とにかく「あのひとが誰か」を知りたい人は、このページをとばしこちら★をお読みください。
ココでは、2003年に復刻した旧小説版と、『書き直した』と原作者自ら語るファイナルとの違いを検証します。
両方に登場する「手紙」の内容を比較し、相違点を浮き彫りにしたいと思います。
旧小説の登場順位で紹介します。※時系列とは限りません。
エレノアへの手紙
旧小説
エレノアからハムレットの招待状が送られてきますが、キャンディはそれを送り返しました。
「テリィのニュースは、なるべく見ないようにしようと思っているのに、つい目がいってしまうのです」
「見たいけど見たくない。もう思い出になってしまったと笑うことは、まだ、私にはできません。もう少ししたら時が解決してくれるでしょう」
ファイナル
送られてきたハムレットの招待状を、宝物にすると手元に保管します。
「テリィのニュースはなるべく知らないでいたいと思っているのに、不思議なぐらい自然に見つけてしまうのです」
「観たい、でも観たくないのです。観ればきっと会いたくなる。会って一言でも話したくなります。それにスザナ・マーロウとの約束があります。もう会わないと約束しました」
「もう会わないと約束しました」 と、読者にとっては初見の内容を追加しています。
約束した経緯は本文には出ていませんが、スザナを助けた雪の日に病室でそのような密談があったということでしょうか
アンソニーへの手紙 (心の中で書いた)
旧小説
アンソニーが亡くなってから起きた事の報告で、丘の上の王子様、大おじさまがアンソニーの叔父のアルバートだったと長々と語り、ニールとの婚約話などを終始明るく報告しています。
テリィの事には触れていません。アンソニーの事故は自分の責任だ、との言葉もありません。
ファイナル
旧小説では九牛の一毛の軽い扱いだったアンソニーへの手紙は、有終の美を飾るように巻末へ移動。
「やっとあなたに手紙を書くことができます」
「(アンソニーが亡くなって)自分が呼吸していることすら許せなかった」
「ロンドンで私はあなたと似たひとに強く惹かれてしまいました」
「生きていても、会うことがかなわない運命があることを知ったのです。そんな一つ一つの積み重ねが生 きていくと言う事なんですね。それでも、生きていれば希望を抱ける―。あたなの最後の微笑がわたしに力を与えてくれます。わたしはあなたがすべて赦してくれているのを知っています」
ファイナルのキャンディは、アンソニーへの自責の念から、軽々しくアンソニーへ手紙を書けない設定に変更され、内容が激変しました
変更が著しい為、次の(2)方で詳しく扱います。
スザナへの手紙(書いただけで出さなかった)
旧小説
先にスザナから手紙が届きます。
キャンディへのお詫びとテリィへの恋心がつづられた内容で、8行だけ紹介されています。
キャンディはその手紙を暗記できるほど何回も読み、好意的な返事を書いています。
全体的に、スザナにテリィを託すような内容で、キャンディには敗北色が漂っています。
キャンディの返事
「私も、とても元気ですから、どうかご安心下さい」
「あなたよりもっと自分の方がテリィを愛していると自信を持っていたでしょう―・・・あなたの怪我の原因を知った時、私は負けたと思いました」
「照明が落ちてきた瞬間私ならどうしたでしょう。やっぱり私もテリィを救ったかもしれない。けれど、あなたの方が私より早かったのではないかと思います」
「どうか、どうか、私の分までテリィを愛し励ましてあげてください。テリィなら、きっといつか気付くと思います。そばで見つめるあなたのまなざしの優しさに。私はもう過去の人になりました」
「いつか私たちがお婆ちゃんになった時、きっと心からの笑顔で会える日がやってくると―」
ファイナル
スザナがキャンディに書いた手紙の全文が紹介されています。旧小説では8行でしたが、ファイナルではまるまる2頁になりました。下巻279、280
(内容は以前同様キャンディに対するお詫びとテリィへの恋心がつづられています)
しかし!
キャンディが返事を書いた形跡はありません!なんと既読スルーです!!
