※ソネット本編終了後のお話です。

時系列では、スピンオフ「おめでとう2」の次です。復習されてからの方が理解が深まります。

 

 

11年目のSONNET

スピンオフ

 

伝説の森

 

 

★★★

「――長い歴史と伝統、多くの偉大な先輩方を輩出しているこの学院で、たくさんの事を学び成長していきたいと思います。新入生代表アイリス・ホワイト」

礼拝堂に響くハンドベルのような心地よい声。

入学試験を首席でパスした者に与えられる特権、入学式典での答辞。

今年は見目麗しい女生徒が選ばれたとあって、誰もがその名前を一瞬で記憶したに違いない。

しかもその生徒には他にも注目される理由があった。

 

「――あの子、特別室なんですって」

「・・まぁ、どんな家柄なのかしら」

ステンドグラスの光を浴び、栗色の艶やかな長い髪をなびかせて壇上から下りる姿を目で追っている生徒たちから「アイリス――虹の女神ね」羨望の声が上がっている。

しかし後方の上級生たちの目は、明らかにそれとは違っていた。

「――特別室?その内不純異性交際で学院から去ることになる」

「いや、一ヶ月で部屋を移る方に賭ける」

よこしまなささやきを拾えるはずもなく、アイリスの耳に届いたのは隣の生徒の声だけだった。

「素晴らしかったわ。私は寮の――」

「――私語は厳禁です」

そっけない返事をするアイリス。その立ち居振る舞いは父親そのものと言っていい。

DNAというのは恐ろしく、隠しても隠し切れないほど明確なモノがアイリスには備わっていた。

それでも自分の出自を隠したかったのは、父親が有名人だったからに他ならない。

(・・俳優の子供だと言われるのはもううんざり。まして貴族だってバレたらどんな特別扱いが待ち構えているか。あ~いやだ、いやだ)

家族の事は口外しない。グランチェスターのファミリーネームは名乗らない――

それが入寮にあたりこの家族と学院長との間で交わされた密約だった。

その時のことを学院長シスター・クライスと話し合った時のことも覚えている。

 

『公爵家のご要望とあらば仰せの通りに』

 

二つ返事だったのは、やはりこの学院とグランチェスター家に歴史的な癒着があったからだろう。

――ばらはどんな名前で呼んでもばらだ。

そんなシェークスピアの影響もあってか、父親はどんな名前で在籍しようと特段反対する理由は無かったようだ。

『特別室は空いていますか?』とアイリスが訊いた時、『もちろん空いています』と言いながら、父親と母親の方をチラッと見たシスター・クライス。

わずかに下げた眉の意味を誰かが読み取っていれば、入学後アイリスに降りかかる事態は違っていたのかもしれない。

母親が青春時代を過ごした同じ部屋をどうしても使いたかった。もしかしたら、運命の人との出会いが待っているかもしれない。

そう考えてしまうのは、理想的な両親の姿を見ていたから。

一方、弟のアンディは特別室にはこだわらなかった。

しかし双子の子供たちを平等に扱うのをモットーとしていた両親は、今回も同じ環境を与えることを選んだ。

 

 

 

(・・・はぁ、、どうやったらアンディに会えるかしら。共有スペースですれ違うことがやっとだわ)

木立の向こうにわずかに見える男子校舎を恨めしそうに眺めていたアイリスは、入学して五日目ついに解決策を見出した。

(共有スペース・・――図書室!?)

さっそく昼休みに行ってみようと内心小躍りした時、

「ビッグニュース!王室の子がこのクラスに来るんですって!社会体験とかで三週間!」

息を上げながら生徒が教室の中に走って来た。

(王立の学院に王族が来ることのどこが驚きなの?)

アイリスが俯瞰するように席に着くと、シスターに連れられた噂の人物が教室に入って来た。

ミント色だった空気が一瞬でばらの香りに包まれる。

「エリザベスです。リズって呼んでくださって結構です。短い間ですがどうぞ宜しく」

宮廷の奥に十人以上の家庭教師を従える珠玉の王女の気高さは目を見張るものだった。

(・・リズと呼べと言われて呼べる庶民がいる?呼ばないと機嫌を損ねる?)

