いつまでも若いお母さんとして必要とされたかったムスコン姑は嫁の病気に付け込み嫁を一人で暮らさせて息子と孫を取り込み息子の妻として孫の母として生活をしていた。
欲が出た姑は息子夫婦を離婚させて自宅をリフォームして息子と孫と甘い生活をしようとしたが息子に反対され挫折。
夢破れた姑は息子と孫を手放して嫁の元へと送り出したのだった。
~食い尽くし系夫の産みの親ムスコン姑と私の闘いの日々~
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今思えば最初からおかしい(-_-;)
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子どもたちとハイエナと暮らし始めるに当たって、今までのアパートでは1LDKだから狭いと言うことで新しいところに引っ越すことになった。
引っ越し屋さんに見積もりに来てもらって段ボールとガムテープを支給?された。
荷造りは全部私が担当
ハイエナは姑の所から仕事に通い、引っ越し準備には完全ノータッチだった
私は働いていないから荷物全部まとめといてってさらりと言われましたよ。
引っ越しは二人で協力してやるものじゃないんですかねー。
働いてないから全部やれって何それ。
子守があるからできないとも言われたけど子どもは姑に預けてくればいいのでは?
まぁあの姑が私にとってプラスになることに協力してくれるとは思えないけどさ。
だから私一人でせっせと段ボールに色んなものを詰めましたよ。
それと結構不用品が溜まっていたのでそれを処分するために業者に引っ越しごみの回収に来てもらったんですが、その準備も手配も支払いも立ち合いも全部私一人でやりました。
ゴミは部屋の外に出さないと回収してもらえなかったので運ぶのが結構手間でしたね。
この頃はまだ夜全然眠れなかった上に薬のせいで精神的にきつくて不安で挙動不審だったからこういう何でもないやり取りでも私にとっては負担でした。でもやるしかなかったんです。車屋さんと車の点検の予約の電話をすることすらおっくうだったと言うのに無理をさせるなバカ野郎。あ、今は薬が減ったから平気だけどね。何でもかかってこいって感じ。
ゴミは結構たくさんあって、あんなに狭いアパートによく収まっていたなって感じでした。
体調は悪かったけど働いてないんだからやれと言われたらやるしかなかったですね。
俺は仕事だから休めないと言われたらそれまでだし。
あと入居時に姑と舅から無理やり買わされた大きな家具もいくつか処分しました。
二人暮らしなんだからそんなに大きな家具はいらないって言ったのに組み立て式の大きな食器棚(レンジや炊飯器もおけるやつ)や、姑にごり押しされたやたらでっかいベビーベッド、空気清浄機、食事用のテーブルと椅子、食器乾燥機とそれを置いていた棚などを引っ越し屋さんに有料で引き取ってもらいました。
姑と舅が余計な口出しをしなければこんな余計なものは買わなかったし余計なお金もかからなかったのにね。
結局ハイエナが手伝ったのは引っ越し当日にアパートから引っ越し先まで車で誘導して鍵を開けて荷物を入れてもらうのに立ち会っただけでした。
それで引っ越してもまだ姑の所にいたハイエナ。
しばらくは私一人で暮らしていました。
どうやらママンに引き留められていたようですよ。
で、ある時からハイエナだけが夜勤帰りにうちに来るようになりました。
ハイエナが帰ってくるのは夜中の3時頃でしたが、ハイエナは
「一人で家に入るのが怖いから玄関を開けて欲しい」
とすっとぼけたことを抜かして薬で寝ている私をピンポンで起こしていたんです。
こっちは2時間寝てはⅠ時間起きてを繰り返していた頃だったので、ようやく寝れた~と思ったところで無理やり起こされるわけだから調子が狂いましたね。
それで玄関を開けたら「もう寝ていいよ」と言われてもう用無しだと言わんばかりにハイエナは風呂に行きましたがこっちは変な時間に起こされたらただでさえ眠れないのにますます眠れなくなってしまって本当にいい迷惑でした。
大の大人が怖いから夜中の3時に起きてくれってバカですか?
