安楽死 | Route 9  西へ東へ

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難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患し気管切開した ポンコツおやじのブログです。
自分では 視線入力で意思伝達装置のmiyasukuを操作することしかできません。
ベッドの上で天井を見つめながら あれこれと思いを巡らせる毎日です。

私は 京都で起きた ALS患者・嘱託殺人事件の女性のことが頭から離れません。
彼女の追い込まれた気持ちが わからなくもないからです。 

健常者は自殺できますが、私は舌を噛み切ることも 既にできません。
私のような者が人生を終わらせたい時はどうすればいいのでしょうか。

あの事件以降、何かが変わるのか推移を見ていますが、進展はないように感じます。
このままでは 同じようなことが 再び起こるとも限りません。


私は気管切開をしましたが、年齢性別、家族構成や家族との人間関係、住んでいる地域や取り巻く状況が今と違っていたら、異なる決断をしたかもしれません。

それはALSの症状が進行するなかで、何を見て どんな経験をし、何を感じたかで本人の気持ちが固まるものです。

たとえどんなにサポートできる体制が整っていても、気管切開をしてまで生きたいと思わない人はしません。
結局はその人の人生観や死生観、生きざまだと思います。


気管切開をする、しないは患者に委ねられますが、した後の意思は尊重されません。
安楽死を推奨するわけではありませんが、その選択肢があればALSとの向き合い方も変わると思います。

重度障害者でも 生きやすい社会を構築することが 大前提ですが、一方で 安楽死や尊厳死について、もう一歩踏み込んだ議論がなされることを期待します。