“愛=金”ですよ?
慈しむ、思い遣る、
という本来の意味において
“愛”は
=金では
ありませんが
親子、
きょうだい、
友人、
恋人、
夫婦、
など、
特定の関係の相手に対し
他の者より優先して
注ぐ、尽くす、
“愛”は
=金で示すことが
出来るでしょ?
尚且つ金額で
その深さ大きさを示すことも
出来るでしょ?
慈しみや思い遣りの心
という意味での“愛”は
特定の人に対してのみを対象と
すべき事ではないので
ほとんどの方が思われる
愛は=金です。
…
だから、と言って
別に悪いこっちゃなく
人として生きるには
金が必要で
より楽に生きる為に
何かを成し遂げる為に
より幸せになる為に
金は、あった方が
良いんだから
愛=金は恥ずかしいこと
ではないんだけどね。
慈しみや思い遣りの心から
見知らぬ人へ募金や寄付をしてる
と、言う人も
大勢いることでしょうけど
…
じゃあ、さ
そんな余裕が無ければ
どう?
借金してでも
できる?
自身の、
状況や都合に左右される
条件付きの愛を
慈しみや思い遣りから
とは、言い難いでしょう?
…
それに、
嫌いな人にも
慈しみや思い遣りを
例外なく発揮出来るのか
と、問われたら
でしょ?
傷病者、障害者、
被災者、高齢者、
など、困っている人達に対し
支援金、寄付金、義援金、などで
いと易く手を差し伸べることが
出来るのは
“困っている”
“助けを求めている”
“助けるべき”
人達だと“漠然”とでしか
分かってないからでさ
もしも、
寄付金の
渡るべき困っている
人達が
好ましくない人ばかりや
善人とはいえない人ばかり
だと、実際に
会ってみて痛感したら
…
それでも出来る?
…
それでも、困っているんだからと
手を差し伸べることが
出来るなら
それは、
例え金で示そうが
慈しみや思い遣りの心
“慈愛”
と、云えることでしょう。
結局ね、
よく知りもせず
よく分かりもせず
善いことと
されている行いを
することで
善い人に成りたい
というだけのことが
多いんですよ。
…
ま、困っている人達
にしてみれば
助けてくれるなら
相手の考えは関係無いしね
扠、ね
…
善いとされる行いを
することは
とても善いことだし
愛を金で示すのは
決して悪いことではない
けれど、
人に限らず
あらゆる生物や物
この世の全てを
慈しみ思い遣れる人達が
もっともっと増えなければ
人の、
地球の、
未来は
…
それには、
自身が
どうして
どんなつもりで
その“愛”を示すのか?
心の奥底を覗き
自身の人間性を探り
自身の真実を知ることが
第一歩、だと
思ったりもするんだよね。