14粒目「世界陸上の顔、織田裕二は世界パラ陸上を見たことがあるのだろうか?」 | 砂のブログ

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「線は無数の点から成り、…」で始まるボルヘスの
“砂の本”の様に、始まりも無ければ終りも無い
日々の営みの中で感じたことや思いついたことなどを
つらつらと綴っていこうかなと、ね。

昨日より
イギリスのロンドンで
始まった

“第16回 世界陸上競技選手権大会”

に、先駆け

“第8回 世界パラ陸上競技選手権大会”

が、同地で開催され

NHKの深夜2:55~連日
放送されました。


日本では長いこと
メディアや国民の多くから
パラリンピックをはじめ
こういった障害者による競技は
スポーツではなく

“リハビリの一環”

と、捉えられ

ようやく最近になって
日本人の活躍が増え
スポーツとしての認知度が上がり
NHKが取り上げてますが
それでも民放は見向きもというのが
残念な現実です。




扠、

民放各局にしてみれば

一つには、

スポーツとして
受け止め取り扱うにしても
選手は障害者
うっかりした言動から
炎上し大問題になるかもで
リスクを犯したくない

もう一つには、

数字が取れないというより
リハビリ感の否めないもので
数字が取れるわけない

と、いったとこなんでしょう。


と、いうことは
つまり

スポンサーである企業が
リスクを犯したくない
数字の取れない番組に
金を出したくない

と、いうことは
そもそも

関心も興味も無い
ということで

それでいて、
24時間的なやつは
数字が取れるし
イメージUpにもなると
大金を投じるわけで

醜悪だよね。


どうせ、

数字が取れる
2020年の
東京パラリンピックの
放送権は
民放各局も獲得競争に参加し
企業もこぞって
CMを流すんでしょう?

「当社は障害者の応援支援を~」

的なやつをさ。




まあ、

傷病や障害を抱える方と
どう対応すれば良いか
難しいし分からないってのは
ほとんどの人が
だろうし

なんかあれば
企業やメディアは
頭を下げるだけでは済まされないし


只、

彼らのほとんどは
助けが必要な時以外は
健常者と同じ様に
接して欲しい
同情や憐れみは必要ない

そういうことなんだろうってのは
なんとなくでも分かるだろうし

問題は、
彼ら側ではなく
彼らに対し
失礼な言動をし

“悪い人間になりたくない”

っていう健常者側の保身やエゴ

相手に悪いから
傷付けたくないというより
傷付けることで
自分が傷付きたくない

なんだよねえ。


これってさ、
自我を守ろうとする
防衛本能の一環で

例えば、
身近なとこの
あるあるで

相手の言動に対し
どうなの?という挙動をし
どうしたの?と聞かれたが
ハッキリ言わずに誤魔化してしまった

自分に対して
明らかに何かある態度をされ
どうしたの?と聞いたが誤魔化された

ハッキリ言わなかった
ハッキリ言えなかった
その理由として

傷付けたくない
喧嘩したくない
相手の為や
互いの関係性の為を
思ってのこと

など、挙げるのでしょうけど


本当に
相手のことを思うなら
間違いは正すべき
自分の意見をハッキリと
伝えるべき

間違いを正さなかったことで
相手は間違ったまま
この先も過ごし
他の誰かに
何だコイツ?とか
何言ってんの?とか
思われても平気なのが
相手の為を思ってのことなわけ
ないじゃん?

要は、
自分が
嫌な思いをしたくない
だけでさ

この対人関係での
防衛本能は
友人知人などにだけではなく
親兄弟にも発動され


親が子どもを
躾たり注意をする際に
キチンと順序だて道理を説明するのを
面倒臭がって
只デケェ声で叱り飛ばす
あれ、

子どものことを
本っ当に思うなら
それが間違ったことと
自然と分かるはずなのに

知ってか知らずか
我が子への愛よりも
自身を守ることを優先して
しまってるんですよ。


だもの、
アカの他人に対し
親身になるのも
胸襟を開くのも
同情や憐れみの目で見ず
普通に接するのも
簡単には無理

だけど、
それでいいわけも

ねえ?