愛されていた記憶を思い出したい | 〜力を抜いて生きていく〜

〜力を抜いて生きていく〜

51歳主婦の詩集✎
*2014年脊椎関節炎&軽症線維筋痛症発症2017年寛解
*2023年春再発→痛み広がり1度目より重い症状に。いつか今より元気になりこの宿命の答えを見つける日がくると信じ每日精一杯生きてます。様々な愛の形を詩にしています。拙い詩集ですがご覧ください✎



愛されていた記憶を思い出したい


そもそも私は愛されていたはずなのに
いつから自分は

愛が足りなかった、

と思うようになってしまったのだろう



心の癒し手として歩んでいた頃
さまざまな心の傷に触れ

ひとに寄り添い、学びを深める中で


誰かのことばや
マニュアルにある回答の中へ

自分の心の「靄」までも 重ねてゆく


あのときこうだったから
今、私はこうなのだろうか
あのひとの心の傷と私は

似ているのかもしれない



深い考察力 

やわらかな共感力 


誰かの価値観の影に触れるたび

わたしの光すら、かき消されていく 


自信は揺らぎ 

境界線はぼやけてゆく



若い頃の私は
人の声に耳を傾けない頑固者
それは父ゆずり
よくいえば

信じたものを貫き通すことができていた



ちゃんと目で見て
耳で聞いて

理解しようと努めていたのに



どうしてだろう

自分へのダメ出しが増えていった


以前よりもさらに輪をかけて 

他人の色に 濃く 染めあげられていった



気づいたら
ほんとうの私は何なのか
私の本心はどこにあるのか

わからなくなっていた


ねえ

私は一体誰なの?


元来の私は
少女のように
もっと
もっと

無邪気だったはず



いつしかそれが
みっともない
しっかりしなくちゃ
大人らしくしなくちゃと

思うようになっていた



知れば知るほど
私の魂に
正しさという名のラベル を
幾層にも貼り付けて
どんどん

私が“わたし”でなくなってゆく


私はきっと
あのまま

無邪気な少女でいてもよかったのに


父だって
ゆりかごのように

信頼できる人だったはずなのに


いつから
安心できない人に
置き換えてしまったの?

ねえ、私。
もう一度思い出して。
本当に私は

愛されていなかったの?


そもそも愛がなければ
私たちは今

生きてはいないはず



理想的な愛では

なかったのかもしれない 


それでも
形は違えど、愛の温度 を

受け取ってきたはず



愛された記憶を
胸の奥の引き出しに

そっとしまい込んでいるだけ



愛されてきたことを
知ろうとするのは
勇気のいることかもしれない
悔しい思いが

あふれてくるのかもしれない



それでも
愛されてきた記憶の断片を
もう一度
ひとつひとつ

拾い集めていきたい



そして
どうか私

耳を澄ませてみて



からだの痛みで
鈍り返った自分の感覚
深く
深く

深呼吸をして



何を感じているのか
かすかな声を

聞き取ってあげて



誰の考えでもない
ほんとうの気持ちを
私は
ほんとうは

どうしたいのかを――




※私two-miracleの綴る詩は

わたしの心の内や創作の中に
同時に存在する、いくつもの
愛のカタチを描いています。
誰かを裏切ったり
否定する意図はなく
ただ、一人の人間の記憶として
心を込めて紡いだものです。


この詩に触れた方が
それぞれの心にある愛の記憶と
静かに響き合えますように。


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