息子命のムスコン姑のいびりにも負けず二人の子どもを授かり出産した私。
しかし一人目出産後に姑から散々嫌がらせをされたせいなのか二人目出産後に病気になってしまった。
元々嫁が病気になることを願っていた姑は自分が孫たちのママになれるこのチャンスを逃すまいと新たな画策を始めたのだった。
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姑たちが帰ったその日の夜、私は外に出てハイエナに電話をした。
夜の病院の外はちょっと怖かった
本当は大人しく寝てなきゃダメなんだろうけどどうしても黙っていられなくて電話した。
「何で今日姑を連れてきたの?私が今日なんて言われたか知ってる?姑は寝ている私に向かって”あなたは頑張りすぎ”って言ったんだよ。しかも下の子を抱っこしてどや顔でさ。まるで下の子は私の物よと言わんばかりだった」
「それは病人に言うことじゃない!酷いなぁ」
「なんであんなのを連れてきたの。私が姑の事は嫌いだって知ってるよね。具合が悪い時に姑なんか連れてこられたら気を遣わせてもっと具合が悪くなるだろうから会わせないほうがいいだろうとは思えなかったわけ!!」
「いやおかんはあんたのことをすごく心配していた。大丈夫なの?大丈夫なの?って何度も言ってたから」
「誰が誰の心配をしたって?
あの人私にはそんなこと一言も言わなかったよね。心配そうなそぶりも見せなかったしむしろ泣いてる私をじっと見て観察しているようだった。”見ておきたい”から来たのは野次馬根性だよね?
それにもし本当に心配していたとしてもこんな時に嫁と姑を会わせるもんじゃない。普段から仲がいいのならまだしもうちはそんなことないって知ってるよね?
まともな姑なら”こんな大変な時に姑が顔を出したら余計具合が悪くなるだろうからもう少し落ち着いてから行こう”と言うと思う」
「でも昨日の夜先生が”奥さんはもう大丈夫ですよ”と言っていたから大丈夫だと思った。このまま発見されなかったら危なかったけど見つかってよかったみたいなことを言われたから俺はもう大丈夫なんだと思った」
「その大丈夫はもうすっかり元気になったから大丈夫という意味じゃなくて命の危機は免れましたよという意味だと思う。あんた馬鹿なの。昨日緊急入院したのに今日大丈夫なわけないじゃんか
あんた達一体今日は何をしに来たわけ。あんたのおかんはあんたの前だから大丈夫?と言っただけ。あんたに”おかんは嫁の心配をしてくれるいい姑”だと思わせたかっただけ。その証拠に私には一言も大丈夫って言わなかったじゃんかーーーーっ
心配している人間に向かって頑張りすぎて病気になっただなんて普通言う?それどころか下の子を抱っこしながらこっちの心配はしなくて大丈夫って何????
普通は”大変だったね”とか”気を落とさないでね”とか”言うもんじゃないの??心配して欲しいわけじゃないけど私へのねぎらいの言葉が一つもなかったのはなぜ?」
「俺はおかんに騙された。でもおかんは心配だから明日も行こうかと言ってる」
「今あんなの連れてこられたら冗談抜きで殺されるから止めて。
あの人はただでさえ私の産後にわざと病気になるようなことばかりしてきた人だから弱っている今こそとどめを刺そうと病院に来ようとしているに違いない!
だから絶対にもうあんな人は連れてこないで!!!」
「分かった。じゃあ明日は行かないよ」
「来なくていいよ」
そして私は病棟に戻った。
不思議なものでステロイドのせいか夜中の二時三時頃になると妙に頭が冴えてきて今なら苦手な算数ドリルでもスラスラ解けるんじゃないかと思った。
その翌日は日曜日なのに朝から主治医が来て何か変わったことはないかと聞かれた。
午前中と午後の二回ナースが検温に来て何か変わったことはないかと聞かれた。
ステロイドの点滴は二回行われた。
看護師が三人ぐらい来て全身のチェックをされた。
廊下を歩いていると要注意人物として指名手配されていたのか周りにいる看護師が一斉にこっちを見ていた。
後で知った話、この時の私はいつ何があってもおかしくない患者だと認定されていた模様。
午後過ぎにハイエナから電話があった。
ハイエナは私の病気を別の病気と勘違いして色々調べていたらしく、思っていた病気と違うのなら安心だと言っていた。でも疑われている病気もヤバそうだなと言っていた。
そして姑は連れて行かないから面会に行きたいと言い出した。
子ども達はうるさいので置いて行くと言う。
しかし私としては子ども達がいきなりパパもママもいなくなって見知らぬ老婆に預けられたら怖くて泣き叫ぶだろうからせめてパパだけでも子ども達のそばにいて欲しいと言って面会を断った。
私は物心がついた頃に母に見捨てられて知らない親戚の家に長期間預けられていたことがある。
私は寝ている間に親戚の家に運ばれて目が覚めるといきなり見知らぬ人達に囲まれていて怖かった記憶がある。
母親と引き離されて泣き叫ぶ私は親戚から煙たがられたのか誰もいない部屋に一人で閉じ込められていた。
どこからか漂ってくる収穫されたごまの香りがとてもいい香りでそれだけが癒しだった。
母がなぜ私を見捨てたかと言うと、下の子を妊娠してつわりでしんどいのに私に付きまとわれて鬱陶しかったからだそうだ。
あと乳腺炎で熱が出たときも同様に私を置いて実家に帰って長期滞在していた。母は私が邪魔だった。
父は仕事があるので一日中私の面倒を見ることができず、まだ幼稚園にも入れない年齢だったため親戚の元へ預けられたらしい。
そんな苦い思い出があるので私は自分の子どもにはそんな思いはさせたくなかった。
その日の夜も子供たちのことが心配でほとんど寝られなかった。
そして翌日からは治療や疑われている病名を確定させるための精査が始まった。
続く