「いのち知らず」感想追記(これが最終) - 個人と組織、そして妬みという感情について | 丁寧に生きる、ということ

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自覚なきまま、気がつけば50代後半にさしかかって感じる、日々の思いを書き留めます

ミュージカルや演劇のパンフレットは購入後、なんといっても、部屋が雑然となる原因となる。サイズもまちまちで、本棚にきれいに並べることができず、結局、床に積み上げることになってしまう。そして、たまに、雪崩現象を引き起こす。

これからは少しずつ、ものを減らして、身軽でシンプルな生活を目指そう、と考える人間にとっては、結構な厄介者なのだ。

だからいつだって僕は「もう買わない」と自分に誓う。

 

だが、なかには製作者の本気度がうかがえる、というか、その舞台となった時代の背景や国情などを百科事典並みに解説し、その演目を起点にいろんな方面に知識が広がる、そんな読みごたえのある、それだけでひとつの「作品」ともいえるような公演パンフレットがあるのだ。

ほとんど写真集に近いようなパンフレットであれば要らないが、そんなパンフレットだったら、まぁ、買ってもいいんじゃないだろうか、と僕は自分を甘やかしてしまう。

 

「いのち知らず」の公演パンフレットは、他のM&Oplaysプロデュースの作品パンフレットと同じように、徹底して、その作品の解釈のヒントだとか、演者が自身の役をとのように捉えて役作りしているか、だとかいった部分が削ぎ落されている。

「この物語をどのように解釈するかは、観るあなた次第」というスタンスをあくまでも貫き、その点では、どこまでも「不親切」なのだ。

 

今回の「いのち知らず」の公演パンフレットに、「個人と組織」というワードがあった。

劇中でいえば、「施設では死者を生き返らす研究をしている」という第三者の言葉で、所長に不信感を抱くロクは「個人」。

「そんなバカなことはあり得ない」と考え、所長に直接確認し、所長の信頼を得、門番の仕事以外に、患者のアテンダントまでするようになるシドは「組織」側の人間だろうか。

シドが患者のアテンダントを引き受けた本当の理由は、ロクと抱く「夢」の実現のために、少しでも多くの金を稼ぐためだったのだが、でも、それはロクには伝わらない。

そして、それがたとえ真実であっても、伝わらなければ意味がない。

 

 

あれは昭和が平成になった頃だ。

四月に仕事を始め、九月には労働組合・青年部の役員になった。

父と母の介護のための休職を契機に、労働組合の役員から離れた。

介護が自分自身の生活の中心となった何年もの間は、組合員ではあったけれど、組合活動にはほとんど参加しなかった。

介護が終わり、再び、集会などの組合活動に参加するようになった。

 

最初の頃、交渉の相手は、ほとんどが自分の親といってもいいくらいの年代の人たちだった。価値観の違いは、たぶん世代の差なのだ、と思った。

 

再び組合活動に参加するようになったとき、その相手=組織は、自分自身の同期たちに変わっていた。

それは数十年前、入職した頃に、一緒に闘った仲間たちだった。

 

 

ロクの気持ちは、その時に感じた僕の違和感、自分がとてつもなく遠いところに、ただひとり、流れ着いたかのような気持ちに、すこしは似ているのだろうか。

 

一期下の彼は、若いころから中央に呼ばれ、重用され、抜擢され続けた。

だが、それは実力以上に運なのだ。自分にだってチャンスが与えられることがあったなら、それに応えて、こちら側ではなく、あちら側の人間になっていたかもしれないのだ。

僕はそのとき、そんなことを微塵も思わなかっただろうか。

もし、わずかでもそんなことが頭をよぎったのだとすれば、それは「妬み」ではなかったのだろうか。

あまりにも遠くなってしまった彼に対し、感じた淋しさの裏側には、そんな妬みの心が隠れてはいなかったのだろうか。

 

「個人と組織」。その言葉に、僕はふと、そんなことを思い出した。

 

 

冒頭でのシーン。

所長に呼び出されたシドが深夜、ロクと暮らす部屋に帰ってくる。

テーブルの上には、何日もかけてロクが修理した古いラジカセが置いてある。

再生ボタンを押すと、ロクの穏やかな声が流れ出す。

シドは微笑みながら、ロクのメッセージに続けて、その「返信」を録音する。

所長の用事というのは、実はシドの誕生日を祝うための食事会だったこと。シドが「ロクも一緒に招いてほしかった」と所長に伝えたこと。そして所長夫妻に、「ガソリンスタンドをロクと経営する」という、ふたりの夢を話したこと…。

 

終盤、これと同じシーンが再現される。

これまでの激しい言い争いなど、なかったかのように、会話するふたり。

だが、このとき、ロクが見ていたのは、本物のシドではなく、かつて同じ夢を語り合った、「あの頃のシド」の残像だったのかもしれない。

ロクにとって「あの頃のシド」は、おそらく永遠に失われてしまったのだ。

 

道を違えたふたりの間に流れる川は、物質的な別れ・「死」よりも深く、そして広く、ふたりを隔てる。

そしてもう、二度とあの頃には戻れない。

ロクとシドも、そして彼と僕も。