癌で余命宣告をされた夫が生きている間に急いで息子を結婚させたムスコン姑。夫に先立たれてからは息子を嫁に取られてたまるもんかと息子の世話役を買って出て嫁をないがしろにし、嫁が出産してからは孫の母親役を奪おうと躍起になり、産後の嫁をいびり倒して病気にさせ、嫁から息子と孫を取り上げて若いお母さんになりきり幸せに暮らしていた。
しかし息子はその生活に不満があったのでムスコン姑との生活を解消した。子どもたちは母親の元へ帰りようやく本来の家族としての生活が始まったものの嫁は闘病と育児の両立に悩んでいた。
~息子大好き!嫁大嫌い!孫は私の物よ!な食い尽くし系夫の産みの親ムスコン姑と私の闘いの日々~
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長年離れて暮らした子ども達との新生活はなかなかハードだった。
薬のせいで相変わらず体調が悪くて記憶障害もあり朝まで熟睡できない毎日の中の園送迎やお弁当作りに参観日などの行事の参加は中年の病人にはしんどかった。
頑張って園の役員会議に参加したけど途中で具合が悪くなってしまい、それでも抜けるわけには行かないので最後まで耐えてお開きになったら園長と主任が
「りんごさん具合が悪そうだったわね~」
「具合悪そうでしたね。あはははは~」
と私の目の前で話していました。
何だか悲しかったです。まぁ心配して欲しくて生きてるわけじゃないからどうでもいいけど。
そんな毎日の中、姑の姪に赤ちゃんが生まれました。
姑は産後間もない姪の元へ訪れました。そして赤ちゃんを抱っこした写真を撮ってもらってそれをハイエナが見せてくれたのですが
それがまるで姑から魂が半分抜けたような感じで
「ムスコンさんもう魂が抜けてるみたいだね。お迎えが近いんじゃないの」
と冗談で言うとハイエナは
「そんなことないで」
と否定しました。
そして姑が逆流性食道炎になりご飯があまり食べられなくなったと聞きました。
米が食べられなった姑の主食は焼き芋だったそう。
でもどうせ大したことないだろうなと思っていました。
そして姑宅にて誰かの法事が行われました。
誰も呼ばずに姑とハイエナと私と子ども達だけでやりました。
お経が終わるとお寺さんは帰りました。そして墓参りに行く時にハイエナが卒塔婆を持ったまま玄関から出ようとしました。
私は実家で法事があった時に、毒父が玄関から卒塔婆を出そうとしたら毒父の姉が「玄関から卒塔婆を出したら駄目‼️」と叱っていたのを思い出したので
ハイエナに「玄関から卒塔婆を出したら駄目よ」と言うと
あのムスコン姑が笑顔で
「まあ~、よく知っていたねぇ」
と私を誉めたのです。
いつも小さなことでネチネチマウントを取る姑がそんなことを言うだなんてちょっと信じられなかったです
ハイエナは勝手口から卒塔婆を出していました。
お墓参りの帰り道、私はステロイドのせいであちこちの関節が痛くてゆっくりしか歩けなかったんですが姑はそんな私よりもゆっくり歩いていました。
そして
「私はお盆の時朝の4時にお墓に行ったのよ!!」
と言ってきました。
姑はサービス業のパートをしていたのでお盆は出勤時間が早かったんですよね。
だから仕事に間に合うように早い時間にお墓参りに行ったことを私に話して「お義母さんそんなに大変なら私が代わりにお墓参りに行きましょうか」という言葉を引き出そうとしているんだと思ったんです。
私は黙ってスルーしてそのまま歩きました。
すると姑はわざとゆっくり歩いているのかと思うほどにゆっくりと歩いて私とはどんどん離れて行きました。
この時の私は普通の人よりもかなり歩くのが遅かったです。
そんな私よりも更に歩くのが遅かった姑。
今思えばこの時から具合が悪かったのかもしれません。
お墓参りから戻ると注文していた仕出し弁当を食べました。
私は姑とは食べたくなかったので弁当を別の部屋に持ち込んで一人で食べました。
姑もハイエナもそんな私に何も言いませんでした。
そして台所からは子どもたちが
「婆ちゃんがいいー。婆ちゃんがいいー」
と言ってる声が聞こえてきて姑が
「ママがいいんじゃなかったの」
と言って
「婆ちゃんがいいー」
と言わせて嬉しそうにしていました。
夕飯も姑宅で食べたのですが、この時姑は総菜のちらし寿司をお皿に移してそのまま子どもたちに食べさせていました。
子どもに総菜を食べさせるのは止めて欲しいと思いながらも私は何も言えませんでした。
そして食べ終わるとハイエナが何だったかは忘れたんだけど、姑に何かをして欲しいと頼みました。
すると息子の世話をすることが生きがいだったあのムスコン姑が
「あんたもう何歳になった?もう40歳やろ。自分の事は自分でしなさい」
と言ったのです
これには驚きました。
姑はハイエナが「お茶」と言えば「あんたの為ならなんだって」と言って張り切ってお茶を入れていたような人です。
一体どんな心境の変化があったんだろうと思いながら自宅に戻りハイエナにそのことを言うと
「おかんはね、△ちゃん(ハイエナの祖父の義理の妹)が死んでから自分もそうなるんじゃないかって思うようになった。だからあんな事を言うんじゃないか」
と言われました。
△ちゃんは子どもたちが独立していて一人暮らしでした。
そんな中孤独死をされたようです。
姑はそんな△ちゃんと自分を重ねていたんでしょうか。
そしてお正月が来て、ハイエナは子どもたちを連れて姑宅に行きました。
姑は高い肉を少しだけ用意してすき焼きでもてなしてくれたそうです。ハイエナが肉が少ないと文句を言っていましたよ。
ちなみに私は行きませんでした
その帰り道に子どもたちが暗い顔をして
「もう婆ちゃんには会えないかもしれない」
と言って落ち込んだそうです。
ハイエナは「そんなことないよ!またいつでも会えるよ!!」と励ましたそうですが
それから二週間後の事でした。
夜の7時20分過ぎに突然ハイエナの携帯が鳴りました。
続く。