513粒目 「消費行動の、理屈ではなく理」 | 砂のブログ

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「線は無数の点から成り、…」で始まるボルヘスの
“砂の本”の様に、始まりも無ければ終りも無い
日々の営みの中で感じたことや思いついたことなどを
つらつらと綴っていこうかなと、ね。

“Business Journal”
に掲載されていた
消費者問題研究所とかいうとこの
代表
垣田達哉氏の
例の、
日清のCM中止問題についての
記事を読んで



垣田氏
曰く、

消費者は
我儘で
天の邪鬼である

同じような不祥事を起こしても、
批判される企業もあれば、
それほど批判されない企業もある。

それは不公平じゃないか
という声も聞くが、
消費者はそんなものだ
消費行動は理屈ではない
好き嫌いだ
誰がなんと言おうと
好きなものは好き
嫌いなものは嫌い
なのだ。

期待していた人ほど
裏切られ感が強い
好きだった企業に
裏切られるのが一番嫌だ
好きでもない企業
特別関心もない企業が
何をやろうとどうでもよい
というのが
消費者の心理だ

だから、
同じようなものを
販売・提供しても
売れる企業もあれば
売れない企業もある。


だとさ。




いやいや、あのね
消費行動というのは

“嗜好”
“価格”
“品質”
“経済状態”
“消費量”

に、
因るもので
状況によって
そのバランスが
変化し

好き嫌いが
消費行動に強く影響する
場合は

嗜好が他を圧倒するか
経済状態に余裕があるか

だけ、
なんですよ。


もっと言えば、


カップ麺
ポテチなどの各種菓子
ペットボトル飲料
コンビニの弁当やパンやスイーツ
ハンバーガーなど
ファーストフード商品
等々、

各メーカー各店の
価格や品質が
どっこいの場合

好き嫌いに因って
選択が為される
とは言え

それは品質、
クオリティに差が無い
ということが
前提となっているわけです。


そもそも、
好き嫌いというのは
自己満足的
かつ利己的な
依怙贔屓のことですが

消費行動における
好き嫌いとは
自身にとって

食品なら
ウマイかマズイか
生活必需品や
家電や家具などなら
使い勝手や便利さや耐久性の
良し悪し

を、
指すわけで
それって要は
品質、つまり
クオリティのことで

どんなに安かろうが
マズイものは買わないし
どんなにウマかろうが
高いものは買わない

そして、
そのクオリティに
見合った納得のいく価格

更に、
頻繁に使う
からこそ
高くても品質の
良いものを

又は、
頻繁に使う
からこそ
品質を問わず
安いものを

という、
消費量との絡みも
加わるわけで

嗜好を満足させる為に
好き嫌いだけの買い物なんて

あり得ません。




扠、

そういった
道理にもとづいた
消費行動の

どこが?
理屈ではないと
言うのか

我儘で
天の邪鬼だと
言うのか

そして、
理に適った
根拠も示さず

誰がなんと言おうと
好きなものは好き
嫌いなものは嫌い

などとは、
金持ちの言い種か
経済状態を気にしない故に
親にねだれる子どもの
駄々の様です。



大体さ、
好きな企業
好きでもない企業
ということは

どうして
好きか?嫌いか?
の、理由が
ちゃんと有る
わけでさ

好きでも関心もない
企業が何をやろうとなどと
宣う輩は
ネットなどで見られる
その手の口調を
テンプレなスタイルとした
一部の人間だけで

多くは、
それじゃいかん
このままじゃいかん
とは思いつつも
何が出来るわけでも無く
自分は取り敢えず買わない
というだけです。


同じようなものでも
売れる売れないの差
というのは

消費行動における
バランスを
見誤った取り損ねた
鑑みなかった顧みなかった

ことへの結果
でしかありません。




扠々、

上記した
垣田氏曰くの文は
彼の記事の一部だけど
それだけでも彼が

道理や物理
科学的な考察を
元に思考せずに

自身の思考や言動
こそが正しいと思い込む
独善的
利己的な
人間性だということが
分かり

こんなのが
消費者問題を研究する
代表とは

片腹痛いわ。


“誰が何と言おうと”

とは、
好き嫌い
つまり嗜好という
利己的な指向とは関係無く
道理に基づいた事を
指すわけで


誰が何と言おうと
消費行動のバランスを
欠いた“誠意”の見えないものは

買わないし
買われない

ということです。