547粒目「仮面ライダーアマゾンズ ヒーローものは、こうあるべき」 | 砂のブログ

砂のブログ

「線は無数の点から成り、…」で始まるボルヘスの
“砂の本”の様に、始まりも無ければ終りも無い
日々の営みの中で感じたことや思いついたことなどを
つらつらと綴っていこうかなと、ね。

日本の特撮もの
と、言えば

ゴジラ、
ガメラをはじめ
怪獣ものと

仮面ライダー
戦隊
ウルトラマン
各シリーズの
特撮ヒーローもの
ですが

自分の考える
ヒーローの第一条件は
“孤独”であって

多対一の戦隊ものより
人と人成らざる者の境界線で
独り苦悩する
ライダーとウルトラマン

特に、改造人間


この“改造”人間
というワードが最近では
放送倫理上不適切らしくて
平成ライダーには使われませんが

どんな言葉だっても
侮蔑や差別の意を
込めるか否かは
その言葉を発する奴
次第でさ

そういう奴の
人間性云々を問わずに
只、言葉そのものだけを
どうこうってのは
何ら解決の努力をせず
臭いものに蓋ってだけの
ことで

差別侮蔑の意を持つ奴らと
同じでさ、寧ろ
より醜悪だと思わない?


勝手に人外の者へ改造される
という不条理を
お見舞いされながらも
人の為平和の為正義の為に
我が身を犠牲の仮面ライダーに
惹かれ

1号からBLACK迄の
“昭和”ライダーシリーズは
全部見ましたが

クウガからの
“平成”ライダーシリーズは

見たり
見なかったりで

最近は、
米のアメコミヒーローにも
仲間の絆や
独りじゃない的な
風潮が多いんどけど

バットマンの様に
執事アルフレッドという
良き理解者は居るけど
ヒーロー故に
孤独感は否めない拭えない
とか、

スーパーガールの様に
“新米”ヒーロー故に助けが必要
という必然性があれば
ともかく

なんかさ、
ジャンプ漫画の
バトルものの様に
人気という数字を得る為に
最も簡単で考え要らず
手っ取り早くて
実績もあり確実な

ストーリーとは
関係の無い
見映え一発の
キャストを使った魅力的な
キャラを増やす手法
という名の“商業戦略”臭さが
漂ってさ

吐き気を催すんだよね。




で、

現在
TOKYO MXと
BS朝日の深夜に
放送中の

「仮面ライダー アマゾンズ」

が、面白い。


放送時間が深夜の理由は

流血や
人喰いなどの
残酷なシーンが
多いからで

敵となる
人を喰うアマゾンも

この作品におけるアマゾンは
特定のヒーロー名
じゃあなく
異能の怪物に変異した者
全ての総称


元は、人間だし

主人公のアマゾンが
それを倒す手段は
真っ二つや串刺しや
抜き出した心臓を握り潰す
とか、だし

平成ライダーシリーズは
大人も楽しめる
っても、

人類を害そうとする悪の組織が
怪人まで作って
人も殺さずに
嫌がらせ程度の悪事なんてのには
所詮、無理があってさ


だったら初めから
子ども向けの番組で
善悪を問う為とはいえ
戦闘ものなんか作るなって
ことさね

だから自分は
唯一、ジブリ作品の中で
逃げも誤魔化しも無い
“もののけ姫”が好きなんだよね


ダーク・ホラー要素の強い
石ノ森氏の原作漫画に
より近い作品として

自分的には満足。


二人のアマゾンも
一人は、
若いイケメンだけど
もう一人はワイルド系の
大人な男で


演じてる谷口さんって
多分ゴーブルーかな?だとしたら
もう40近いんじゃ?

甘ちゃんの若造と
人生経験豊かな苦労人のオッサン
という対比も

素晴らしい。


作るということは
どんなものでも
そうだけど

作り手以外の
余計な思考は必要なく

それを世に出すか否かや
それが金になるのか否かは

作ってから判断しろって
ことさね。




そう言えば、
マクロスも
当時、新進気鋭の
若手クリエイターらが
局やスポンサーの意向を
振り切って作ったんだよねえ。