クラス中が密かに頭を抱えたことも察せずに、シスターは続けた。

「エリザベスの席はそうね・・・アイリス!クラス委員のアイリスの隣でどうかしら?」

年度初めの席順は寮の部屋と同じ並び。

特別室を使うアイリスが一番前の窓側の席。その隣の席は隣室を使うフェリシアだったが、シスターはフェリシアに退くように指示し、一番後ろの席を指さした。

「待ってくださいシスター!フェリシアは目が悪いんです。後ろの席に行くのは」

「大丈夫よ、アイリス。その為に眼鏡があるんですもの」

フェリシアはべっ甲の眼鏡を触りながらそう言うと、エリザベスに会釈をし席を譲った。

 

授業が終わって間もなく、フェリシアが遠慮がちに話しかけてきた。

「・・ノートを写させてくれない?黒板の文字がよく見えなくて」

「眼鏡は?」

「度数が弱いみたい。部屋にはもう一つあるから明日からは大丈夫よ。先ほどは私を庇ってくれてありがとう」

 

 

 

読書好きのアイリスがそうすると分かっていたのか、まるで示し合わせたようにくせのある金髪を図書室で見つけたのはこの日の昼休みだった。

アイリスは本棚から幾つかの本を適当に選ぶと、ごく自然に少年の隣に着席した。

弟の鼻のそばかすがまだ消えていないことを横目で確認すると、少しホッとする。

(やっぱり来たね)

(・・・会話は禁止よ)

(分かってる)

(にせポニーの丘に行ってみたいの)

(母さんに地図を描いてもらったから、放課後探してみる)

周りから見えないように秘密の手紙―メモーを慎重に渡す。

ただでさえ首席入学のアイリスは注目の的。

男子と女子の会話は厳禁なのだ。たとえそれが姉弟であっても。

そもそも、今や共通するファミリーネームを擁してない二人が姉弟であることに誰が気付くだろう。

母親似のアンディは、大人びている姉とは髪の色も目の色も違うのだから。

 

日に日に二人の小細工は手の込んだものになっていった。

いつも隣の席にいるのは不自然なので、向かいに座ったり、ある時は本棚を利用して手紙を渡したり、手紙を挟んだ本をわざと落とし、阿吽の呼吸で相手に拾わせ渡すこともあった。

(・・・エリザベスがクラスにいるってほんと?)

(・・そうよ。陛下の戴冠式で会ったことは覚えてないみたい)

(親戚と云っても一瞬挨拶を交わしただけだからなぁ。寮に入ったのか?)

(いいえ、宮殿から通ってる。私が特別室を使っているって知ったら、どこの家柄なの?って聞いてきたわ)

(なんて答えたんだい?)

(ごく普通の家庭ですって。もう百人に同じ言葉を言った気がする)

「(宮殿と云えば、父さんが陛下の吃音のちりょ――)あ、、と、失礼」

次の手紙を渡そうとアンディがわざと落としたノートだったが、タイミングが悪く他の生徒が拾い上げてしまった。

「――あら・・?」

「あ、ありがとうございます、レディ!」

アンディは慌ててノートを奪い取り、作り笑いをしてみせた。

(・・挟まっていた手紙を見られたか?)

「どういたしまして」

その女生徒はアイリスの隣の席に座り、小声で話しかけてきた。

「――ねえ、あなたの部屋は」

「まだ荷物が散乱しているの。きちんとおもてなし出来ないから、ごめんなさい」

特別室を覗きに行きたい、という興味本位の質問だと先走って答えたアイリスは、ププっと口元を抑えるしぐさと飴色の眼鏡に気付きハッとした。

「あなたの部屋は私のお隣ね、って言いたかったの。宜しければ今度あそびに来て」

おっとりした口調でフェリシアは言った。

「・・眼鏡、変えた?」

丸いフレームは以前と変わらないように見える。

「視力を変えようと頑張っているわ。スペアの眼鏡の方が度が弱かったみたい」

「なっ、、シスターに言って、席を戻してもらったら!?」

思わず立ち上がったアイリスに、周りは一斉にシーっと指を立てた。

「――言いにくいなら、私がシスターに」

「エリザベスの体験期間が終わったら、戻してもらえることになってるの」

「なら、それまでは一番前の私の席を使えばいいわ」

「・・エリザベスに余計な気を遣わせたくないから」

隣室のクラスメイトはずいぶんお人よしだな、とアイリスは思った。

「・・・遠くの景色を見れば、視力は回復するそうよ」

――だからワトゥシ族の視力は8.0なんだよ、アイリス。

祖父アルバートから教わった事をとりあえず伝えた。

男子校舎を眺めて回復するとは思えなかったが。

 

 

(1913年度の生徒名簿は?)

(父さんは載ってたよ。でも、母さんは・・・)

(1914年度にも載ってなかったわ)

図書室に通い詰めて五日後、二人はついにこの疑問にぶち当たった。

――キャンディス・ホワイト・アードレーは本当に在籍していたのか?

どの年度の名簿にも、写真はおろか名前さえ載っていない母親。

この学院で両親が恋に落ちたことを夢見て入学した子供たちにとって、

――もしかして、食堂のおばさんだったのでは?

