前の内容を踏まえ、主観混じりでファイナルを深堀りしていきます。
スザナとキャンディ
スザナからの手紙は、テリィと別れたばかりの頃にシカゴのマグノリア荘に届いたはずです。
キャンディの手紙を抜き取っていたスザナは、この住所(と看護婦寮の住所)しか知りませんし、
「キャンディスWアードレー様 無事にシカゴに戻られたでしょうか」下巻279
という文面からも「直後」であるように感じます。
スザナからの手紙は、旧小説よりもボリュームが増していますが、逆に、旧小説ではあれほど饒舌だったキャンディの返事は跡形もなく削除されました。
まだまだ失恋の痛手が残っているキャンディが、スザナに対して貝のように口を閉ざす。
・・スザナへの嫉妬やテリィへの未練が、かえって鮮明になっているように感じます。
ファイナルの回顧録に出てくるキャンディの言葉をお読みください。
ファイナルのキャンディは、テリィに出した手紙をスザナによって抜き取られていました。
どうやらキャンディはニューヨークへ行く前から、手紙の件とシカゴのホテルで追い返されたの件について、スザナに恨みを持っていたようです。
回顧録の中に「誰かを心底、愛してしまったら、きれいなままではいられない」下巻218 という、およそキャンディらしくない発言が登場します。
この言葉はスザナに向けて言っているようですが、キャンディも少なからず理解できると言っています。自分にもきれいじゃない部分があると自覚があるようです。
エレノアとキャンディ
エレノアからの手紙はキャンディの生活の拠点であるポニーの家に届いたと考えます。
この手紙が、テリィと別れてから1,2年ならシカゴのアパートの可能性もありますが、テリィがハムレットに抜擢された時期に届いているので、それなりに年数が経っています。
キャンディのフルネームとセントポール学院出身という情報があれば、捜査のプロに依頼すればたどり着けると思います。
アードレー家に届いた可能性もありますが「別れた恋人の極秘の母親」というエレノアの立ち位置を考えると、養父が住む大豪邸に手紙を送るのは人目に触れすぎてリスキーです。
キャンディがシカゴの本宅に住んでいる、と考える人もいると思いますが、キャンディは帰郷後マーチン先生と共に村の診療所で働き、「子供たちを寝かしつけたところ」と往復書簡下巻317に明記されているので、ポニーの家に住んでいる、と考えるのが自然です。
旧小説のキャンディはハムレットの招待券をエレノアに送り返していますが、ファイナルでは「宝物にする」と言って保管しています。
テリィとはもう会わないと約束をスザナとした、とエレノアへの手紙でわざわざ伝えています。
ブログ主が紹介したいポイントは、地味ですがココです。
「テリィのニュースはなるべく見ないようにしようと思っているのに、つい目がいってしまうのです 」
復刻版491
ファイナル
「テリィのニュースはなるべく知らないでいたいと思っているのに、不思議なくらい自然に見つけてしまうのです 」下巻271
意味としては同じですが・・・・やっぱり微妙に違いますよね。
う~ん、後者は見ないとは言っていない。見たいんでしょう、俳優としてのテリィの頑張る姿は。
けれど婚約とか結婚とか(スザナのものになるテリィの)、そういう情報は聞きたくないという、微妙なニュアンスを感じます。
「知りたくない」ではなく、「知らないでいたい」なんですね。く~っ
つまり、思い出の中の自分だけのテリィを、そのまま残しておきたい、って感じでしょうか。
・・切なさが垣間見える一節だと感じます。
この言葉からは同時に、この時のキャンディはテリィの婚約記事は見ていない(まだ報道されていない)というような空気を感じます。
スザナとテリィの関係を祝福するような文言は無く、スザナに触れたのはこの一行だけだからです。⤵
「スザナ・マーロウとの約束もあります。もう会わないと約束しました」下巻273
エレノアの視点で考えると分かりやすいでしょう。
息子に同棲している女性や婚約者がいるのなら、元カノキャンディに招待状を贈るのはかなり常識外れです。
エレノアは何をやりたいんだ、と誰もが思うでしょう。
エレノアがテリィとスザナとの(本当の)関係をどこまで知っていたかは分かりませんが、エレノアが招待状を贈った時点では、テリィは婚約していなかった可能性が高いと考えます。
テリィへの手紙
実はとても違和感がありました。内容は似ているのに、旧小説のキャンディはサバサバ明るく、ファイナルのキャンディは泣いているようにさえ感じるからです。
この違いは、文面が大人向けに変わったから、だけなのか?
