539粒目「短気も気長も、使いよう」 | 砂のブログ

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「線は無数の点から成り、…」で始まるボルヘスの
“砂の本”の様に、始まりも無ければ終りも無い
日々の営みの中で感じたことや思いついたことなどを
つらつらと綴っていこうかなと、ね。

短気は
損気、などと
言われ

昔から、
欠点や弱点
悪いことの様に
言われていますが

必ずしも短気は全て
よくないこと
というわけでは
ありません。




“気”が
“短い”と書いて
“短気”

“気”は
“気持ち”つまり

“気持ち”が
“短い”ということ

“気持ち”の
“持”という字は

元々、
引き分けること
あいこ
という意で

転じて、
決着が着かない
宙ぶらりんの状態が続く

たもつ、
たもたれる、
もつ

と、なり

気の
たもたれよう、もちよう、

気持ち

と。


要するに気の有り様が

“持続しない”
“変わりやすい”

と、いうことで

じゃあ、
やっぱダメじゃん?
と、思う人は多いことでしょうし

「石の上にも三年」
「急いては事を仕損じる」

などという諺もあるように
“我慢”や
“忍耐”が効かない
のでは?とも思うことでしょう。


が、

我慢や忍耐は
精神力の問題で
人間性の性質の問題

気の有り様は
状態変化の問題なので

車に例えると、
我慢や忍耐は
車自身の“耐久力”
気持ちは“燃料”でさ

我慢や忍耐には
その限界があっても
気持ちは
継ぎ足すことができ

要はね、

短気だから
我慢や忍耐が出来ない
というわけじゃあ
ないということなんです。



そもそもの
人間性が

精神力が弱く
我慢や忍耐力が無く
粗暴で
強欲で
我が強く
利己的

などの輩が
短気から犯罪を
ということはありますが

悪徳な
政治家や弁護士や医者
詐欺師
連続殺人犯や
テロリストなどからも
分かるように
大悪人は粘り強く辛抱強く
しぶといもんですしね。




短気の“利点”を
考えたとき
気の有り様が変わりやすい
ということは

切り替えが早い
決断力がある
物事を客観的に見れる

ということにも繋がり
好機を逃さない
ということでもあるわけで

逆に、
気長だから何事にも
長じるというわけでも
なく


自身の短期を
自覚し
立ち振舞いを考え
適材適所な
身の置き所を探すのが良い
と、いうことです。




因みに、
だけど


集団、
グループ、
コミュニティ、を
構築すると

勤勉な者“だけ”を集めても
その中の何割かは
怠惰に変質する様に

気の長い人だけを集めても
やはり何割かは短気に
変質し

それは、

同じ特質の者だけを
集めた集団は
余り良くないことという

集団生活を営む生物の
防衛本能からだったりも
するんです。