※「アルフレッドの独白」の一ヶ月後のお話です。
本編8章㉑「誕生日プレゼント」 に関連したお話ですが、そちらを未読でもお読みいただけます。
テリィVSアルバート
11年目のSONNET
スピンオフ
★★★
ロンドン。デュークス劇団系列のロイヤル劇場。
テリィの所属するRSCは、ここを間借りして活動を再開することになった。
楽屋は二人で一つ。 贅沢は言えない。
「良かったな、テリィ。俺と一緒で嬉しいだろ?俺も嬉しい!」
ジャスティンは、衣装戸棚に衣装を掛けながら、にやりと口角を上げた。
「・・・そうだな、俺も嬉しいと言っておくよ」
テリィの顔は嬉しそうには見えない。
「で、キャンディは元気か?」
この頃ジャスティンは同じことばかり訊く。少々ウンザリ気味にテリィは返した。
「元気だよ。今日はアルバートさんがウチに来るんだ。夜通し語り合うって、夜食用のサンドイッチまで作ってた」
「おお!あのやたら若い父親か!」
そう言った直後、ジャスティンは興味深々、疑惑満載、という顔でテリィにすり寄ってきた。
「――本当の親子じゃないんだろ?いったいどういう関係だよ」
「・・・養父さ」
「へぇ~・・・若そうに見えたけど・・・実は五十才とか?夫婦に子供が出来なかった?」
「いや、三十代。結婚歴はない」
テリィの答えに、ジャスティンは思わずよろけた。
「それは、、――おかしいっ!」
「おかしい事なんて何もない」
「おかしいだろ、三十代が二十代を養女にするか?俺なら恋人にする!」
「・・・キャンディが養女になったのは、十年以上前、十三歳の時だよ」
「ますますおかしいだろ。あと数年待てば、結婚出来たってことじゃないか!独身の若い大金持ちが、何で養女を迎える必要があるんだ」
「・・・おかしくないさ」
自信がなくなってきたテリィの声は、急激にしぼんでくる。
「お前、キャンディとそいつがダンスしている姿を見たことあるか?恋人同士にしか見えなかったぜ!?」
「・・・・キャンディが愛しているのは・・・俺だ・・」
テリィの声は、もはや風前の灯火。
「キャンディはどうだか知らないが、あの養父は絶対怪しい!劇場の車寄せであの二人を見た時、抱き合って、くるくる回していたぜ!?」
(・・・くるくる・・?)
テリィはキャンディにそんなことをした覚えはない。
なぜ、くるくるしなかったのか。
テリィはとるに足らないような敗北感で満たされていく。
「お前は十年間キャンディを野放しにしたんだろ?本当にその養父とやらがキャンディに何もしなかったって言い切れるのか?十年だぜ!?養女にするほど気に入ったってことだぜ??」
「・・・・」
テリィの声が消えた。
頭の中に、アルバートさんが初恋の人だった、という余計な記憶までぶり返す。
「その、アルバートさん、今日はあの立派な屋敷に泊まるんだな?」
「ああ。客室はたくさん余ってる」
グランチェスター公爵家。 テリィとキャンディは今はそこに住んでいる。
仲がいいとは言い難い父親が、キャンディの妊娠を口実にして、渋るテリィを説き伏せたからだ。
「ロンドンで一番のホテルを用意してさし上げろ!夜通し語り合って寄りが戻ったらどうする」
「それは――」
「恋は夜に花開く!」
プレイボーイの一声に、テリィはホテルを予約することに、もはや躊躇は無かった。
「ただいま・・・」
「テリィ!お帰りなさい。アルバートさん、もう来てるわよ」
玄関を入るなり、テリィに飛びつくようにキャンディは出迎えた。
いつもの笑顔が150%増しに見えるのは、たぶん気のせいではない。
キャンディにくるくるを試したくなったテリィだったが、妊娠中とあっては、我慢するしかないだろう。
「キャンディ、あまりはしゃぐなよ。お腹の子が――」
テリィの心配などつゆ知らず、キャンディは急かすようにテリィの腕をとった。
応接間では、いつも不愛想な父親が若い養父と談笑していた。
ジョルジュも珍しくソファに腰かけている。
「やぁ、テリィ。この度の火事は災難だったね。アードレー家としても、劇場の再建には出来るだけ支援させてもらうよ。今回はその話をする為にイギリスへ来たんだ」
――キャンディの顔を見に来たわけじゃないのか?
