「弱気」の克服 | 丁寧に生きる、ということ

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自覚なきまま、気がつけば50代後半にさしかかって感じる、日々の思いを書き留めます

この一年を振り返って、節目節目、要所要所で判断を誤ることが多かったことを認めなくてはならないな、と思った。

ただ、その判断自体への後悔はない。

その道を選んだからこそ、それが誤りだったとわかったわけで、選ばなければ選ばなかったで、なにかしらの後悔が僕の中に残ったことは確かなのだ。

 

判断を誤ってしまった原因のひとつとして、「弱気」があったのだと思う。

そしてなぜ、そんな弱気が生じてしまったのかを考えると、そうだ、健康不安があったのだ。

 

一年ほど前から、時折、左の下腹部に刺すような痛みがあり、総合病院へ行ったところ、受付の段階で「おそらく鼠経ヘルニアなので外科の待合へ行くように」と言われた。

医師は特に検査することもなく、視診だけで「すこし腫れがあるようだが、手術するほどではないのでしばらく様子を見るように」とおっしゃった。

だが、気になる。

泌尿器科と内科を標榜する個人クリニックを受診した。

そこでは血液検査、尿検査、エコー検査を行ったうえで、「結石も腫瘍らしきものもない」「鼠経ヘルニアかどうかということについては、自分は専門外なのでわからない」と言われた。

 

だが、時折の刺すような痛みは、その場でうずくまってしまうほどなのだ。

当時、働いていたのは、一人体制の病院の薬局。

自分の都合で急に休むわけにはいかない職場だ。

 

体調のことだけが理由ではなかったのだが、僕はその職場を去る決意をした。

なにかあって迷惑をかけるわけにはいかない。

 

だが、転職先の調剤薬局は、面接時の説明とは違い、これまた自己都合で休むことなど許されないところだった。

業務量も一気に増え、生活が不規則になり、体調はむしろ悪化した。

 

すべては僕自身の「弱気」がもたらしたことだ。

誰のせいでもない。

 

新しい年を迎えるにあたり、この「弱気」をなんとかしなくては、と思った。

そのためには、「弱気」の根源である「体調」をまずはなんとかしなくてはならない。

 

鼠経ヘルニアを専門で診るクリニックをネットで探し、受診した。

診察の予約、診察、すべてがスムースに進行し、祝日にあたる土曜日に日帰り手術を受けることまでが決まった。

翌日は日曜日なので、家でゆっくり過ごせば、何事もなかったかのように月曜日からは普通に出勤できる。

誰にも迷惑をかけずにすむ。

 

前置きが長くなってしまった。

 

先日、ある方が、新たに迎える「この一年」をリーディングしてくださったのだ。

 

「あれ?順調な一年ではないのかな?」

リーディングしてくださるその方の表情を見ながら一瞬でそう感じたのだけれど、特に驚きも失望も感じなかった。

それは僕が日頃から悲観的な考え方をする傾向にあるからではなく、ただ、なんとなく「なりたい自分になるためには、もうすこし試練を乗り越える必要があるんじゃないだろうか」「落ち着くのはまだまだ先のことになるんじゃないだろうか」そんな感覚をぼんやりとではあるが、抱いていたからなのだ。

一言でいえば「まだまだ修行が足りん」ということなのだけれど。

 

「自分の都合ばかり考える人が身近にいて、その人に振り回される感じなんですよね」

その方はおっしゃった。

「うまく聞き流しながら、その人のペースに巻き込まれないようにしてください」。

 

笑ってしまうくらいに的中している。

「その人」の顔がすぐさま頭に浮かぶ。

僕が「今年は弱気をなくす一年にするのだ」と考える、まさにそのきっかけとなった人、今の職場の経営者の奥様だ。

 

自分勝手と自分本位と自己中心的、これらはそれぞれにちょっとニュアンスが異なる。

「その人」はどれにあてはまるだろうか。

 

現在の職場の経営者の方に、実は僕は一度もお会いしたことがない。

大病をなさり、コロナ禍のなか、用心のために自宅でずっと過ごしておられるとの話で、採用時の面接も、その方の「奥様」がすべて行われた。

ほぼほぼ家族経営に近い調剤薬局だ。

 

「その人」、経営者の奥様は非常に精力的で、また、気遣いの人のように僕には思えた。

一生懸命なのはおそらく自宅で療養している経営者である御主人を安心させたいという、その一心からなのではないだろうか。

 

だが、とにかく細かい。

錠剤の1錠、粉薬の1グラム、水薬の1ミリリットル単位までの在庫管理を日々求められる。

月末には箱を開封していない薬はすべて返品し、月が変わった翌日には再びそれと同じものを必要に応じて発注する。

患者さんおひとりおひとりが次に来られるのがいつになるのかを計算し、薬の棚に付箋を貼っていく。

薬が10錠足りなければ、近所の薬局一軒一軒に電話をして、その10錠を「定価」で買いとる。

100錠入りの箱を「卸値」で買ったところで、残り90錠は翌月には確実に捌けることがわかっていても、だ。

 

「2か月、3か月単位で考えたら明らかにこちらの方が得」ということよりも「まずは今月の支払いを最小限に抑える」ことを優先する。

在庫の量を必要最低限に抑えるため、大学ノートに細かく書き込んでいかなくてはならない。

本当に無駄が出ていないか、「奥様」がチェックを入れるためだ。

その事務作業量が半端ない。

 

手間、時間、人件費を考えれば、あきらかに無駄、損をしているように僕には思えるのだけれどね。

 

調剤薬局は開けば必ず儲かる、という時代がかつてあった。

経営者の方はそんな時代に脱サラして、この業界に飛び込まれたのだという。

ご自身は違うが、そのお父様がリタイヤされた薬剤師さんだったらしい。

奥様もそれまでは専業主婦だったが、ご主人の手助けを買って出たのだという。

 

「専業主婦の頃は株が趣味でね。そこそこの小銭を稼いでいたんだけど」。

なるほど。腑に落ちた。

 

自宅で療養中の御主人を安心させたい、自分一人でも立派に経営していけることを証明したい、そんな思いが強いわけではなく、株で日々の小銭を稼ぐ、そんなゲーム感覚に近いんじゃないだろうか。

この奥様のやり方は。

 

そんな職場だから、スタッフの定着率は極めて悪い。

だいたい半年から一年で人が入れ替わっているようだ。

でも、奥様は「どうして?」とは思わない。

「薬剤師なんて気ままで自分勝手な人が多いから」と割り切っておられるようだ。

 

ただ、一番の問題は、この奥様に「悪意」は微塵もない、ということなのだ。

そこにひとかけらの悪意でもあれば、こちらとしても「去る」決意をしやすいのだけれど。

 

ここ数年、「関りを持つ人を取捨選択する」時期に来ているのだということを実感することが多い。

旧い関係も、新しい関係も。

 

「自分の都合ばかり考える人が身近にいて、その人に振り回される感じなんですよね」

「うまく聞き流しながら、その人のペースに巻き込まれないようにしてください」。

 

う~ん、すごくよくわかります。

でも、「切る」ということは本当に難しい行為なのだ。

自分自身をすごく消耗する。

ましてやそれが「心底嫌い」という人でなければ。

 

いや、「切る」ではなく「巻き込まれないようにする」か。

「切る」と考えたのは、僕が潜在意識のなかで、自分自身が先へ進むためには「切るべき」だと思っているからなのだ。

 

それにしてもどうしてわかったのだろう。

「自分の都合ばかり考える人が身近にいる」なんて。

 

科学的には説明のつかないことが、この世にはたくさん存在するのだ、きっと。