スザナの手紙を「その封筒の周りだけひんやりとしている」と形容し一度読んだきりで文面を覚えてしまい、しまい込んでしまったと書かれています。
したがって「私は負けた、スザナの方が早く助けた」という文章は出てきません。
その代わりに、次の言葉が回顧録に出てきます。
「スザナとわたし、どちらが深くテリィを愛していたかなんて比べることはできないと思う。わたしだって!‥と叫びたかった」下巻236
旧小説と明らかにキャンディの態度が違います。
テリィへの手紙(書いただけで出さなかった)
旧小説では、『(別れた後)ハムレットの初演の頃』に書いた1通だけです。
旧小説(1通)
ポニーの家を訪ねてくれた話、シカゴ公演の時の裏話、ロックスタウンでの話。
いわゆる二人に共通した過去の思い出話が中心です。P512~
「スザナの事故はあなたのせいじゃないと思うけど、スザナがあなたをかばったことは事実なんですもの。身代わりになったことは本当ですもの」
「まだあなたの芝居を見に行く勇気はありません…。」
「わたし、いま、しあわせよ。やさしい人にかこまれているし、なにより、あなたとの思い出があるから。あなたの胸のあたたかさ、一生忘れないでしょう」
「わたしよりもスザナをえらんだあなたのこと、わたし、やっぱり好きです」
「あなたが劇場に立つとき、力いっぱい拍手するわたしがいることを忘れないで。テリィ……好きでした」
※「好きでした」の言葉は初期の小説にはありません。後から追加されています。
テリィとの思い出があるから幸せだと言っているキャンディ
「好きです」と現在形で言ったわずか4行後に「好きでした」と過去形を使っています。
ファイナル(2通)
テリィへの手紙は、2通に増えました。
①再会前に書いた手紙・・看護学校に入学した頃に書いた。
②再会後(別れた後)に書いた手紙・・ハムレット公演がロングランに次ぐロングランの頃に書いた。
旧小説と同じ内容を含んでいるのは②の手紙です。
要するに名木田先生は、①の手紙が必要になったので一通追加した、ということでしょう。
①の手紙に書かれた『新たな言葉』はこちらです
いつか、きっと、必ず、また会えたら、胸を張って言いたいことがあります。
その日までわたし、しっかり生きていきますね 下巻175
の告白をしたい、と作者はわざわざ付け加えているのです。
2通目の手紙は別れた後にも関わらず、手紙のトーンは1通目と何ら変わらない雰囲気が漂っています。
本来ならテリィに伝えられていたはずのエピソードや今のテリィに伝えたい事が話題の中心で、テリィへの思慕が読み取れます。そう感じるのは冒頭の4文の影響でしょうか。
いきなり、センチメンタルな書き出しです
心は熟れた甘酸っぱい杏の実。呼吸さえできません、という現在進行形。
手紙の中で何度もテリィの名前を呼ぶキャンディの言葉には「テリィ……」と余韻が漂い、実に4回も出てきます。
「(テリィの手紙を)今も大切にしまってあります。でも、読み返すことは、まだ出来ないの」
旧小説には無かった、かつてテリィに出した手紙が殆ど届いていなかったエピソードが初見で登場しています。
スザナの意地悪炸裂
文末には、旧小説同様「テリィ……好きでした」の言葉が選ばれています。
結局伝えられずに終わってしまった「好きです」の言葉を、気持ちを整理する上で書いたように思えます。
アルバートとの往復書簡
旧小説
アルバートさんの身の上話が中心。何故キルトを着てポニーの丘にいたのか、生い立ちや大総長としての仕事などを語っており、仲が良さそうな雰囲気にあふれています。
文末の差出人が「心より愛をこめて キャンディ」
これが旧小説の巻末の言葉 でした。超ラブラブモードです。
ファイナル
言葉のチョイスは違えど、内容は旧小説と同様でアルバートの過去や身の上話が主ですが、養父・養女という言葉が頻繁に登場し、お互いの関係をからかっている感じが伝わってきます。
相変わらず仲が良さそうです。
プッペはアフリカに置いてきた設定に変更されています。
したがって旧小説に出てきた「キャンディもついてくるかい?」「もちろん、連れていってくださいね」は削除されています。
また、二人はアンソニーの死に責任を感じ、長い間苦しみを抱いていた描写が追加されています。
文末の差出人が「心より愛をこめて」 →「愛と感謝を込めて キャンディ」に変更されています。
この言葉について、フランスでインタビューに答えた名木田先生の言葉を紹介します。
Q:キャンディは「愛と感謝を込めて」と手紙に署名しました。日本人は慣習的にそのようには署名しないので、なぜそのように署名したのか、何か意味がありますか?
