スナフキンからの伝言 | 丁寧に生きる、ということ

丁寧に生きる、ということ

自覚なきまま、気がつけば50代後半にさしかかって感じる、日々の思いを書き留めます

ある方が「AIからのいざない」と称して、某メーカーとムーミンがコラボしたパソコンを「あんさん、これ興味ありますやろ」とばかりにSNS上でお勧めしてきた、という話をフェイスブック記事に書き込んでおられるのを目にして、「おぉっ!」と思った。

実は僕自身も数カ月前から、まったくおなじ勧誘をフェイスブックから受けていたのだ。

 

だが、不思議だ。

僕はブログの中で、たしかに何度かムーミン物語の登場人物について触れたことはあるけれども、かといってそれらが僕にとっての頻繁検索ワードというわけではないし、関連記事に「いいね」ボタンを押すわけでもない。

 

これに限らず、最近、僕のフェイスブックには友人の投稿以上の数で、様々な商品紹介の記事が上位にアップされるようになったのだが、これらがまた、「あ、実はこんなん、欲しかってん(忘れてたけど)」というように、絶妙なツボをピンポイントで突いてくるようなものばかりなのだ。

なくても困らないが、あったらすこしばかり生活に潤いをもたらしてくれそうな雑貨や家電など。

値段設定もこれまた絶妙で、これくらいだったら無駄遣いにはならない、と自分自身を説得しやすい、いや、丸め込めやすいあたりを突いてくる。

 

ムーミンコラボパソコンについていえば、実際のところ、今、家で使っているノートパソコンはOSが古く、その動きも最近とみに覚束なくなっているうえに、同居する猫クンがキーボードで爪を研ぐ楽しみを知ってしまったせいで、いくつかのキーが欠損してしまい、買い替え時と言えば買い替え時なのである。

しかも、ムーミンデザインかどうかはともかくとして、そのパソコン、サイズ的にも機能的にも、USBポートの数的にも、そしてなんといっても価格的にも(これが一番大切)、まさにドンピシャなのだ。

 

だが、そんな個人的な事情をAIが察した、というのなら、ある意味、ちょっと怖すぎる。

それはもう、超能力レベルではないのだろうか。

 

もちろんこれが、単なる「偶然の積み重ね」ということだってあり得る。

人というのは、意味のないことに意味を見出すことが天才的に巧い生き物だしね。

 

それでも基本、アナログ人間の僕は、「念のため」に毎日家で使っているノートパソコンのカメラレンズ部分に付箋を貼り付け、マイク部分をテープで何重にも覆うことを考えた(!?)

 

そして時を同じくして、大学時代の大切な友人のひとりから「ムーミンとスナフキン、どっちが好き?」という不思議なメッセージが届いたのだ。

 

いや、これに関しては実のところ、不思議でもなんでもない。

その月には僕の誕生日があり、その友人は毎年、この時期に自身が住む街の「おいしいもの」や旅先で見つけた「なにか」を贈ってくれる。

もちろん、ここにきて何故、ムーミンなのかという謎は残るが。

 

さて、ムーミンとスナフキンのどちらが好きか、という質問は、結構難しい。

「それ」がたとえばTシャツなのかハンドタオルなのか、ぬいぐるみなのか食器なのかによって、微妙に「答」は異なる。

だが、ここで「それって誕生日にくれるやつ?具体的にはなに?」なんてことを訊くのはあまりにも無粋なことだろう。

 

単純なキャラクターとしての好みでいうと、まあ、答は一択だ。

 

「ムーミン」といえば「物語のなかのムーミン」「コミックスのムーミン」そして僕らの世代の人間にとっては「カルピスまんが劇場のムーミン」が存在するわけだが、それぞれでその登場人物の性格は結構異なるし、僕のお気に入りだったスティンキーは「コミックス」と「まんが劇場」にしか登場しない。

 

物語のなかのムーミントロールは生真面目で、他人の心を敏感に察して行動してしまう一面があり、いってみれば「今の自分」に一番近い。

「もの」に対する執着心(責任感)も強く(「ムーミン谷の冬」)、いってみれば「地の時代」、物質主義のなかでの典型的な「いい子」なのだ。

自分と似ているだけに、時として、僕はそんなムーミントロールに対してイラッとする。

 

おそらくそんなムーミントロールと対極な存在、人が憧れはするが、なかなかそこまで振り切ることのできないある種の「理想」形がリトル・ミイなのだろう。

「あたいにゃ、かなしむってことができないの。あたいは、よろこぶか、おこるだけ」「あたいがかなしんだら、なにかの役にたつの?たちゃしません」(「ムーミン谷の冬」)と言い切るリトル・ミイ。

 

そしていかにも「風の時代」を生きるかのような、精神性の高いキャラクターがスナフキンだろう。

「まんが劇場」では「物事を知り尽くしたおとな」の雰囲気を持つスナフキンだが、常識に縛られない一面を持つ物語のなかのスナフキンは、決して「おとな」というわけではない。

 

ムーミンとスナフキンならどちらが好きか。

迷うまでもない。

スナフキン一択だろう。

 

そしてふと、僕は気付いた。

これまで、僕の友人は、類は友を呼ぶ的に、「ムーミントロール」的な人が多かったが、ここ数年にあらたに交友関係を持たせてもらうようになった人たちは、ほとんどがスナフキンの系統、その一族だ。

 

友人から届いたのは、文字盤にスナフキンがデザインされた腕時計だった。

 

スナフキンは言う。

「大切なのは、自分がしたいことがなにかを、わかってるってことだよ」(「ムーミン谷の夏まつり」)。

 

そうだ。そのことをすっかり忘れて、僕は今、自身の心のなかの森を彷徨っていた。

そして僕は、今、このタイミングで、スナフキンの言葉を思い出させてくれた腕時計のプレゼントに、心から感謝したのだ。