時計などの小物の撮影をする為に、何年ぶりかでレンズを買いました。
オリンパスの60mm f2.8マクロというレンズです。

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ちゃんと三脚に載せて撮影します。

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バックモニターで確認して撮影します。

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ちゃんとライトを回すためには、ライトボックスは必需品ですね。
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このライトボックスは携帯電話用のバッテリーからの電気でライトが点きます。

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  こちらはバッテリーで点灯するLEDライトです。
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ロレックスはこんな感じで撮影できました。
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ライトボックスのLEDライトを点灯して撮影していますが、フランクミューラーの球面ガラスは光点が写りこんでしまいました。
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ガラスが球面だと難しいですねぇ~。





2017年6月20日! 小生70歳の誕生日であります。
還暦記念、定年退職記念…と偶然時計を買って参りましたが、今回は古希であります。

前々から気になっていたジェラルド・ジェンタ氏の作ったブルガリ ジェラルド・ジェンタ オクト・バイレトロという時計が気になっていましたが、ついに偶然新宿のマップカメラに行った序でに見つけてしまいました。
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時計デザイナーの祖といわれるのが、ジェラルド・ジェンタである。
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ロイヤル オークやノーチラス、ブルガリ・ブルガリを手がけた彼は、しばしば天才と称される。
しかしその歩みが示すものとは、ジェンタの非凡なまでの努力であった。「学校を卒業した後、彫金の道具などを橋の上から投げ捨てた。私は二度とジュエリーに携わろうとは思わなかったし、人の下で働こうとは思わなかった」。そう述べたのは、時計デザイナーのジェラルド・ジェンタである。

1931年生まれの彼は、やがて時計デザイナーの祖として名声を得るようになる。時計デザイナーを職業として確立したのはもちろんのこと、彼は、その美意識をもって、時計デザインそのものを変革した。代表作は、オーデマ ピゲの「ロイヤル オーク」、パテック フィリップの「ノーチラス」、そしてブルガリの「ブルガリ・ブルガリ」などいずれも時計史に残る傑作だ。しかしスタートは、実に惨めなものだった。
 
スイスに生まれたジェンタは、学校で彫金を学んだが、就職先はひとつもなかった。彼はジュエリーの世界に失望し、フリーランスのデザイナーとして口に糊することとなった。この時代、ジェンタのデザイン料はデッサン1枚につき、わずか10スイスフランだった。
 
後にジェンタはこう漏らした。「本当はクチュリエ(パリのオートクチュール組合に加盟する高級服飾店のデザイナー)のデザイナーになりたかった。しかしスイスにはチョコレートと時計産業しかなかった」。フリーのデザイナーとして生計を立てるようになったジェンタ。最初期に何をデザインしていたのか、記録は残っていない。しかしユニバーサル・ジュネーヴやオメガ「コンステレーション」のケースデザインに関わっていたことは知られている。
 
そんなジェンタに転機が訪れたのは、68年のことである。彼のデザインが、ジュネーヴのデザイン賞を獲得。ジェンタは自らのデザイン事務所を会社組織に変更し、いよいよ本格的に、時計デザインに取り組むこととなった。
 
この時代、ジェンタはひとつの望みを持っていた。デザイナーとして時計のデザイン全体を請け負うこと、である。それ以前、時計のデザイナーには、部分的な役割しか与えられなかった。あるデザイナーはケース、あるデザイナーは文字盤、そしてあるデザイナーは針。そんななか、まったく新しいスポーツウォッチを作ること、というオーデマ ピゲのオファーを受けたジェンタは、わずか1日でデッサンを完成させた。それが72年に発表されたブレスレットとケースを一体化させた時計、オーデマ ピゲ「ロイヤル オーク」である。

そのような時計はそれ以前にも存在した。しかしそれらすべてを、ひとりのデザイナーが手がけたのは、これが初めてだった。ロイヤル オークの成功をきっかけに、彼はノーチラスやブルガリ・ブルガリなどSSケース+ブレスレットの傑作をデザインするようになる。
 
ではなぜ、ジェンタのデザインは評価されたのか。理由はふたつある。ひとつは、装着感を考慮してデザインを行ったこと。ジュエリーを学んでいた彼にとって、着け心地を良くすることは常識であった。彼は多くの薄型時計をデザインしたが、その理由は、おそらくそれがもっとも装着感に優れていたからだろう。そしてもうひとつが、バランス感覚である。時計の針、ベゼル、インデックスは、細ければ細いほどフォーマルになる。対して太ければ太いほどスポーティでカジュアルになる。