名木田先生:キャンディキャンディはアメリカのキャラクターです。これは日本の話ではありません。西洋の人々が手紙に署名する方法で、このように署名しました。
Q:なるほど。「愛」という言葉はどうですか?
名木田先生:感謝の気持ち
テリィからの手紙
旧小説 なし
ファイナル
「思い切って投函する。―― ぼくは何も変わっていない」
思わず拍手
新旧の総括
旧小説
旧小説は、20歳位までのキャンディのリアルタイム物語、という印象です。
キャンディは「テリィ・・・好きでした」と過去形で文末に記しながらも、その直前に「やっぱり好きです」と現在形で記しており、まだ恋心は完全には過去のものになっていないと、エレノアへの手紙の中でも語っています。
とはいえ諦めていることは感じられ、明るく前向きな様子です。
スザナに信頼を寄せ、あの二人はやがて両想いになると信じ、「私は負けた・スザナの方が早く助けた・私の分までテリィを愛して」と、テリィをスザナに託すような発言をしています。
テリィは完全に蚊帳の外。ロックスタウン以降テリィからの発信は一切ありません。
私生活の方はアルバートさんの2大カムアウトを受け、明るく幸福感に溢れています。
漫画のラストはアルバートさんへの恋が始まるのか、単なるキャンディの自立と捉えていいのか、どちらともとれるような終わり方でしたが、小説版は更に一歩踏み込み、キャンディのお相手はアルバートさん、と疑いのない雰囲気です。
次のようなイラストがあるのもその証拠ですね。
ファイナル
20代のリアルタイム物語だった旧小説とは異なり、30代のキャンディが過去の思い出を振り返る物語に
なっています。
テリィへの恋心が旧小説より増え、『キャンディの手紙を殆ど隠していた』というスザナの卑怯エピソードも新たに加わり、テリィをめぐる三角関係が旧小説や漫画よりも尖っています。
『テリィとはもう会わない約束』をスザナと交わしたエピも加わり、エレノアから誘われた観劇を断るしかなかったキャンディの葛藤や、スザナのしたたかさなどが強調されています。
別れた後も、テリィのデビュー当時の切り抜きを長い間持ち歩いていた、という文もあるので、別れてから数年経っても、テリィへの想いを静かに胸の奥に秘めている状態にあるように読めます。
少なくとも『テリィへの出さなかった手紙』(テリィ・・好きでした)を書くまでは、テリィにあったように感じます。
テリィはハムレット公演が成功し、テリィとスザナは婚約した「らしい」が、スザナは突然亡くなります。
これは旧小説には無かった大展開。しかもテリィはキャンディに手紙を書いています。
その内容が「ぼくは何も変わっていない」ですから、スザナとの婚約は何だったのか、読者は突然迷子になるわけですが、テリィファンは障害が消えた印象を持ちます。
またアルバートとの関係は、旧小説より絆の深さを感じます。二人はアンソニーの死の責任という苦しみを共有し、慰め合い、乗り越えています。
アルバートは献身的に自分を看護してくれたキャンディに「どんな感謝をしてもし尽せない」と旧小説には無かった言葉を使い、キャンディも「感謝し尽せないのは私の方です」下巻321 と、往復書簡のほぼラストに語っています。
二人の間にあったのは、深い感謝と「見えない糸に繋がれた絆」下巻197 そのように読めます。
旧小説では4回だった養父と養女という親子を意識した言葉が、合計13回も登場していることからも、男女関係というよりは、それを超えた信頼関係が読み取れます。
あのひとが誰かは一旦置いても、ファイナルの目指す方向性は、テリィとの別れ直後から既に旧小説とは明らかに異なっています。
「・・さいなまれ、どうしても書き進められず、もう断念しようかと思った」下巻335
名木田先生はかなり神経をすり減らし数年掛けて執筆されたようです。
「全面的に書き直そうと決心した」は、物語を根底から見直したのでは―?と感じます。
次へ続きます