テリィの心は、少しだけ意地悪になっていた。
「キャンディのお腹の子、双子なんだって?今聞いたばかりで驚いたよ」
――キャンディのお腹を見に来たのか。
「専属医は一人だけかい?」
アルバートは、少し心配そうに言った。
「・・・ええ。ドクター・ボリスは腕利きの医者です」
ノミの心臓の持ち主だの、大酒飲みだの、顔が熊に似ているだの、という余計な情報は伝えるべきではないと、テリィは瞬時に判断した。
「双子の出産はリスクがあるんだよ。一人では対応できない事態も起こり得る。 産婦人科医と外科医も待機させた方がいいんじゃないかな。アフリカで何度か出産に立ちあったが――」
アルバートは動物の出産の話を始めてしまった。
(・・・そんなにリスクがあるのか?)
テリィは、キリンとゾウの出産話が全く頭に入ってこなかった。
せめて同じ霊長類の話なら、もう少しリアリティがあったのかもしれない。
「――アルバートさん、サヴォイホテルをとりましたので、今夜はあちらで」
「僕もそのつもりだったんだが、公爵のご厚意に甘えさせていただくつもりだ」
堅物で有名な父親がそんな誘いをするなんて。
なんてことだ。この若き総長は、わずか二回の面会で猜疑心の強い父親の信頼を得てしまったのか。
「いえ、ウチでは大したおもてなしも出来ませんし、特にこの家のシェフは、あまり腕がよくありません」
「そこなんだよ、テリュース」
公爵はテリィの言葉に同意するように頷いてから、パッと喜色満面の顔に変わった。
「だからサヴォイホテルの料理長を呼ぶことにしたよ。今夜は久しぶりに美味いものにありつける」
(――なんてことだっ・・・)
テリィは、もう何も言うまいと思った。
「アルバートさん、お部屋に案内するわっ」
キャンディがアルバートの腕を引っ張るように立ち上がった。
瞬間テリィはムッとする。
「僕が案内します、アルバートさん」
「テリィは稽古で疲れているでしょ?あなたは早く着替えて来て。さぁアルバートさん、私の寝室の隣の部屋よ」
テリィは更にムッとした。
「あの部屋だけはダメだ!テイラー、最上階の一番いい部屋を!」
強い口調のテリィに、その場にいた数人は目を丸くした。
執事のテイラーは、自分が何かミスをしたのかとヒヤヒヤしながら言った。
「上の階は、階段の上り下りが大変ですから、エレベーターも無い屋敷なので」
執事の配慮など、今のテリィには関係なかった。
とにかく、もっともらしい理由を付けて、全力で離すのみ。
「キャンディ、君はいびきがうるさい。廊下まで響いている。アルバートさんの安眠を妨げるような事があってはいけない」
「大丈夫さテリィ。キャンディのいびきなど、もう慣れっこさ。寝相の悪さもね」
アルバートがウインクしながら言うと、キャンディの顔は真っ赤になった。
「今は寝返りもひと苦労なのよ。お腹が重いの」
「そうかい?お腹の中の赤ちゃんは、一晩中メリーゴーラウンドのようにグルグルしているんじゃないのかい?」
「アルバートさんに言われたくないわ。キャンプした時のアルバートさんの寝相の悪さったら」
弾ける笑顔で昔話に花を咲かせるキャンディ。
テリィは聞くに堪えられなくなり、「キャンディのいびきは、妊娠してから特にひどいんです!!ええ、もうゴリラかと思うほどっ」もっともらしい理由だったはずが、どんどん遠ざかっていく。
「お構いなく、テリィ。僕はアフリカでゴリラと一緒に寝ていたからね」
ナチュラルなアルバートの笑顔。
「キャ、キャンディゴリラは、、、ボスゴリラ級のいびきで!とても耐えられるレベルではありません」
テリィの感情はもはやコントロール不能。
「100デシベルです!!」
「――坊ちゃま。そんなに酷いなら、キャンディス様、ドクター・ボリスに受診させますか?どこかご病気では」
実直な執事のテイラーが、心配そうに口を挟んだ。
翌日のロンドンは、テリィの頭の中のような霧の街。
テリィとアルバートは、ジョルジュの運転する車で有名な時計店に足を運んだ。
数ヶ月前、キャンディが誕生日プレゼントにと贈ってくれた腕時計。
キャンディが店の人と勝手に約束してしまった『腕時計を身につけた写真を撮る』という約束を果たす為だ。
テリィの腕時計に興味を示したアルバートが、店を物色してみたくなった、と言い出したのは今朝の事。
ジュラルミンのスーツケースを持ったジョルジュが帯同していたが、これはきっといつもの光景に違いないと、テリィは何もきかないでいた。
「ようこそお越しくださいました、グランチェスター様。お待ちしておりました」
玄関で出迎えた時計店のちょび髭の店主は、三人を店の奥の奥の部屋へと案内した。
いつもの事だが、グランチェスターの名を前にすると、国王でもない限り万人がへりくだる。
「――RSCの役者をなさっているとか?」
店主はRSCに対する知識が浅いようだった。いや、正確には『テリュース・グレアム』という俳優について知識が無かったのだろう。
ここはブロードウェーではなくロンドン。
自分が去年イギリスデビューしたばかりの新人だという事を、テリィも忘れたわけではない。
「本日奥様は?」
「・・・今日は気分が優れないもので――」
絶好調は確認した。
キャンディの絶好調は、かえって危険だ。
「では、こちらにお召し替えを。これがお約束のテリュース・グレアムモデルです」
店主は一本の腕時計をチェストから取り出し、テーブルの上の赤い布の上にそれを置いた。
(・・・・?)
