★★★8-13
「おはよう、あなた・・」
甘い声・・。キャンディの・・。
「・・・おはよう」
少し頭が混乱する。
「・・犯罪者になった気分だわ。――こんなに囲まれちゃって」
とぼけた声に変わり、テリィは全ての状況を一気に理解する。
「やっちまった―・・」
テリィは一言漏らすと、脱力したように枕に顔を埋めた。

やはり壁が薄すぎたのか、カンテラの灯りが強かったのか。いや、たぶん窓を全開にして、シーツをはたいたのがいけなかったのだろう。
テリュース・グレアムの在宅を嗅ぎ付けた記者達が、朝からアパートの玄関前の路地を陣取っていた。
いつものように記者たちは、管理人の言いつけを守りアパートの中には一歩も足を踏み入れない。
こうなる事は分かっていた気がする。自分の脇の甘さが恨めし過ぎて、虚脱感で一杯だ。
「あの人たち、寒さに耐えながらあなたを付け回して、今更何を聞きたいのかしら」
朝食の用意をしながら曇りガラスに指をスーとスライドさせ、そのわずかな視界から外を垣間見る。
昨夜は雪が降ったのか、道路わきが所々白くなっている。
「・・事の真相。過去の報道を全否定するような記事が、畑違いのシカゴから発信されたんだ。地元記者の威信に掛けて、真実を追及したいんだろ」

「・・話すの?」
「話さないよ。逃げる」
「どうやって逃げるの?・・今日は車が無いわよ」
「・・車は無いけど、出口はいくつか・・」
うつぶせ状態のまま枕のわずかな隙間から、テリィのこもった声が漏れてくる。
「・・窓から脱出するの?真下にも記者がいるから、どのみち捕まるわよ?」
路地にいる記者たちは、白い息を吐きながら体を抱くようにして張り込んでいる。
「――ねぇ、かわいそうよ。さっさと話して解散させたら?話さないから付け回されるって事はない?あの人たちは記事にするのがお仕事なんでしょ?だったら、何でもいいからネタを提供してあげたら?」
「・・何を話すんだよ」
「受け身でいいわよ。記者の質問にアルバートさんの台本通り答えればいいじゃない。シカゴ・ニューズ・エクスプレスの記事に乗っかっちゃったらいいのよ」
「―・・顔をしかめたくなるような質問ばっかだぜ?」
「どんな質問でも、笑顔で応えられるのが一流の役者でしょ!ココにはいないのかしら?」
挑むようなキャンディの言葉に、テリィは反射的に顔を上げた。
「そもそもテリィがスザナに示した愛情と誠意は、後ろめたいものではないはずよ?それを恋愛に結び付けて好き勝手書いていたのはあの人達の方だわ。今あなたが全否定したところで、何もおかしくはないわ」
キャンディの言葉に何か感じたのか、テリィは片肘を立てフムフムと聞き入った。
「来週にはもうこの街にはいないんだし、何を書かれても後の祭りよ!」
「ふ~ん・・そのセリフどこかで聞いたな」
たくましいことを言うようになったキャンディに、テリィは苦笑する。
「たまには本心を吐きだしてみたら?」
「本心・・?てめーら、でたらめなことばかり書きやがって!・・って?」
「昔からそばかすの女の子一筋だったって!本心を言うのが一番説得力があるんでしょ?」
白い歯をむき出しにしてキャンディはニッと笑った。
途端、頭を支えていた腕がガクッとし、テリィは再び枕に顔を突っ伏した。
「ちょっと・・!そろそろ起きてよ、あなたの理想の朝はこんなビジョンじゃないでしょ!?」
ハムエッグのお皿をテーブルに置いたキャンディは、テリィをベッドから引きずり出そうと手を伸ばす。
「・・耳元でキンキン言うなよ、考えがまとまらない」
起き上がろうとしないテリィに、キャンディは呆れたように腰に手をあて、一人で朝食をとり始めた。
「先に食べちゃうから!腹が減っては戦はできぬって言ったのは誰よ!」
「・・腹・・・戦・・・」
宙を舞う、夢の朝食とはほど遠い言葉。
テリィが重たそうに体を起こした時、胸についた赤いあざに気が付いた。
「・・あれ?――これ、君がつけた?」
「――だってテリィが意地悪だから・・っ、今日ぐらいつけても問題ないでしょっ」
キャンディはプイっと顔を背けた。
「とんだ言い草だなぁ、あれだけ俺をその気にさせておいて、早々と寝ちまったくせに」
全く意味不明とばかりにテリィは椅子に座った。
「あれは単なるうたた寝よ、どうして起こしてくれなかったの!?おかげで夕飯も食べ損ねて、空腹で夜明け前に目が覚めちゃったわ。――なのにテリィってば・・っ」
はねた前髪をつんつん触りながら、キャンディは頬を膨らませている。
「俺は何もしていない。酔って寝ぼけている状態じゃ、意識なんか殆どな―・・あ!?・・?・・!!」
自分の体の変化に気付いたテリィは、おもわず変な声を上げた。
「うそ、意識はあったわ!体が反応していたもの。ベットボードに体をもたげて、口だって動いてたわ!そもそも意識がない状態って言えるのはね、意識障害を発生させる要因が脳や臓器や心的なストレス―」
ムキになって説明するキャンディの前で、テリィは思わず頭を抱え込んだ。
(反応って、あれは―・・・ただの朝の・・)
「―・・抵抗もできないような俺が、何をしゃべったって?」
とたん、キャンディは真っ赤になって、パンを持つ手が思わず垂れた。
「―・・・私だって、そんなつもりは―・・もうしないわ・・」
いきなりしょげられると、テリィの調子も狂う。
「あっ、いや、・・たぶん俺も・・悪かった・・。しかし、そんな不意打ちがあるとは。このキスマークは――」
「もう言わないでっ、テリュースっ・・!!」
恥ずかしさが爆発し、キャンディは握っていたパンをテリィの口の中に押し込んだ。

