512粒目 「作品における死、が二人を別つまで」 | 砂のブログ

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「線は無数の点から成り、…」で始まるボルヘスの
“砂の本”の様に、始まりも無ければ終りも無い
日々の営みの中で感じたことや思いついたことなどを
つらつらと綴っていこうかなと、ね。

前粒の
続きを
少し、





普通、

自身が
死ぬのも
殺されるのも
嫌だし怖いし
大切な人が
死ぬのも
殺されるのも
なんですが

現実にしろ
お話にしろ
死んだら終わりなので
自身は別として

他者の死は



言っても生物は
食物連鎖や
生態系の中で
常に、
他者を殺し
他者に殺され

どんな種にも
生き
死なない
ことへの
権利などはなく

死なない為に生を求め続け
生きる為に死を回避し続ける

だけで、

人間にも
人としての感情に
相反しながらも
一個の生命体としての

自身の命>他者の命

という本能が有り

それが、
あらゆる困難を
乗り越える原動力にも
なっているので



全ての人が
とは、
言いませんけど

死んだ者の為にも
と、
何とか踏ん切りを付け
どうにかこうにか
切り替え乗り越える
ことが可能で

作品においての死は
+レイプ
+惨殺
など、
一個載っかった
酷いものでない限り

乗り越えるべき
乗り越え可能な困難
でしかなく

人生の終いまで
背負い抱え引き摺る
ような困難を
登場人物に用意する方が
効果的な場合がある

というわけです。


これまで観た
作品の中で
登場人物が背負わされる
死以外の困難で
最も、
自分的に
堪えたのは

「私の頭の中の消しゴム」
“내 머리 속의 지우개”

2004(韓)
出演/
チョン・ウソン
ソン・イェジン

で、

大切な人は
生きていて
自分のことを
想ってくれているのに

自分のことを
自分との思い出を
全て忘れられるというのは

相手に死なれるより
自身が殺されるより


もし、
自分であれば
忘れる方
忘れられる方
どちらの立場でも
耐えきれずに
自殺するか
相手を、又は
一緒に

かもな気が

いや、
それは今だから
そう思えることで


昔、
結婚も考えた彼女との
セックス中に

突然、
彼女に首を絞められ

今、凄く幸せだから
この先どうなるかを考えると怖い
だから、幸せなまま一緒に死のう?

と、

目から顔から
彼女が本気なのは
分かったし
その気持ちも痛いほど
分かるし

それも良いかな?
と、
思いつつも

怯んでしまって


今になって
もし、そうしてたら
例え、短くても

幸せな人生だった
のかな?なんて

少しだけ後悔したりして

ね。