250粒目 「哲学と、さとり世代 ~の続き」 | 砂のブログ

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「線は無数の点から成り、…」で始まるボルヘスの
“砂の本”の様に、始まりも無ければ終りも無い
日々の営みの中で感じたことや思いついたことなどを
つらつらと綴っていこうかなと、ね。

哲学と、さとり世代の続き…




哲学が、さとり(ゆとり)世代を中心に
ブームの兆しを見せているというのは


西炯子(けいこ)の
累計160万部
大ヒット漫画を
原作とする
豊川悦司と
榮倉奈々の
主演映画「娚(おとこ)の一生」
や、

コミック累計80万部
「ニーチェ先生~コンビニに、
さとり世代の新人が舞い降りた」
画:ハシモト/原作:松駒(24)

初対面同士で
答えの無いテーマについて
語りあう“哲学カフェ”


などの人気に因る
的な事がネットニュースに
書かれていました…

まぁ、確かに
大きな書店が
哲学の特集やフェアを開くなどして
ブームの後押しというか
ブームを作ろうと頑張っていたり

将来は哲学者になりたいという
NMB48の須藤凜々花(18)さん
のような哲ドルとか

最近、あちらこちらでチラホラと
哲学という言葉を見聞きするのですが

で、何だかなぁ…とね。


それまで、
哲学に全く興味の無かった人が
目耳を傾ける様になる理由には
それまで、の人生で得た
経験やデータ
培ったスキルなどでは
如何んともし難い状況に直面し
窮したりすることが
大概です。

…急に宗教に目覚めたり
信仰心が芽生えたり、とか
も同じ様な理由が大半ですよね


一般的に世に出回っている哲学は

“成功者”による
“自分式哲学”という
“成功の秘訣”のようなものや

自分的“こだわり”の延長線のような

なんちゃって哲学ばかりですが…

結局のところ、
哲学や宗教や秘訣や
何かしら“How to”的なものを求め

自力では、
どうにも出来ないというより
自力では、
どうにかする気の無い者が増えると
それらはブームを見せるわけで

まぁ、手助けは必要ですし
自力で解決出来なくても結果オーライ
は、悪い事ではありませんが

決して地力は着きませんし
人の真似をして得た成功は
決して自分の功績とも言えませんよ?


…要はね、

そういったものが流行るのは

惰弱で
薄っぺらい
まがい物が蔓延る
時代だということです。




「ニーチェ先生~」は、

哲学を大学で専攻していた
作者の実体験を元にした作品で

天災など自力では
どうにもならない事に直面して
無力感がある僕らの世代は
理不尽な事にもぶれない姿を見るのが
気持ち良いのかも

との、作者の言ですが…


確かに天災は、
どうこうできる事では
ありませんが
それは誕生から
今を経て
この先も続く
地球の息吹きですから

この星に生きる
生物全てが同じ条件に
生きているわけで

無力感を抱くのも
理不尽と感じるのも
見当違い甚だしく

何があろうが
起ころうが
死なず生きようとする
生物の本能は
そもそも、
ぶれようのないことで

己の脆弱な行動力や
希薄な意思を逆しらに
言い訳をするんじゃない、と。




「ニーチェ先生~」の担当
川部まゆみ(34)は

“中二病”と言われる
自意識過剰な言動をとりがちな若い世代が
神に頼らず生きる意味を探った
ニーチェに共鳴していると見ている

と、語っていますが…


本来、生物は
生殖活動…子を作る事が出来る様になれば
一人前なわけですが

社会の有り様で
思春期になっても未だ
一人前とは認められず
子供扱いされることで
起こるのが
中二病、ですが…

大人はわかってくれない
とか、尾崎だね


自意識過剰な
言動や
不相応な背伸びや
ポーズってさ…

多少なりとも
経験や知識を得ると、
得る前の自身と比較し
成長度合いを自覚することで
自己のアイデンティティを
確立しようとする
生きる上で常に連続して
起こっていることで

年齢や時代は関係無いんですよ?


神を探らず?…


そもそも、
哲学や宗教などが
問い語り教え伝えることに
特別な事など1つも無く
全てが当たり前のことです。

1+1=2
どんなバカでも解ること、
かも知れませんが
文字を読めない書けない
算数や数学を知らない
数式にする意味が分からない人には
どうでしょう?

あらゆる物事が孕む
真理とは、
人の意思や都合などに
関係無く
敢然として存在するが故に
人が意思や都合の
フィルターを通すと
見えなかったりするもので

それを迷える者に
伝え教え諭す為に
宗教は神の言葉として
仰々しく
哲学は賢者の言葉として
外連味たっぷりに
成功者は自慢話を 

披露する、それだけのことで…

探るも何も、
極々当たり前の事に
地力の自力で
気付き到達した者にとっては
…全く必要の無いものです。




“哲学カフェ”の
事務局カフェフィロ代表
松川絵里(35)は

人はどんなときに哲学を
求めるのか?

正しいと思っていた前提が
揺らいだとき
今もその状態です

と、又

人生には
答えの無い問題も在り
皆で話し、
前提にさかのぼって考え、
自分を知る
それも哲学
悪くないと思います

と…


正しいと思っていた前提が
揺らぐ?

正しいことは
正しいこととして存在し
揺らぎませんので

勝手に
正しいと思っていた
勘違いをしていた
まがい物を見抜けなかった
だけ、で

嘆き求めるべきは
自身の力量のみです。


答えの無い問題
などは無く
あらゆる物事には
必ず、
真理という答えが存在します
ので

…答えが存在しなければ
事象として
この世に現出しないのが
道理なわけで

自分にしろ
何にしろ
何かを知るということは
写真の様に一瞬を切り取っただけでは
知ったことにはならず

そこに連なる全てを
知ることで初めて
知ったことになる、のが
当たり前です。




混迷した世の中に
怪しげな宗教思想が跋扈する様に

迷える子羊は
光を照らす者の
正体や真意も知らずに
それが道しるべと信じて辿り
着いていき

浅はかで
我が強く
我に抗えない
弱い者ほど
小賢しい知恵を奮い
世を人を、惑わそうとします…

哲学や宗教などは
良いことを語っていますが

傾倒し、我を見失い本末…いや

手段の為に目的を選ばず
などという事にならないよう
努々、気を付けて下さいませ。