で、二階で寝ていたから階段を降りていると何だか股関節の辺りが痛くなるようになったんですよね。
普段歩いているときは大丈夫だったんですけどなぜだか夜中に階段を降りる時だけそうなるようになったんです。
それをハイエナに言っても
「ああそうなの?」
股関節が痛くなるから夜中に起きたくないと言っても
「へえ、そう」
で終わって全く心配してもらえませんでした。
ムカついたのでその症状をググったところ気になる病名にヒットしました。
症状が当てはまりすぎるので私は病院に行きました。
すると「最近ステロイドが増えたり減ったりした?」と言われてレントゲンを撮影されて
「今見た限り折れてないけど見えないところで折れているかも。大腿骨頭壊死。MRIの予約を入れます」
と言われて後日MRIの撮影に行きました。
結果は異常なしでしたが、「何で痛くなったんですか」と聞いたら「よく分かりません」と言われましたそれを調べるのがあなたのお仕事ではありませんかと思いましたがまぁ何でもなかったのでよしとしました。
でも夜中に起こされてああなったんだから原因はハイエナですよね
慣れない家に夜中一人で入りたくないからと睡眠薬で寝ている妻を起こして平気だなんて私の事全く考えていませんよね~。
それでいよいよ子どもたちもこっちに引っ越してきたその日、ハイエナに連れられて姑もやってきましたよ。
姑は家中隅々までチェックしては
「大した事ないじゃない!」
と言い続けて
「お風呂だけはいいわね」
と何度も言っていましたが、ハイエナによると姑は風呂に入ろうとしていたそうです
息子夫婦の家を見に来て風呂に入りたいだなんて厚かましい。風呂釜に姑菌がつくじゃないか~
まぁハイエナに連れられてそのまま帰っていきましたが。
それから子どもたちとの生活が再開しました。
もう何年も離れて暮らしていたので親子という感覚はなかったです。親しくない親戚の子が遊びに来てるって感じでした。実の親子なのに
上の子はすぐに私に懐きましたが、下の子は姑にどっぷり可愛がられていたらしく私に対して警戒心が強くて最初はなかなか話をしてくれませんでした。警戒心と言うより不信感でしょうか。無理もありませんよね、ある日突然お母さんがいなくなって長い間祖母に育てられたんですから。
下の子はいつもロボットをガチャガチャさせたり、ライダーベルトで遊んだりと黙ってずっと一人で遊んでいました。
あと姑から買ってもらったタオルケットと喋るぬいぐるみをいつも持ち歩いていて「これは婆ちゃんの代わり」だと言っていました。寝る時も一緒。タオルケットを首の周りに巻いて寝ていました。まるで祖母に包み込まれるかのようでした。
下の子にとっては姑がママになったのです。
悔しいけれど本当の母親と離れて暮らしたせいで下の子は姑を母親だと思うしかなかったのです。
それだけは避けて通りたいと思っていたのに私が病気になったばっかりにこんなことになってしまって
いや私が病気でも姑が孫を奪うようなことをしなければここまでこじれることはなかった
子どもたちはハイエナがいる時にはすごく嬉しそうにはしゃぐのに私しかいない時は大人しかった。
上の子の家庭訪問の時にハイエナもいたんだけど、上の子はハイエナにばっかりべたべたするから担任の先生に
「お母さんよりお父さんの方に懐いているんですね」
と言われて地味にへこんだわ。
そうなりたくてなったわけじゃないのにね。
で、ハイエナが日勤の時は子どもたちの寝かしつけをしてくれたんだけどいない時には子どもたちがなかなか寝てくれなくて困りました。
まず部屋を真っ暗にして寝ようとしたら
「電気がついてないと寝れない」
と言うのです
それってどういうこと?と思って話を聞くと
「婆ちゃんはいつも電気とテレビをつけて布団に入っていた~」
と言うではありませんか~!!
