皆さん、こんにちは。
2009年8月発売の「ロンジン マスターコレクション レトログラードRG4」は自動巻Caliber L698を搭載、価格は128万1,000円(新発売当時の価格)ケース径41mm、サファイヤクリスタル、30m防水、SS(ステンレススティール)ケースという時計です。この時計に出会ったのが、銀座松屋デパートの『2017世界のアンティークウォッチ市』で、2017年9月1日のことでした。(30万円弱のお値段でした)

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小生、物を探したり価格を調べたりするのにネット検索を使いますが、この時計についても楽天市場、ヤフオク、Amazonなどを検索してみましたが、同様のものが数点見つかりました。高い時計をヤフオクで買うのは初めてなのですが、安くて良心的そうなお店がありましたので、ついポチしちゃいました。
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 素敵な箱に入っています。


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届いたロンジンのバンドを自分で詰めて、ぴったりに調整しました。



小生もロンジンという時計メーカーの名前くらいは知っていましたが、「ロンジン」を日本で最初に所持したのは「西郷隆盛」であり、江戸城無血開城の翌年(1869年)に、西洋文化に造詣が深かった第12代薩摩藩主島津忠義が贈ったとされているそうです。



また、1927年にチャールズ・リンドバーグはスピリット・オブ・セントルイス号に乗り、単独大西洋無着陸横断飛行に挑みました。ニューヨーク、パリ間を3時間半でその飛行は大成功に終わりました。
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この飛行で腕に着けられていたのが、ロンジンの航空時計だったのです。正確に時を刻み、飛行中の現在地や燃料計算において活躍しました。その後、リンドバーグはロンジンに航空時計のコンサルタントとして迎えられ、多くのパイロットウォッチを生み出していきました。写真の時計はリンドバーグが改良を重ねて作り出したパイロットウォッチの一つです。これまでは、飛行服の上からはめる大型のものでしたが、小型化し実用性が高くなっています。
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さてさて、その歴史あるロンジンの時計を初めて僕も手に入れて、細部を見てますが、大変に作りの良い時計です。細部を撮影してみました。

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美しいブルーの針を撮影するのに、どうしてもLEDの光源が写り込んでしまいます。

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ローターにキャリパーL698.2とあります。

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ベルトの開錠部分にあるロンジンのロゴです。

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竜頭にもロンジンのマークがあります。竜頭の横のボッチは、日付を手動で動かすボタンで、専用の棒があります。

イメージ 6空飛ぶ砂時計が会社のトレードマークです。文字盤の模様をギョーシェと呼びますが、綺麗に作られています。ロレックスなどには無いクラシックな時計です。

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素敵な顔の時計ですよね!

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竜頭の横のこちらのボッチは、曜日を手動で動かすボタンです。

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ベルトもしっかりしております。

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ラグからベルトへしっかりした作りです。

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24時間針、日付け針、曜日針のボッチを押す専用の道具です。

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取り扱い説明書が分厚いのは、何ヶ国語もあるからです。

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日本語のページです。
以上ロンジンの購入でした。




皆さん、こんにちは。
僕はブログを自分史として書いておりますが、自分史なんて言うと大げさですが、要するに自分が出会った方、出会った物の記録です。

 今日は念願の独立時計師・浅岡 肇先生との出会いの記事です。
2016年8月28日のブログに『アントワーヌ プレジウソさん親子と会う』という記事を書きましたが、スイスの独立時計師さん親子であり、トゥールビヨン搭載の時計を造る方です。
そんな独立時計師に日本人が二人いると聞いており、一人か浅岡 肇さん、もう一人が菊野昌宏さんという方です。
その浅岡 肇先生とはフェイスブック上で偶然出会い、僕の幼稚な質問にも答えて頂いたりしておりました。
浅岡先生の何が凄いかって、ご自分一人で、ギヤからゼンマイから全てのパーツを造りだして、一つの時計を完成させるんです。もちろんCADを使っての設計段階から全てを一人でされています。
その作品の最高峰が、銀座の田崎真珠本店のショーケースに飾られておりまして、僕は何度も見に行ってます。
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価格は2,700万円です。
こんな素晴らしい時計を造れる浅岡先生に何時かお会いしたり、作品に触らせて頂きたいと思っていましたが、それが友人の紹介で実現しました。
2017年8月29日、午後5時に浅岡先生の工房をお尋ねして、工房の見学や時計造りのお話を存分に聞いて参りました。
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憧れの浅岡先生との2ショツトです。
イメージ 3お会いするまでは、もっとピリピリした方なのかと思っていましたが、凄く気さくでお話もお上手でした。
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浅岡先生の作品やコレクションを見る友人の皆さんです。
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ここで時計が生まれます。
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浅岡先生は雑誌への写真もご自分で撮影されます。僕にも以前時計撮影のアドバイスをして頂きました。
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左のトゥールビヨンの時計が僕のお気に入りですが800万円だそうです。
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浅岡先生、ありがとうございました。


1945年8月15日正午、日本の降伏とポツダム宣言の受諾を伝える玉音放送が発せられる。これを受けて宇垣は「未だ停戦命令に接せず。多数殉忠の将士の跡を追ひ特攻の精神に生きんとするに於て考慮の余地なし」「余又楠公精神を以て永久に尽くすところあるを期す。一六○○幕僚集合、別杯を持ちあり。之にて本戦藻録の貢を閉ず」と戦藻録の最後を記す。

自ら中津留大尉の操縦する彗星43型に搭乗する。彗星43型は2人乗りだが、遠藤秋章飛曹長が交代を拒否したため、宇垣、中津留、遠藤の3人が乗ることになった。海軍兵学校同期である第十二航空戦隊司令官城島高次少将、及び幕僚である宮崎隆先任参謀、横井俊之参謀長から「死を決せられる気持ちは理解できるが、戦後処理や、国家的な責任の問題もあるため、なんとかとりやめることはできないか」などと翻意を促されたが、宇垣は「武人としての死に場所を与えてくれ」と、その決意は揺らぐことはなかった。

特攻隊は合計11機(3機不時着)で、沖縄沖に向かって大分基地から離陸した。出撃前の彗星前で撮った写真に彼は笑顔で写っている。高官が死地に赴くときには階級を示すものを外す習慣があったため、軍服から中将の階級を外し、そして山本五十六から遺贈された短刀を持参している。

宇垣機からは訣別電があり、続いて「敵空母見ユ」「ワレ必中突入ス」を最後に無電は途絶えた。同日夕刻、沖縄県伊平屋島海岸付近に米軍が張っていたテントのすぐ近くに、1機の彗星が墜落した。中からは操縦士と思われる若い将兵1人のほかに、なぜか飛行服ではなく、階級章のない第三種軍装を着た壮年1人の遺体が収容された。出撃前の写真から判断して、これが宇垣の乗っていた彗星だった可能性が高い。しかし墜落状況は、動くことも反撃することもない目標を前にしてわざわざ特攻を行わなかったようにも見え、操縦していた中津留大尉が停戦命令を死守すべく意図的にテントを避けたとする説や、特攻の意味が無くなったと思い五十六の短刀で自決したとする説もある。ただし、これらの遺体が宇垣たちであると日本側によって公式に確認されたわけではないため、正確な死亡場所は現在も不明とされ、「敵艦に突入し命中した」などと説明する資料も存在する。

なお宇垣は、ポツダム宣言受諾後に正式な命令もなく特攻を行ったため、戦死とは見做されず大将昇級は行われていない。むしろ、停戦命令後の理由なき戦闘行為を禁じた海軍刑法第三十一条に抵触していたのではないかとする意見もある。

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