そう勘繰りたくなるのは当然だった。

 

 

「あなたって、アンディ・ウィリアムと仲が良いのね。お付き合いしているの?」

来るべくして来た質問をアイリスにしたのは、自習時間に暇を持て余したエリザベスだった。

特別室を使う二人が同じ時刻いつも図書室に揃っている偶然に、疑いを持つ生徒がいてもおかしくはない。

「あなたが彼に手紙を渡すところを見たわ」

ギクっとしながらも、持ち前の機転の速さでその場を取り繕う。

「十月祭のパートナーを探しているの」

「ああ!来月の十月祭ね。私は参加できないけど皆さんは大変ですこと。男子とはおしゃべりも禁止なのに、ダンスのパートナーをどうやって探すのかと思っていたの。あなたなら、そんなさもしい事をしなくても相手から申し込みがあるのではなくて?」

「・・・さもしい?」

この学院には五月と十月に大きな催しものがある。

祭り色が濃い五月祭と違い十月祭は文化活動の発表会で、著名人による講演会なども行われる。

夜の舞踏会のパートナーは、部活動の上級生の力を借りて探す生徒も多かった。

「そうね、リズはパートナーに困ることは無いわね。たとえそれが結婚相手でも」

「――リズ?」

驚いたようなエリザベスの表情を見て、後ろの席の生徒が語気を強めた。

「失礼よ、アイリス!」

「そう呼んで欲しいって言ったのはリズの方だわ」

「だからってっ!」

常に取りまきに囲まれているエリザベスと違い、アイリスには一匹狼的な気質があった。

「アイリス・ホワイト・・・以前どこかでお会いしたかしら?」

「そうね。お会いしているわ、王女さま」

王位継承権第一位のエリザベスは、その返答が公私どちらに向けられたのか分からなかった。

 

 
 


 

横から縦の世界へコミュニケーションが広がる頃、新入生はある伝説を耳にする。

学院生活が二週間過ぎた頃、その伝説はアイリスとアンディの耳にも入った。

「・・・貴族の男子とアメリカの成金女子って、父さんと母さん・・じゃないよな?」

地図を頼りに探し当てたにせポニーの丘で初めて行われた家族会議は、疑惑の言葉から始まった。

「テリィとキャンディなんて名前、他に誰がいるのよ!しかも特別室の住人ってことも同じだわ」

「伝説は語り継がれている内に変化するものだよ」

「馬小屋で夜な夜な会っていたのは、、、事実かしら?」

「・・・・アイリス、今変な事を考えていた?」

嫌悪感を示すような姉の表情にアンディは気付いた。

「不純だわ、パパとママっ」

「・・・何かの間違いだよ」

「じゃあ、名簿はどう説明するの!?駆け落ちしたから除名処分を受けた、ってことじゃないの!?」

「除名って、せめて退学処分とか他に言い方は」

「退学処分になる親なんて恥ずかしすぎるわっ、私は―――」

切羽詰まっているような姉の顔を見て、アンディは話題を変えようとスッと立ち上がった。

「――この丘、すごい場所にあるよね。こんな敷地の端っこにある小高い場所に、わざわざ昼休みに来る生徒なんかいないよ」

「・・ほんと、上るのも必死のパッチ」

「それ、西の方の言葉らしいけど、レディが使ったらシスターに叱られるよ」

「いいですか!?正しい言葉遣いは、正しい精神に繋がります」

鼻をつまみながらシスターの真似をするのは、母親直伝だ。

「今朝のお祈りはいつもの倍です!」

アンディが続ける。

お祈りを罰のように使うのが、この学院の伝統だということも聞いている。

「二倍の刑はまだ食らって無いわ」

二人は顔を見合わせて、プッと吹き出した。

丘を超えた奥に、脱走できる高さの石の塀があることも、シーツロープでターザンすればシスターに見つからずに移動できることも入寮前に習ったが、両親は決まって最後にこう言った。

 

『やっちゃダメよ』

『やってはいけない』

 

なんと説得力がない言葉だろう。

「父さんと母さんは、ここで毎日のようにおしゃべりをしていたんだろうなぁ。薄暗い森の中の小屋なんかより気持ちがいい。そう思わないか?」

遠くに見える校舎の上に広がる秋の高い空。

アンディが胸いっぱいに空気を吸い込んだ時、昼休みの終了を告げる予鈴が遠くから聞えた。

「急がないと間に合わない、アイリス!必死のパッチだ」

「紳士も使っちゃダメなのよ」

「じゃあ、いったい誰が使うのさ」

「西の人」

笑いながら丘を駆け下りる二人は同じことを考えていた。

(父さんたちもきっとこんな風に・・・)

実際のところ、父親が走って校舎に向かった事など一度も無かったのだが。

 

 