幼子相手になんちゅう寝かしつけをしとるんじゃい
しかも爆報!フライデーを見ながら寝かしつけていたそうですよ。
あんなもん見せながら子ども寝かすんじゃねーよ
自分は明るい部屋でテレビを見ながら子どもたちが寝てくれたら楽でしょうけどそんなの子どもの成長に悪影響ですよね?私だったら絶対にそんなことはできない。
だけど子どもたちはもう何年もそのやり方で寝かしつけられていたから電気がついてないと寝れない、とうるさくて
電気を消したら諦めてそのうち寝るかと思ったけど9時を過ぎても寝ようとしなくて
仕方ないのでしばらくは電気をつけたまま寝かせて寝付いたら電気を消すようにしましたよ。
全くもう姑のせいでこんなことになってしまってムカつく!!
孫を育てたいのならまともな育て方をしろや!!!人の子を何だと思っとるんじゃい
あと、「上の子に引き継いでほしい」と言われてアミノ酸?とやらを毎日飲ませるように言われましたよ。
そんなもの小さい子供に飲ませても大丈夫?とハイエナに聞いても「大丈夫で!!」と言ってせっせとハイエナがアミノ酸の粉末を買ってきて水と混ぜて冷蔵庫に冷やして飲ませていたんですよ。
私はそれがどうしても受け入れられなくて、アミノ酸は体にいい物なのかもしれないけれどそこまでして子どもに採らせる必要があるとは思えないから飲ませたくなかったんですよね。
姑がなぜ上の子にアミノ酸を飲ませたのかよく分かりませんが、もしかすると嫁が母乳で上の子を育てた事への対抗でアミノ酸を与えていたのではないかと思います。
姑には母乳が出なかったので母乳の代わりに何か飲み物を与えたかった。それがアミノ酸になったんでしょう。
しばらくハイエナが飲ませていましたが、「小さい子にこんなものを飲ませないで欲しい」と言って飲ませるのを止めさせました。
あとは、習い事を引き継いでほしいと言われました。
でもこの頃の私は車の運転をするのも難しいほどに体調が悪かったので気軽に送迎ができなかったんですよね。
起きているだけで精神的にギスギスしていたのでね。
で、バカ姑は習い事の引き継ぎ書なるものを作ってもらってましたよ。
ここまで進んでいるからこの続きから始めて欲しいって内容だった。そんなの知るかよ。
小さい子供の習い事ってお母さん同士の付き合いも大変そうだから病人の私にはハードルが高かったですね。
でもね、肝心な小児科の紹介状は書いてもらってなかったんですよ。
上の子も下の子も姑宅の近くの小児科でアレルギーの薬を定期的に出してもらっていたんですが、どういういきさつでなんでその薬が出たのかというのが私には全く知らされなかったんですよね。
習い事の引き継ぎ書なんかいらないから病院の紹介状を書いてもらって来いよと思いましたね。
ハイエナに聞くと「蕁麻疹が出るからよ」と言っていましたがそれならそれで紹介状を書いてもらえないかと言うと「ええやろ!」だとさ。
仕方ないので子どもが生まれてからかかっていた小児科に行って事情を話して薬の手帳を見せたら引き続きお薬を出してもらえるようになりました。優しい先生で良かった。
でも上の子の薬は蕁麻疹だけじゃなくてシングレアも出ていたので喘息もあったんですよね。
私はシングレアが何の薬なのかも知らなかった。子供に喘息があることを知らされてなかっただなんて怖いです。ハイエナはそんなこと一言も言わなかったし。
幸い小児科の先生は優しかったので風邪を引いて連れて行ったら、上の子に風車を持たせて「ふーって吹いてごらん」と言って上の子が拭いたら聴診器で胸の音を聞いて
「ヒューっという音がする。喘息です」
と教えてくれて喘息の薬を出しますと言ってくれたので安心できましたが。
姑って嫁には大事なことは教えてくれない生き物なんですね