「なんですか?」
「テリュース・グレアム・モデルです!」
店主は今度は語尾を強め、同じ言葉を繰り返した。
「奥様がリクエストされたのです。 『時計に名前を刻むことはできませんか?』と。それは無理だと答えましたら、『あんな小さな指輪だって刻めるのに、腕時計に刻めないなんて、へっぽこね』――と、おっしゃって」
(・・・へっぽこ)
テリィとアルバートは顔を見合わせて、(キャンディは間違いなく言った)と確信した。
「グランチェスター公爵家のご依頼ならばと、『では、文字盤に刻ませていただきますね?』と返事をさせていただきました。――それが、これです!」
スイス製だという完全防水性の高精度な腕時計。
今テリィが腕にはめている時計とは若干デザインが違う。
文字盤に刻まれた王冠マークの上に、ハッキリと確認できる自分の名前。
裏には百分の一と刻まれている。
「スイスにある製造会社と綿密に打ち合わせ、百本以上製造するならば従来品と同価格帯で売り出せると、完成にこぎつけました。このようなコラボレーション製品はわが社初の試みでございます。あなた様の知名度が上がれば、訴求力も上がり話題になること間違いありません。限定百本です!」
嬉々としている店主とは対照的に、テリィの表情は複雑極まりない。
テリィには正確な値段こそ分からなかったが、車一台分に相当するという事は、知識として持っていた。
(売れ残ったらどうするんだよ。俺のせいになるのか?)
そんなテリィの心中を察したように、アルバートは言った。
「・・・すまない、テリィ。キャンディは小麦粉や生地の値段には敏感なんだが、 貴金属とかドレスとか、その手の類の品には鈍感なのかもしれない。高級店には値札も付いてないことも多いし、自分で買いに行くことは無かったからね。僕の育て方のせいかな?」
冗談っぽく言いながらも、アルバートの顔には、養父の一面が垣間見えている。
(・・・そうかもしれませんね)
とは、とても言えない。
テリィはアルバートを気遣うように言った。
「・・・キャンディはケーキの値段もオレンジの値段も分かっています。ドレスと貴金属は、今後は僕がプレゼントしますから、何も問題ありません」
テリィの気遣いを前に、アルバートは苦笑した。
「僕は毎日巨額の金を動かしているだろ?今ある物を買うだけでなく、これから価値の出そうな物に投資したり・・。少し金銭感覚が、狂っているのかもしれない。一種の職業病だね。ハハっ」
言い訳がましく思いながら、アルバートは頭をかいた。
「――では、この限定モデルで撮影させていただきますが、宜しゅうございますね?」
店主は、タイミングを計って声を掛けた。
「ええ、構いません。どうぞ」
「あ、待ってください。この腕時計、僕に譲って頂きたいのです。ジョルジュ」
アルバートがぱちんと指を鳴らすと、ジョルジュはジュラルミンのかばんを机の上で開いた。
帯が付いたままの札束が、ぎっしり詰まっている。
「このお金で、頂けるだけその時計を」
店主は思わず腰を抜かしてしまった。テリィも言葉が出てこない。
(・・・金銭感覚・・狂ってます・・アルバートさん)
「テ・・・、、、テリュース・グレアムモデル百本!本日完売でございます!」
店主は、嬉しいのか悲しいのかよく分からないまま、大声を張り上げた。
ジョルジュが運転するロールスロイスの助手席には、百本の腕時計が収まったスーツケースが、まるで社長のように鎮座していた。
「どうするつもりですか?あんなに」
「――テリュース、君の名前が付いた時計だ。ロンドンでしか手に入らない」
アルバートは、隣に座っているテリィを見ずに、ロンドンの街並みを眺めながら噛みしめるように言った。
「・・・ロンドン市民の大半は、まだ君を知らない。しかし、アメリカは違う。アメリカに持っていたら、価値が十倍に上がる」
(・・・つまり、投資?)