変更点に注目すると、見えてきました。
手紙を書いた時期
旧小説
ハムレットが成功した頃
ファイナル
ハムレット公演がロングランに次ぐロングランで、イギリス公演が決まった頃
なぜファイナルのキャンディは、ハムレットが成功した時期に書かなかったのか?
旧小説より更に一年ほど遅らせたのはなぜか?
そのヒントは同じ手紙に書かれたスザナ絡みの言葉にあります。
スザナの功績の違い
旧小説
「どさまわりの劇団から(テリィが)ブロードウェーにもどったときの、スザナのインタビュー記事を読みました」
キャンディが読んだインタビュー記事は、これです↓
このインタビュー記事は、単にスザナはテリィの帰りを信じて待っていた、という内容です。
健気さは伝わってきますが、スザナはまだテリィに何もしていません。
ファイナル
ファイナルのキャンディも同じく記事を読みました。これです↓
スザナの内助の功を称えるような記事になっています。
『そんな記事』って、こんな感じ?⤵※想像です
「テリュースの復帰を支えた、スザナの愛!テリュース&スザナ婚約!」
ファイナルでは、テリィとスザナは婚約したらしい、というのが周知の事実となっている、と書かれているので、キャンディはどこかのタイミングでその記事を見ているはずです。
テリィがスザナと婚約するとしたら(婚約したと報道されるとしたら)ハムレットの初演以降が妥当ではないでしょうか?最も適切な時期は「ロングランに次ぐロングランの頃」だと思います。
一旗揚げてから結婚する、というパターンは男の責任の取り方の王道だからです。
旧小説には無かった「スザナとの婚約」を原作者は新たに入れたわけですから、当然意味があるのです。
だってね
「テリュースグレアムとは周知の仲であり、ずっと共に暮らし、闘病生活も支えていたが、婚約したまま結婚することはなかったという」下巻281
婚約の二文字がなくても文章が成り立つと思いませんか?
なのに、テリィファンをただただ混乱させるだけのような「婚約したまま」が原文ですから、少なくとも「婚約」というワードにはひと仕事が与えられたわけです。
つまり、婚約記事を見てしまったキャンディは、テリィへの恋心を封印しようと『テリィへ手紙』を書いた、とも考えられます。
ハムレットの初演の時にさえ手紙を書かなかったキャンディが、手紙を書こうと思うには必ず理由が必要です。婚約記事しかタイミング的にないのでは?
「もっと幸せになってね!」という発言とも合致しています。
テリィ、スザナはすてきな人です。何よりもあなたを愛しつづけていることが、すてきです。
そして、そんなスザナを選んだテリィ、あなたも。 下巻277
内助の功でテリィを成功に導いたスザナを、必死に持ち上げている感じも伝わってきます。
「スザナを選んだテリィ・・」は過去の事とも、今の事とも受け取れます・・
『テリィの婚約記事が出る・テリィに手紙を書いて恋を封印する』という部分は、必ず時系列のどこかに差し込まなければいけないので、この二つはリンクしている、と感じます。※主観です
アンソニーへの手紙
旧小説
書いた時期は丘の上の王子さまのカムアウトの直ぐあと。キャンディ17才の頃です。
「丘の上の王子さまも、アルバートさんだったのです!(中略)そのことを知ったのは、つい最近です」復刻盤497
ファイナル
書いた時期がアーチーの婚約式以後と、遅くなっています。
「ステアには、心の中でいつでも手紙が書ける。けれど、わたしはあの頃(アーチーの婚約式の頃)はまだアンソニーに書けなかった」下巻268
旧小説ではいとも簡単に楽し気に書いていたキャンディでしたが、ファイナルではアンソニーへの自責の念からか、手紙がなかなか書けない設定に変更されています。
かなり大きな変更点だと思います。
手紙を書くきっかけは?