そんな大事なことよく黙っておけたもんだ。信じられんわ。
あとは食事ですかねー。
姑は毎日子どもたちにハンバーグとキャベツとみそ汁しか出さなかった。
他にレパートリーがなかったようで、子どもたちは毎日毎日そればっかり食わされていたそうです。
たまに素麺やカレーも出していたようですが、ほぼ毎日ハンバーグのみ。
そのせいなのか下の子は便秘で小児科で下剤を処方してもらうようになった。
下の子なんてキャベツを食べたくないから「お腹いっぱい」と言ったら婆ちゃんがキャベツ食べなくていいと言っていたと言ってましたからね。
どんだけ緩い子育てしていたんだよ
そんなめちゃくちゃな育児を引き継げと言われて、あんな人に大事な子供たちをいいようにされていたのかと思うと怒りがこみ上げてきました。
私が病気にさえならなければ姑につけこまれて子どもを奪われることはなかった。
長い間離れて暮らすこともなかった。
私に体力さえあれば、まともな精神状態さえあればこんなことにはならなかったのに、と何度も悔やんだ。
それでも子どもを引き取ったからと言って私の具合が急激に良くなったわけでもなく、相変わらず精神科の薬とステロイドのせいで情緒不安定で不眠、考えがまとまらなくて集中できない、一人で何も決められない、短時間の記憶ができない、いつもギスギスして貧血で怠い、参観日で立てば股関節がギシギシと痛んで立っていられない、月の半分は風邪を引いて咳き込んでいる、という日々が続いた。
辛くてたまらないのに助けてくれる人もなく、ハイエナは食い尽くしては爆睡して、参観日も役員も変わってくれることはなかった。
幸いなことに内科の方は安定してきて足りない細胞も少しずつ安定していった。
でもそれで姑に「あれはもう治ってる」と言いふらされてハイエナからは家事や育児を全く手伝ってもらえませんでした。
治らない病気なのに治ったと決めつけられて「もう大丈夫だろう」と何も助けてもらえない。
一度ハイエナが休みの日に園の行事があって親が迎えに行かなければいけなかったんだけど、私はその日気管支炎でしんどかったんですよね。
だからハイエナにお迎えを頼んだら
「俺もこの前会社の健康診断の再検査で病院に行ったら今気管支炎ですねって言われたけど全然大したことなかったで!普通にタバコを吸って仕事にも行けたで!!お迎えぐらいあんたが行けばいいだろう」
と言われてめちゃくちゃムカつきました。
自分が大丈夫だったからって誰もが大丈夫だとは思わないで欲しい。
まぁ、そんな感じで私は病気でも全く大事にされませんでしたね。
それもこれも、もう「治ってるから」と姑がハイエナに刷り込んだからです。親にそう言われたとしても嫁が具合悪そうにしていたらもう少し優しくしてくれても良さそうですがね。
私の病気は治るような病気じゃないんですよ。
治らないから難病なんですよ。
それなのに数値だけ見て勝手に治ったと決めつけられても他に色んな病気が絡んでいるんだから健康体と一緒にはしないで欲しい。
その数値だってお薬を飲んでいるから見かけ上いいように見えるだけで私の体の中では常に自分の免疫を自分で攻撃していますからね。
普通の人と同じとは思わないで欲しかった。
辛いのに誰も助けてくれない、しんどくても自分でやるしかない、3日に一度は通院、肉体的にも精神的にも薬に縛られてすっきりしない。
そんな日々が1年ぐらい続いたある日のことだった。
突然下の子が
「今まで婆ちゃんをママだと思っていたけどママと一緒に暮らすようになってママが本当のママだと分かったよ」
とポツリと言った。
何で突然そんなことを言い出したのかは分からなかったけど、いくら祖母が私がママよと孫に刷り込んでも本当の事は分かるようになっているんだと思った。
続く