それぞれが背負う宿命-劇団四季「ノートルダムの鐘」 | 丁寧に生きる、ということ

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自覚なきまま、気がつけば50代後半にさしかかって感じる、日々の思いを書き留めます

翌朝、目覚めたときにもなお、カジモドの悲痛な叫びと嘆きが記憶の奥底にまで深く沈み込みながら、僕の心を波立たせていた。

 

月に一度の頻度で劇場に足を運んでも、ほんのちょっとしたタイミングで出会うことが叶わないキャストというのが、劇団四季の舞台ではたまに存在する。

僕の場合は「飯田達郎さん演じるカジモド」がまさにそうだった。

初演時からキャスティングされている彼のカジモドにだけ、僕は出会うことができずにいた。

それが今回、観劇十数回目にして、ようやく会うことができたのだ。

 

彼の演じるカジモドは、現実世界では背中が折れ曲がって動作が鈍く、言葉もスムースには出てこないが、石像やガーゴイルなどの「友達」と語り合う時には動作も機敏になり、様々な思いが言葉となって、流れるように溢れ出す。

その対比に、はっとさせられる。

不自由な体に縛られ、閉じ込められている自由な魂。

 

また、彼の演じるカジモドは自傷行為というのだろうか、それが激しい。

 

前回の観劇後の感想として、僕はもっともな理由があるにせよ、カジモドが自身の手で、育ての親であるフロローを殺めることに対する違和感を挙げた。

だが。

今回のカジモドはフロローを殺めたあと、悲痛な呻き声をあげ、天を仰ぎながら自身を自分の拳骨で激しく殴りつけた。何度も何度も。

 

「悪人は罰を受ける」というフレーズはたびたび、この物語のなかで、様々な登場人物の口を介して語られる。

カジモド自身もフロローを殺める際に、怒りの形相でこの言葉を口にする。

だが、眼下に横たわるフロローを見た瞬間、カジモドは自分自身もまた、その「悪人」であり、「罰を受けなくてはならない」と感じたのではないだろうか。

そしてそんなカジモドには、カジモドを演じていた人物が舞台上で「普通の」青年に戻って語る「カジモドの最期」のような、あまりにも哀しい「物語の終り」を迎える道しか、残されていなかったのかもしれない。

 

人は誰もがみな、自分よりも高次な「なにか」と契約をかわし、この世に生まれ出るのではないかと、僕は考えることがよくある。

契約。この世で自分自身が果たすべき役割というか、与えられた課題というか、そういうもの。宿題のようなもの。

ただ、人は生まれ出たその瞬間、かわしたその契約のことを忘れてしまうのだ。

生きるということは、その忘れてしまった契約を試行錯誤しながら思い出す行為、そのものなのではないだろうか。

 

多様性という言葉を最近、よく耳にする。

なぜ、この世に多様性などというものが存在するのか。

神はなぜ、そのような複雑さを仕組んだのか。

みんなが「一様」であれば、きっともっと穏やかな世界が広がり、幸せも手に入れやすいであろうに。

 

現実世界では、少数派の苦しみや哀しみに、多くの人は気付きもしない。

この物語の登場人物の多くも、それぞれに「少数派」の苦しみを抱えている。

カジモドもエスメラルダも、フィーバスも。

そしておそらくは僕自身も、この「少数派」の一面を持つ。

 

前回、「ノートルダムの鐘」の舞台上の演出についてすこしだけ触れた。

導入部でひとりの青年が舞台に現れ、背中に瘤を結びつけ、顔に墨を塗りつけ、髪を自身の手で乱して「カジモド」に変身する。

そしてラストでは、カジモドは顔の墨を拭い去り、結び付けたその瘤を外してジブシーのリーダーであるクロパンに手渡し、ひとりの「普通」の青年に戻る。

そして、そうだ、今回の飯田カジモドは、自身の背負っていた瘤を外したあと、その瘤をしばしの間、見つめ、唇を押しあてたのだ。

それを目にした瞬間、僕は「ああ、この瘤こそがカジモドの宿命そのものであったのだな」と感じ、飯田カジモドに出会えたことに心から感謝した。

 

宿命。

この作品には不可欠な言葉だ。

そしてこの「宿命」こそが、僕の考える「契約」「与えられた役割」「果たすべき役割」に近い概念なのかもしれないとふと思った。

いや、わからない。

僕は「宿命」と「運命」の違いさえも、うまく説明できないのだから。

 

原作である「Notre-Dame de Paris」は、作者であるヴィクトル・ユゴーがノートルダム大聖堂を訪れた際、壁に落書きのように書かれていたΑΝΑΓΚΗ (宿命)という言葉に着想を得て、生み出されたのだという。

誰がどのような思いをもって、このような言葉を大聖堂の壁に落書きしたのであろうか。

 

結局のところ、最後に誰も幸せにならない物語なんて珍しいな、と最初の頃には思っていた。

だが、現実世界に目をやれば、今もなお私欲のために暴走する人間がいて、少数派の苦しみを抱えて生きる人たちがいる。

ハッピーエンドを迎えることは誰にとっても難しい。

 

でも、処刑前のエスメラルダが歌うように、

夜明けは遠いけど きっと夜は明ける

そして

人がみんな賢くなり

争いの炎が消え

人がいつか平等に暮らせる

そんな

「いつか 夢はかなう

祈ろう 世界は変わると」

僕もそう信じたいし、そのために小さなことでもいい、自分自身にできることから行動を起こさなくては、と思うのだ。

 

「ノートルダムの鐘」京都公演 2月19日キャスト

カジモド    飯田 達郎

フロロー    野中 万寿夫

エスメラルダ  山崎 遙香

フィーバス   佐久間 仁