いた者達のおかげ

ですが、

現在の日本を見ると
何かこう凄く大事なものを
修復修正せずに

ここまで来てしまったのではないか?

そう感じてならないんですよね。