アンソニーへの手紙を読むと、冒頭にこのような文があります。
「アンソニー、わたし、レイクウッドへ行ってきました。誰とだと思う?(アルバートさんよ)」下巻324
そのレイクウッドへの訪問で何があったのか?
キャンディは「初めてアードレー家のメモリアル館に入り、肖像画を見た」と書かれています。
その内容は、直前のアルバートの往復書簡(下巻319)のものと合致してます。
その往復書簡では、キャンディはアンソニーの事故に責任を感じ泣き出してしまいます。
「私のせい・・私のせいでアンソニーが・・」
泣き出したわたしを、アルバートさんはそっと抱き寄せてくれました。下巻320
キャンディと同じ苦しみを抱いていたアルバートさんは言います。
「きみを養女にしたのは僕だ・・キツネ狩りも僕が指示した」――誰のせいでもない・・
アルバートさんに諭されたキャンディは「よみがえった気持ちになった」と2回書かれているので、心が救われたようです。
これがきっかけになり、アンソニーに手紙を書く心境になったと読み取れます。
アンソニーへの手紙の中で語られる内容は、前半はアンソニーの叔父であるアルバートさんが大おじ様だったこと、中盤はアンソニーの死、後半はテリィのことです。
テリィとの切ない恋を振り返り、かつて愛したアンソニーにしっとりと秘め事のように報告しています。
「わたしはあなたがすべて赦してくれているのを知っています」下巻328
という言葉も登場しますので、死のきっかけになってしまった自責の念だけでなく、あんなに好きだったアンソニーが亡くなって直ぐにテリィを愛してしまったと、後ろめたさも暴露しています。
失恋の痛手はもう感じませんが、胸の深い所に静かにテリィとの思い出を刻んでいることが伺えます。
「全て赦す」という意味
「すべて赦してくれている」という言葉に、アンソニーの叔父であるアルバートさんを愛し始めた、という一種の懺悔するような気持も含まれている、と捉える人がいるようです。
「許す」ではなく「赦す」という重い漢字を使っているのはその証拠、という事ですね。
確かにレイクウッドでの二人は、いいム~ドです。
アルバートさんはキャンディに恋心がある様な描写もありますし、この頃のキャンディは「ちっちゃなバート」という愛称を手紙で使っていますから、あの後恋人関係に発展したのでは、という想像も膨らみます。
ただ、少なくともこの手紙には、アルバートさんへの恋心は書かれていないように見えます。
「もう誰かをこんなに好きになることはないだろうとも思いました。なのに・・・アンソニーは知っているでしょう?」下巻327
この文の答えの対象がテリィ1人だからです。⤵
「ロンドンで私はあなたと似たひとに強く惹かれてしまいました」
仮にアルバートに恋心が芽生えていたら、テリィだけを指すような書き方にはなりません。
よく言われる『キャンディキャンディの3つの愛』についても、
「そのひと(テリィ)によって、わたしは、愛するという感情が多様だということを知りました」下巻327
とあるので、ファイナルのキャンディは、テリィとアンソニーとの経験で既に『愛の多様性』を悟っていることも分かります。
この手紙に2種類登場する「赦す・許す」の漢字の使い分けですが、「自分が呼吸していることすら許せない」は自分自身に対してなので、「許す」です。
「あなたがすべて赦してくれているのを知っています」は、天国のアンソニ―が「ゆるす」ことなので、「赦す」を使っているのだと解釈します。
テリィファンの中には、「すべて赦して」をテリィと再会することや結婚することだと思う人もいるようです。
しかし、同じ手紙の中には「今は…。生きていても、会うことがかなわない運命があることも知ったのです」下巻327 という文章があるので、テリィとの関係は(この時点では)絶望的のようです。
