久々の更新です。

このまま自然消滅もいいかなと思いましたけど、MIXIがアクセスできないのでせっかくだから久しぶりに記事を書こうかと。

6月頃にミクシイを始めたのですが、 これが思っていた以上に面白い。

まず、始めたら出会い厨も含めて、必ず人が来る。 これがミクシイの特徴ですね。

うちのブログなんて人はほとんど来ないのに・・・・

まあ、ある程度の人気があって他の人と差別化したいのなら、ミクシイより個人ブログのほうが個性が出せるというものなのでしょうが・・・



まあ、最近ではツイッターが出たおかげで、ミクシイも過去のものになりつつあるようですね。

個人的な意見を言うと

ヘヴィー     個人ブログ
ミドル      ミクシイ
ライト      ツイッター

って感じです。 正直ミクシイ、ツイッターでは本音はかけません(笑)。

まあてな具合で玉に更新します。  読者はいませんが。
今回は前回の「自殺について」の続きを書こうと思っていたが、気分が乗らないのでまた今度にしたい。

ここ二日で自分は「闇金ウシジマくん」という漫画(15巻程度)を一気読みした。 この漫画は「どうしようもない社会の最底辺」を扱った漫画である。 ギャンブル依存症から借金に借金を重ねる女や、風俗から抜け出せなくなる男女など、あくまで主題は「社会のひかげもの」である。

低学歴、低収入、ホームレス、不安定職、風俗業、893、日雇い DQN・・・・彼らを連想させる言葉はたくさんある。しかし、現実には僕は彼らを知らない。かかわりあいもない。かかわりたくもない。

一般的な日本人は、人生のうちで、こういった「日蔭の世界」を知らずに一生を送ることができる。我々一般人は生まれながらにして「人生の表街道」を進むことを許されている。 
その一方で生まれながらにして「ひかげもの」としての人生を強要された人や、自ら裏の世界へ飛び込んだもの、日蔭へ追いやられたひともいるだろう。

しかし、不思議なことに、我々は生きていくうえでこういった知らずにすんでいた「日蔭の世界」に踏み込んだりしてしまうことがある。 繁華街のもめごとで、893が介入してきたり、ふとしたことからDQNに弱みを握られたり、または風俗など・・・・ 
彼らはバンパイアのようなものだから「法と秩序」守られた表の世界で生きてはいけない。そんな時彼らは我々を日蔭の世界へ引き込もうとする。彼らの「ルール」が通用する世界へと・・・

日向と日蔭のグレーゾーンの住人という人種がいる。 彼らは、もともと「日向の人」ながらアルバイトや仕事として日蔭の世界に出入りをしている。 例をあげるならキャバクラのボーイなどであろうか。
彼らの話を聞くたび(これも二次情報だが)、彼らは日蔭で生きるための妙なバランス感覚というか、日蔭の社会のルール(タブー)をかぎわける嗅覚が発達している。
たとえば繁華街で新規に水商売を始めるときは、有力な893にバックとしてついてもらう。 幹部の女に手を出すと恐ろしいことになる。 などまるでこの世界のコモンセンスのように熟知しているのだ。彼らグレーゾーンの人々は、我々が裏の社会を知る時に非常に貴重な参考となるだろう。

また、「ひかげもの」の特有の思考に「現状に対する不安感」があるだろう。(893以外) もちろん彼らは日蔭の世界で一生を終える気はないだろう。常に一筋の「蜘蛛の糸」を探しているのだ。そしてあわよくば表の世界へ這い上がろうとしている。 それと同時に、「いつまでこのような綱渡りが続けられるんだろう」と思っている。それが時に原動力となり、または「自己破壊の衝動」へと駆り立てる。

かつて、尊敬する青山繁晴さんが言っていた。「我々、日本人は『やましいこと』がない限り、表の世界でどうどうと暮らしていける。 突然理不尽に逮捕されるようなことはない。 そのような公正な社会を築いてきたではないか。」(意約)と・・・・
これは我々日向の人に重くのしかかる言葉である。この言葉は偉大な権利であり同時に重大な義務を暗示している・・・
strong><中3女子が首つり死亡=自殺か、公衆トイレ内-東京
 12日午前11時40分ごろ、東京都文京区向丘の公衆トイレ内で、「中学生ぐらいの少女が首をつっている」と110番があった。警視庁駒込署によると、少女は同区立中学3年の女子生徒(15)で、病院に搬送されたが、死亡が確認された。
 同署は現場の状況などから自殺とみて調べている。(2010/05/12-17:06)

 
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%bc%ab%bb%a6&k=201005/2010051200534


哀しいニュースである。 最近近親者の死が相次いだので人の死というものがとても重く感じられる。
何故人は自殺するのか?  を少し考えてみたいと思う。

自分は、一人暮らしをするようになって一年がたつが、この一年で大人としての「責任」というものを非常に感じるようになった。 たとえば、何かの契約に際し常に自分の責任で契約しないといけない。また、大学はどのように学んでもいい自由な場であるが、単位取得の管理や留年対策など自分で考えないといけない。
そんな中、行き詰ったり、壁にぶち当たった時 人間は「孤独感」を感じる。「こんな状況に置かれているのは自分だけなんだ。他の人はうまくいってるんだ」思いこんでしまう。だから人間は殻を作ってしまう。その殻の中で必死に答えを求めるようになる

「YES」か「NO」かの究極の答えを・・・・・


ここで頼りになるのが、「相談に乗ってくれる人」である。彼らの存在はとても大きい。こんな時こそ最大限彼らに甘えてしまえばいいのだ。
相談に乗ってもらうことで、一番の利点は「見えていなかった新たな選択肢」が見えてくることである。そして初めて自分で作っていた殻を破ることができる。

昔、こち亀の中で両津が「日本人は壁にぶち当たると、すぐ生きるか死ぬかの究極の選択を考える。そうじゃなくて、一度『生きる』の方向を決めて、じゃあどう生きるかを決めろ」と言っていた。
両津らしい荒々しいセリフだが、この言葉の裏に作者の秋本先生の「処世術」が込められている気がする。


彼女にこう言いたかった。中学生なら、生きていれば(※)これから楽しいことはたくさんある。部活、恋愛、就職、結婚、出産、そんな素晴らしい人生のイベントが待ち受けているのだ。それをひと時の絶望で終わらせてしまうなと

ではこの絶望的な状態からどのように抜け出せばいいか? 次回具体的に方法論として考えてみたい。
(今回とはまた論点がずれるので回を分けた)

最後に落ち込んだあなたにこの一曲を贈りたい Coldplay で Fix you






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※ 「生きていれば」というのは、一概に言えない。末期がん患者の自殺などを見るとこんなポジティブな言葉では片づけられない面も出てくるので注意。