テリィが眉を寄せた時
「きみの価値は、こんな値段じゃないはずだ。あの時計店は分かってない。・・・テリュース・グレアム。イギリスでも名を馳せろ、見返してやれ!」
一瞬、野生のライオンのような瞳になったアルバートは、ロンドンの街を威嚇するように言った。
「僕も君の父親という肩書に恥じぬよう、努力する。アードレー家をアメリカ一の財閥にしてみせる」
若い総長の肩に掛かった重みを、その時テリィは感じた。
勝負をかけている世界は違えど、テリィにはアルバートが同志のように思えた。
「後悔させてやりますよ。百本しか作らなかったことを」
テリィも共鳴するように、力強く答えた。
「・・・子供服、一式ありがとうございました。大切に使わせてもらいます」
「ああ、足りないものがあったら言ってくれたまえ。・・・何を贈っていいのか分からず、ジョルジュに任せきりで、恥ずかしい限りだ」
テリィはルームミラー越しにジョルジュの顔をちらっと確認した。
相変わらずホワイト仮面を決め込んでいる。
きっとアルバートは、ジョルジュがラベンダー色のシルクのおむつを送って来たことは、知らないのだろう。
数カ月後に訪れる、にぎやかな生活。
テリィがそんな未来を想像した時、アルバートがおもむろに言った。
「――実は・・・養女を迎えようと思うんだ」
「え?」
テリィは驚いて、隣にいるアルバートを凝視した。
「ポニーの家の子なんだ。貰い手のないまま十三才になった子がいてね、奉公に出されると聞いて、なんだかキャンディとダブってしまって――」
「大おばさまは?反対されなかったんですか?」
「されたよ。・・・されたけど、女の子ならばと許してくれた。その代わり、跡取り息子を必ず産むようにと約束させられたよ。いずれ、その時が来たら、必ず――」
「・・・アルバートさん」
「あ、産むのは僕じゃないよ?僕はタツノオトシゴのような真似は出来ないから」
分かってます、とはテリィは言わずに、ただ静かな微笑みを返した。
「ただ、今のアメリカの社会は、独身男性が養女を迎えることが規制されつつあるんだ。人身売買の関係なんだが」
「――それならば、養女ではなく、その子の『後見人』になったらいかがですか?それなら、社会は何も言いませんし、大おばさまの神経痛もいくらか和らぐはずです」
アルバートはハッとしたようにテリィの方を見た。
「後見人――・・その発想は無かった」
「アルバートさんは、肩書上はキャンディの父親だったかもしれませんが、僕には後見人としか見えませんでした。・・・大きな愛で常に後ろから見守っている」
「・・・そうか」
「そして、僕が知る限り、キャンディはそれに頼ることなく、常に自分の足で歩いていた。アルバートさんは、キャンディを育てたことなど無いのでは?」
「――確かに・・・その通りだ」
自分は養父にさえなっていなかった。
そう思った瞬間、アルバートの顔は霧が晴れたように明るくなった。
養父という不釣り合いな肩書から、解放された瞬間だったのかもしれない。
「・・・後見人なら、この先、何人でも援助が出来るってわけか。――そうだな、そうしよう」
後部座席の二人の会話に、密かに耳を傾けていたジョルジュの表情が穏やかに揺れた。
「僕は後見人になり、君は父親になるんだな」
「――そうですね」
テリィは思わず背筋を伸ばした。
「そして僕は、おじいちゃんにもなる」
「肩書だけですよ」
「楽しみだな・・・」
新しい命を心待ちにするテリィとアルバートを乗せた車は、青空の広がったロンドンの街を走り抜けていった。
テリィVSアルバート
(完)
次のスピンオフ(時系列)はこちら
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ワンポイントアドバイス
サヴォイホテル
1889年から営業しているロンドンで最も有名なホテル。
アニメ版で、大おじさまやテリィがスウィートルームに宿泊していました。
グランチェスター家の執事テイラー
またしても成田美名子先生「エイリアン通り」の登場キャラ。
執事のバトラーがモデルです。
グランチェスター家の主治医・ドクターボリス
絵本作家ディック・ブルーナのキャラがモデルです。
読者A「人間じゃないんですね。てっきり、イギリスの首相ボリス・ジョンソン氏かと思いました」
作者BB「いいえクマです。クマをあてはめてください」