「赦す」という言葉について、翻訳著書の出版経験のあるフォロワーのFinさんに解析をお願いしました。頂いた返事を貼り付けます。
*自分だけ生き残ってしまったことに関する罪悪感
アンソニーはキャンディの目の前であっという間に死んでしまいましたよね。助けることも叶わなかった。当たり前ですがこれはかなり禍根を残したはずで、この手紙にも「自分が呼吸していることすら許せなかった(これは「許す」ですけど。意味としては「耐えられない」ってことですよね)…必ず夜明けが来て、日が暮れることがつらかった…のどが渇いて、空腹になることがいやでたまらなかった」とあります。
つまりアンソニーは死んでしまったのに、自分だけ生き残ったことが容認できなかった。
これはキャンディにとって大きな十字架だったのだと思います。
→これは結局、自分が養女になったからアンソニーが死んでしまったという「自責の念」の一要素でもある。
*テリィに恋したことで芽生えた罪悪感
テリィを愛すること、それはアンソニーを完全ではないせよ忘れることにつながります。
故人を忘れるということも非常な罪悪感を伴います。新たな人物に対する恋慕に凌駕されていいのだろうか、ずっと忘れずにいるべきなんではないだろうか。葛藤しながらもテリィに強烈に惹かれていったわけです。
→やっぱりこれも結局、アンソニーの死後すぐにテリィを愛してしまったことに対するうしろめたさの一つである。
巻末に移動した意味
旧小説の巻末は「心より愛をこめて キャンディ」というアルバートさんとキャンディの往復書簡の言葉でした。この文を読む限り、物語は完全にアルバートエンドだと感じます。
しかしファイナルでは、アンソニーへの手紙が大躍進し往復書簡を抑え、巻末を飾りました
アンソニーへの手紙には他の人の手紙には描かれていない、大きな要素が含まれています。
物語のテーマです
作品の中で「生きる」という言葉は幾度となく繰り返されます。
亡くなったアンソニーも「人は死んでもなお、心の中で美しく生き続ける」 という金言を残しています。
14歳のキャンディは、「生きていればきっと会える」、と旅立つテリィをサザンプトン港で涙ながらに見送りました。しかしテリィとニューヨークで別れた後の汽車の中で、「生きてたってもう会えない!」と絶望します。
その後も何度か同じ意味の事を言って漫画は終了します。
感動の最終回から伝わってくるのは、この先もどんな困難を乗り越え、仕事に恋愛に充実した人生を笑顔で送るであろうキャンディの希望に満ちた明日(未来)です。
連載開始当初の構想で着地しました。
しかしその陰で、テリィとキャンディが「生きていても会えうことが叶わない運命もある」と、暗に悟ってしまうような事態は、原作者が当初伝えたかった事とは真逆のような印象も持ちます。
「 本当に愛しあっていても運命のいたずらで別れなければならないこともある。そんな思いも込めて書いた場面」と、当初水木先生はそのようにテリィとの別れのシーンを語っていました。
しかしこれは後付けの理屈です。
テリィというキャラは、連載が爆発的に人気が出た為に急遽作られたキャラですから。
しかし、その30年後に「これがわたしの書きたかった世界だろうか」下巻334 と振り返っても不思議ではありません。
だからこそファイナルではアンソニーへの手紙を巻末に据え、改めて強調したのではないでしょうか。
生きていれば希望を抱ける
原作者は、元々このテーマを念頭に置いて連載をスタートさせたと考えれば、一度息の根を止められたテリィが突如として息を吹き返すのも、ある意味テーマに沿ったものとも受け取れます。
名木田先生は当初の構想からぶれることなく、その延長線上でファイナルを書いた。 そんなところでしょうか。
次の言葉は30代のキャンディの言葉です。
![おねがい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png)