よく日本人は無宗教だとか、はたまた宗教観が薄い、または感じられないほどに定着している多神教だとか言われる。
さてホントのところはどうであろうか・・・・・と、その前に観察者として自分の宗教観をハッキリ説明する必要がある。
自分は無宗教である。ハッキリ言ってクリスマスや正月、お盆などは自分にとって単なるイベントであり、あまり宗教的意味を考えていない。
しかし、自分の故郷である「沖縄」はまれにみる、原始的な土着信仰の残る日本でも稀有な場所である。。。。。
沖縄で信仰されているものは「仏教を土台に置いた中国風の先祖崇拝」(学術的な位置づけは知らないが)である。別に先祖崇拝というものは仏教において普通に存在しているが、沖縄ではことさらその側面が強い。
なぜなら、ユタという霊媒が存在するからである。(※) 最近では本土のテレビでも報道されることが多いが、要は先祖の霊を呼び出して、ユタが先祖と会話し、現世のことについてアドヴァイスをもらうというものだ。
いわゆるシャーマニズムである。沖縄にいたころは何も感じなかったが、沖縄を離れてみると、その文化が非常に珍しいものだと気付いた。(本土にもイタコは存在するが)
しかも、その預言が当たるのである(※2)。だからこそユタという非科学的な存在が、沖縄の一般人(子供から、オバア、主婦、まじめなサラリーマンまで)に当然のようにに信じられているのだ。
しかし、自分はユタは信じない。それはなぜか? 気になるなら一度ユタにあってみたらいい。
彼(多くの場合彼女)らは、生者以上にあの世の死者を重視し、相談者を不安がらせることしか言わない。
本当である。
「あんたぁ、墓の掃除していないでしょ、そのせいであんたの子供は目が悪いんだよ」
「今あんたが体の調子が悪いのは、先祖が何かうったえてるんだよ」
「あんたの家系の先祖はちゃんと成仏できていないようだね。あの世で泣いてるよ」
こんな具合である。しかも、見なれぬユタのボロアパートのこもり切った部屋で、ためらいがちにいわれるのである。誰だって、雰囲気にのまれてしまい簡単に信じてしまう。
基本的に、沖縄における先祖崇拝は「あの世への畏敬と畏怖」から成り立っている。沖縄の人に言わせてみれば、
「先祖霊が何かを訴えかけるために、子孫に害を及ぼすのは当然であり、 場合によっては致命傷を与えることだってありうる」ってわけだ。
まったくもって本当にそうならば、身勝手なご先祖様である。自分の自己主張をするために人に害を与えるとは、生きていたら犯罪者ですよw
たとえば自分が死んでしまったとする。子孫にはどうなってほしいか?もちろん「幸福な人生を歩んでほしい」
と思うのが当たり前である。子孫に害を与えるなんてとんでもない話である。
こんな風に自分の死後勝手にユタを通して自分を語られるものだからたまらん。 死人に口なしである。
もし、死後の世界が存在するのなら・・・・・こうしよう。
「死後の自分を騙ったユタを呪うわw」
まあそんなわけで、自分は沖縄の厄介な宗教儀式(まだまだたくさんある)に絶対巻き込まれたくないし、自分が死んでもそんなものやってほしくない。
だからこそ、沖縄を出たのかもしれない。
沖縄で沖縄人として生きていくには(本土人が思う以上に)しがらみが多すぎる。嘘だと思うなら、沖縄の人に嫁いだ本土人の話を聞いてみたほうがいい。
そんなバックグラウンドがあり、自分には半ば宗教アレルギーに似た無宗教観がある。
しかし、自分は宗教というものにまったくの価値を見出していないわけではない。むしろ、敬服することが多い。
それは最初に投げかけた「日本人の宗教観」の答えとともに次回に回したい(いかんせん自分で読むにも長すぎる)
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※沖縄の土着信仰ユタについて取り上げた社会学者は多い。学術的に興味のある方はぜひ読んでみたほうがいい。(ユタの書いた本とともに) 自分は読んだことないがw。
沖縄シャーマニズムの社会心理学的研究 大橋英寿著 弘文社 など
※2 客観的にいってかなり当たると思う。いや、逆にいえば当たっていることしか言わないのか?ホントに当たるの?って思う人は沖縄旅行のついでにユタめぐりをしてみたらどうだろう。(礼金は5000くらいかな?)
心理学的に言うと、コールドリーディング(相談者の言葉の裏を読み取る)やホットリーディング(事前に家族の基本情報を紙に書かせる)を使っているようだ。
コールドリーディング
ホットリーディング
~勝手にユタの紹介~
長嶺伊佐雄さん
沖縄ではかなり有名なユタ(珍しく男)です。彼の「カミングヮ」って本は沖縄のユタ信仰について詳しく書かれているので、スピリチュアル(笑)に興味のある方はどうぞ。