520粒目 「主観と客観、正しく観る為には両方が必要」 | 砂のブログ

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「線は無数の点から成り、…」で始まるボルヘスの
“砂の本”の様に、始まりも無ければ終りも無い
日々の営みの中で感じたことや思いついたことなどを
つらつらと綴っていこうかなと、ね。

“冷静”さと
“客観的”な目

多くの人は、
客観的にみるには
冷静にならねば
冷静にならなければ
客観的にみることは出来ない
と、思いがちですが

必ずしも
冷静なら客観的に
みる事が出来る
とは、限りません。


冷静、
というのは
脳が正常に働き
情報を処理し状況への的確な
対応ができる“状態”のことで

方法、技術、
テクニックである“客観的”と
結び付くものではなく


謂わば、

冷静とは
コンピューターの
動作環境を整えてやることで

客観的とは情報処理ソフトの
一種です。




扠、

“客観的”
と、言うのは
“客”として
“観”ると書き

自身の
趣味嗜好
思考思想
性格人格

などに囚われず
対象となる
物事を“観察”する
ということです。


例えば、

ある人が素晴らしい
と思った何かを客に見せても

それは
その人の視点での
素晴らしい何かであって
客が皆、同じ様に素晴らしいと
思うわけではありませんし

他の人が
どう感じるかは
その人に聴いてみなければ

実際は聴いたとこで
理解が出来なければだし
理解が出来たとこで
本人ではないので
真に理解は出来ませんが

分かりませんので
物事を客観的な目でみる
テクニックが
重要となるわけです。




扠々、

物事や
言葉には
必ず反対の
物事や
言葉が存在し


“反対”
という言葉は
その使われ方から
反発し対決する
という争い的な意味合いに
捉えられがちですが

本意は、

反面が
対になる
関係性を示すことで
全く別々の存在を
指し示しているわけでは
ありません。


“客観的”の反対語は
“主観的”ですが

これらも“とある何か”を
挟んで対立しているので
そのどちらを欠いても
その、とある何かを
正しく観ることは出来ない
ということです。


全知全能の神でも
ない限り、

一個人の視点から観た
結果に因る判断が
他の全てに優れ勝るわけもなく

主観的に、
客観的に、
観る事で
互いの
観察結果を
修正改善することが
大事だということです。



なんです
が、

主観的な見方というのは
この世で唯一無二の
自身を生かす為に不可欠なことで

物事を客観的に
観る為に

自身の
趣味嗜好思考思想性格人格
を、横へ追いやることは
とても難しいので

自身の観点を
主観的と位置付け
他者の意見を聴く必要がある
と、いうことです。




よく、

傲慢な
自信過剰な
オラオラな
人がさ


ま、
そうなるからには
それなりの才能やスキル
経験などが有るから
なんでしょうけど

他人の意見なんて
知ったことか
なんて言動をするけど

それって結局のとこ
とある何かの
一面しか観てないわけで
とある何かへの最大の
侮辱なわけでさ

最低だし、
格好悪いよね。