523粒目 「サイトウさんの続きと、名前はタグではありません」 | 砂のブログ

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「線は無数の点から成り、…」で始まるボルヘスの
“砂の本”の様に、始まりも無ければ終りも無い
日々の営みの中で感じたことや思いついたことなどを
つらつらと綴っていこうかなと、ね。

前粒の
続きを、少し




「斎藤」の
サイトウさんの
由来は

藤原氏の
某(名前は忘れました)が
伊勢神宮の
斎宮頭へ就いた際に
“斎宮”の
“藤原”で
斎藤の姓を名乗った
ことに始まります。


“斎宮頭”
とは、

伊勢神宮などに
巫女として
奉仕する
天皇の皇女である
斎王の
御所を斎宮と呼び

斎宮で斎王の
世話をする者らの
リーダーという
たいへん名誉ある職のこと




扠、

そんな斎藤さんは
他のサイトウさんも
含め、東北地方に
多いのですが


藤原の某転じて
貴族で斎宮頭の斎藤さん
にしろ
その子孫にしろ
東北方面への移転移住の
記録は無いので

そのほとんどが
貴族で斎宮頭の斎藤さん
とは、関係の無い
サイトウさんということです。


東北は、
奥州藤原氏が
長く治めた地なので

例の、
明治新政府が行った
国民一斉名字付け大会で

貴族への憧れや
貴族の血筋と称してれば
何か美味いことでもないか
というセコい考えからか
かといって
直球で藤原姓を名乗るのも
何だしということで
サイトウさんを名乗った
のかも知れません


が、

結局は間違われちゃうんだから
何とも平民は哀しいね。




現代では、人口的にも
名字が無いと色々と不便ですが

明治時代までは
“何処の誰々”という
呼称が普通でさ

例えば、

上川北(川の上流の北側)
の(に住む)
茂吉
とか、

東新田(村の東の新しい田)
の(を持ってる)
与作
とか、

辻向こう長屋の
(十字路を越したとこにある長屋の)
大工の棟梁の
熊さん
とか、

呼ばわれてた
わけで

プチ情報の入ってくる
呼称は
それはそれで
フォルダの
タグのごとき
現代での個人名の扱いよりも
人間性を感じたりします。




そう言えば、

時代劇の人気ジャンル
捕物帳の主人公らの仕事は
“岡っ引き”ですが

銭形平次にしろ
人形佐七にしろ
銭形や
人形は
名字じゃあなく

“投げ銭”の平次
“人形町”の佐七
“三河町”の半七

で、名字が無いのは
つまり

彼らがどんなに
下っぱだとしても
役人でも武家でも無い
只の一般市民だということが
分かり

更に、
岡っ引きは
軽犯罪者に
赦免と引え換えに
幕府へ協力をさせていたもので

時代劇ヒーローの平次らは
実は、
前科者なわけでさ


名字のこと
名字の由来のことを
調べると
結構、面白いし

ルーツって、
アイデンティティの
根幹に
あるものだから

大事です。