「ブルーリバー動物園を貸し切りですって?さすがエリザベスだわ!」

教室では相変わらずエリザベスの周りに取りまき達が群がっていた。

「いっそ動物園をウィンザー家で買い取ったらいかが?世界中から動物が集まるわ」

いかに大げさに褒めるかもレディに求められる条件なのだ。

「白黒のまだら模様の熊が見られるそうよ」

エリザベスが自慢気に言うと、取り巻きの一人がウットリするような声を上げた。

「知ってるわ、そのニュース。新聞で読んだばかりよ」

「皆さんも外出できるように院長に頼んであげる。貸し切りは午前の半日だけなの」

「ご一緒させて頂くわ!」

「なんて光栄なんでしょう」

どうやら明日の日曜日、このクラスの生徒は誰一人いなくなりそうな予感。

 

「――あなたも視力回復を試みているの?」

外の景色が最高の友人とばかりに背中を向けているアイリスの横に、フェリシアは並んだ。

「一緒にまだら模様の熊を見に行かない?」

「・・パンダには、興味が無いの」

アイリスは遠くを見たまま答えた。

 

 

「だから今朝の日曜礼拝には、女子が少なかったのか。集団ストライキかと思ったよ」

丘の草の上に寝そべりながらアンディは茶化した。

「こう規則が厳しいんじゃ、ストライキもしたくなるわね」

「言えばよかったのに。ブルーリバー動物園の経営者はウチだって。その内私が継ぐんです!って」

「それじゃ、アードレー家の人間だってバレちゃうじゃない。それに私は継がないわっ」

戦争で経営状況が悪化した動物園に救いの手を差しのべたアルバートさんが、東の国から珍しい動物を迎え入れたのはつい最近のこと。

先行独占公開で見たパンダはかわいかったが、詳しすぎる祖父の説明や、猿に異常な関心をよせる両親の態度の方が、よほど記憶に残っている。

「”イニシャルがAの者には継ぐ資格がある”ってアルバートさんはいつも言ってる。今日だって動物園にいるんじゃないか?会いに行けばよかったのに」

「イヤよ、まるで集団遠足のような状況なのよ?王女にガイドをするのは園長のアルバートさんだわ。またパンダの出産秘話から聞きたいと思う?」

「集団遠足・・・・そうだ!今がチャンスかも」

「チャンス?」

「例の、厩の場所が分かったよ。馬術部が使っている厩とは違うんだ。母さんが描いた地図の意味がようやく分かった!」

「ママが馬小屋の場所を描いていたの?」

「学院の森の地図に、小屋のような建物と一緒に、豚のような動物が書いてあって、たぶん馬を描いたつもりなのかな、って昨日気付いたんだ。あれ、豚小屋じゃなくて馬小屋だよ!」

「・・・ママって絶望的に絵が下手よね」

「母さんのダメ出しは後回しにして、行ってみないか?何か残っているかもしれない」

「・・愛し合った形跡?」

少し皮肉めいた口調でアイリスは言った。

「――まだ決まったわけじゃないよ」

 

 

 

藁が散らばり、屋根はところどころ朽ち堕ちていた。

無数の蜘蛛の巣が行く手を遮りアイリスは入口から動きたくなかったが、壁に掛かった鞭に気付いたアンディは枝で白い糸を払いながら奥へ進んだ。

「――父さんの名前だ、間違いない。ここが例の厩だ」

「ここで・・・夜な夜な逢引きを・・」

ほこりまみれの父のイニシャルを確認したアイリスの顔が嫌悪感で歪んでいく。

その時だった。カサカサと葉っぱを踏むような音が聞こえた。

大勢の足音が乾いた小枝をパキパキと鳴らしながら近づいて来る。

「・・・この厩?・・」

その声と同時に、蝶番の壊れた入り口の扉が鈍い音を立てゆっくりと開いた。

ギギギ・・・・

 

(ダメだ!間に合わない!)

 

――逃げられない

 

「――あなた達、ここで何をしているの!?」

厩の中には、特別室の二人が肩を寄せ合うように立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

つづくんです

 

後編へ左矢印左矢印

 

。。。。。。。。。。。。。。。

ワンポイントアドバイス

 

特別室の位置について

漫画やアニメでは、2階の中央付近に位置していた特別室ですが

ファイナルでは『廊下の行き止まりに、他より大きな扉上巻258 が特別室だったと書かれています。

つまり角部屋(一番端)と解釈しました。

アイリスの席順が一列目の窓側なのはその為です。

 

この物語は1938年9月です。

この年、ロンドン動物園にパンダがやってきました。

 

必死のパッチ

関西方面の言葉で「必死にやる」という意味だそうです。

作中の「西の方」は「ウェールズ」だと思ってください。

 

ワトゥシ族について

詳しくは『渦の中の再会・エピローグ4-7』をご覧ください。

 

 

 

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