249粒目 「哲学と、さとり世代」 | 砂のブログ

砂のブログ

「線は無数の点から成り、…」で始まるボルヘスの
“砂の本”の様に、始まりも無ければ終りも無い
日々の営みの中で感じたことや思いついたことなどを
つらつらと綴っていこうかなと、ね。

最近、哲学が
さとり世代を中心に
ブームの兆しがあるようで…



…何だかなぁ、です。




扠、哲学云々の前に先ず

“さとり世代”って言葉、不快だなぁ…

“ゆとり世代”が差別的だから
言い方を変えただけ
込められる意味は同じって
その方が、より侮蔑的ですよねぇ?




人格や人間性は
育つ環境で造られます
子の性格が親に似るのは
遺伝などではなく
親の人格や人間性と
親が用意した環境の
影響に因るものです。

…産まれて直ぐに
養父母に預け
実父母に無関係な土地で
育てられた子の性格は
誰に似るか?
無論、養父母です。

ですから、

時代ごとの
風潮や世相、
政治や教育の方針が
人格や人間性に
影響するのは当然です。


団塊世代とベビーブーム
高度経済成長に
バブル経済とバブル崩壊
詰め込み教育とゆとり教育

時代背景に強い特色が有る時期に
人格や人間性を形成する
幼少~青年期を過ごした者達から
似通った
人格や人間性、思考を
見てとれるのは
当然ですが

皆が皆、
風潮や世相の影響を
受ける訳ではなく
あくまでも共通点が
“多い”というだけです。


広く云えば人種や国の
狭く云えば地方や田舎の
限定的風習の様なもので

それが当たり前として育った人と
それを当たり前として育たなかった人が
出会ったとき互いに
カルチャーショックを受ける様に

ある世代で育った人が
別の世代で育った人へ
差異を感じるのは当然で

当人にしてみれば…
そういう中で育って
こういう考え方をする様に
なりましたけど、何か?

といったところでしょう。


世代の違いは“年齢”の
違いでもあり
先に生きる
社会や世の中を知る
年長者達の世代が
特に、
社会に貢献し
社会的地位を築いたと
自負する者ほど

後に生き
社会や世の中を
まだまだ知らない
若輩世代の持つ
自分らの知らない
自分らにとって
理解し難い
受け入れ難い
特質を
ピックアップし攻撃する事は
遥か古代文明の頃から連綿と続く

「今時の若い者は」と、いうやつで

これは、
未知のものに対する
警戒心や猜疑心
攻撃性や排他性という
生物の防衛本能ですから
致し方の無い事です。




只、まぁ…

正しいことは
いつの時代いつの世
どんな場所どんな人にも
正しいことに
変わり無く

悪いことも、又然りという様に

先に生まれ
長く生き
沢山の経験をし
社会や物事を知り尽くしたとしても
正しくないことは
正しくなく
間違いは
間違いで…

要は、

バカはバカ…

それだけのことで


言ってしまうと、
ゆとり世代を
上の世代から見て
問題の多い世代にしたのは
誰あろう上の世代に
間違いなく

よくさ、
上司や先輩が
部下や後輩に対して
仕事が出来ない
使えないと
愚痴り嘆く様が
ありますが

仕事が出来るよう
使えるように
教育や指導が出来ない
自分らこそ
無能で使えないんだと云うことや
寧ろ、その方が
大問題だと云うことに
気付かない様に

世代の問題に対して色々と
問われるべきは
その世代の問題を
口にする者達に他ならないんです。


バカがバカを生み育て
更にバカを生み育ての
負のスパイラルを、
どこかで絶ち切りたいのなら
根本から以外には
無いでしょう?




もう1つ、
不快なのが

“括り”です…


時代による、
風潮や世相を反映して
政の方針を試行錯誤するのは
国の仕事ですから

政府が議論しやすいよう
専門家の意見などを得て
世代ごとに括り
カテゴライズし
資料化するのは
まだ、解りますが…

報道機関、
メディアが
世代ごとの括りを
テンプレ化し流布する事は
不相応な見当違いで

その世代の特質に
括られない者に対する
差別…
もはや言論の暴力です。


世代の問題は、
その問題を口にする
上の世代に問題が
在るわけですから

今時の若者を語る
今時の若者を生み育てた
キャスターやアナウンサー
ライターや記者
評論・批評家に
各界の有識者達は
厚顔無恥で傲岸不遜の
間抜けな様を晒し
どうして、ああも平常で居られるのか?
恥ずかしくないんですかね?



是非とも拝聴願いたいものです、はい。







結局、
前置きだけで
長々となってしまったので

本題は次粒で…