ロイヤル オークを例に取ると、針とインデックスは、いわゆるドレスウォッチ並みに細い。しかしベゼルは、スポーツウォッチを思わせるほど太い。加えてジェンタは、ベゼルにビスを配することで、太いベゼルの間延び感を解消してみせた。今や万能時計のひとつとして知られるロイヤル オーク。理由は、フォーマルにもカジュアルにも使える、巧みなデザインにある。
 
これ以降ジェンタは、自社のデザイン工房を、時計メーカーに改組した。自らのデザインを時計にまとめあげるべく、優れた時計師を擁して、超複雑時計を作るようになったのである。後に彼の下で働いたエンリコ・バルバシーニはこう語る。

「後にビバーが機械式時計の立役者といわれるようになったけど、本当に機械式時計を立て直したのは、ジェラルド・ジェンタだった」。80年代から90年代にかけて、ジェラルド・ジェンタの工房は数多くの複雑時計を作るようになる。
 
もっとも、ジェンタの晩年は、決して恵まれたものではなかった。デザイナーとして、70年代や80年代のような傑作を生み出すことができず、工房を手放すことになったのだ。しかしジェンタは、晩年までデッサンをやめようとはしなかった。彼いわく、描いた時計のデッサンは最低でも数万点。

デッサンの焼き直しをしなかったことを考慮すれば、生きている間に、数万点の時計を創造したことになる。実のところ、天才・ジェラルド・ジェンタを一貫して支えていたのは、才能以上に、抜きんでた努力だったのではないだろうか。
【以上、時計ジャーナリストであり、また時計専門雑誌の編集長でもある広田雅将さんの文章をコピーしました。】

BVLGARI
BVLGARI GERALD でGENTA OCTO BIRETRO
ブルガリ ジェラルド・ジェンタ オクト・バイレトロ
Ref
BGO43BSCVDBR
ケース径:43mm
ケース厚:12.35mm
ケース素材:ステンレススチール&ブラックセラミック
防水性:100m
ストラップ:アリゲーター
ムーブメント:自動巻き、Cal.GG7722、毎時28,800振動、45時間パワーリザーブジャンピングアワー、レトログラードミニッツ&デイト表示
価格:2,019,600円(8%税込)



ジェラルド・ジェンタ氏は、時計デザイナー、チャールズ・ジェラルド・ジェンタ(Charles Gérald Genta 時計デザイナーが創業した時計メーカー、ジェラルド・ジェンタ(Gérald Genta S.A. )である。
チャールズ・ジェラルド・ジェンタは15歳からジュエラーとして修行を積み、23歳でデザイナーに転向した。その後多数の時計メーカーからデザインを委託され、成功を収めている。代表作として以下のような時計がある。


  • インターナショナル・ウォッチ・カンパニー - インジュニアSL、ダ・ヴィンチ
  • オメガ - コンステレーションC
  • ユニバーサル・ジュネーブ - ホワイトシャドゥ
  • セイコー - クレドールファーストモデル
  • オーデマ・ピゲ - ロイヤルオーク
  • ジラール・ペルゴ - ロレアート
  • パテック・フィリップ - ノーチラス
  • カルティエ - パシャ
  • ブルガリ - ブルガリ・ブルガリ
皆さん、こんにちは。
10日間の入院から5/4に退院でき、快気祝いのLeica M10を買いました!と、このカテに書いたら、『快気祝いの時計は、買わないのですか?』とコメントを頂いておりました。
半年以上前に銀座に在る行きつけの時計屋さんに、『フランクミュラーのクレジーアワーズが入荷したら連絡してください』とお願いしてありましたが、昨日たまたまそのお店のHPを見たら、文字盤がピンク色のクレジーアワーズがありました。
今朝、電話して、何故連絡を頂けなかったのか?とお尋ねしたら、山縣さんには白か黒文字盤ではないとダメかと思い、ピンク文字盤ですからご連絡致しませんでした…というお返事でした。
前々から欲しかったモデルで、文字盤の色は赤、緑など濃い色合いのものが多いモデルですから、平凡な白や黒よりカラー文字盤に興味がありました。
また、文字盤の色によっては、ギョーシェ彫りに隠れたフランクミュラー独特の数字が浮き出ますから、そちらの方が気になります。
早速、銀座のお店へ行って、実物を拝見させて頂きましたが、気に入りましたので、連れて帰りました。
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