 


©いがらしゆみこ 水木杏子

「――で、敵陣は?」
パンを頬張りながらテリィは作戦を練り始めた。
「十人ほど路地に。アパートの表と裏。・・こんな時、いつもはどうしていたの?」
「正面玄関から強行突破。記者たちを引き連れて黙々とお散歩。劇場に逃げ込んでゲームオーバーって感じかな」
「今日は劇場に逃げることは出来ないわよ?・・追撃、かわせる?」
テリィはハムエッグを食べながら考え込む。
「・・このシーツはもうお役目ご免だ。そこのロープ職人さん、頼める?」
テリィの一言でキャンディは主旨を理解し、「お任せください」とニカッと笑った。
「作戦はこうだ」
テリィがパンをかじりながら今日の台本を説明する横で、キャンディはシーツをかじりながら、引きちぎり、結び、おなじみのシーツロープが完成する。
「・・待ち合わせは四ブロック先のブロードウェー沿いの・・美術館?」
キャンディの頭は作戦の事で一杯になる。
「映画館だ!とにかく脱出したらあの道を真っ直ぐ走れ。大通りに出たら右へ百メートル。映画館では一番後ろ、ドアから一番離れた席に―」
「はいはい、それはもう何度も聞いたわ。脱走は超一流なのよ、まかせて!」
椅子から跳ぶように立ち上がったキャンディは、跳ねた前髪に赤いピンをパチンととめた。
意気揚々としているキャンディを見て、ますますテリィは落ち着かない。

「うん、今日は一段と素敵ね、つま先から頭までどこから見てもテリュース・グレアム!変装のへの字もないわ。ではっ、行ってらっしゃーい!」
キャンディはテリィの健闘を祈る様に、両手で万歳をしながら送り出す。
「こんな『行ってらっしゃーい』・・じゃなかったはずなんだけど・・俺が欲しかったのは・・」
思わず背中で愚痴を漏らしながら、テリィは階段を下りて行く。
要するに、テリィはおとりだった。記者を引き付けている間に、キャンディは窓から脱出する。
テリィは一階に住んでいる管理人のナナおばさんに一声掛けると、ピカピカに磨かれた靴を表玄関に向けた。

「さて、開戦と行きますか」



「半年に一度顔を出す程度で、あの豪邸に住んでいた事実は無いって?」
「ああ。彼女は十年以上前に看護婦になって経済的にも自立し、近隣の町で大勢の孤児たちと暮らしていたそうだ。アードレー氏は養父と言うより後援者に近いんじゃないかな。相続権もとっくに放棄してるんじゃ、財産目当てという文字は、テリュースにも彼女にも使えんよ」
「相続権がない!?よくそんなことまで突き止めたな、お前」
「それがおしゃべりな門番でさ、総長の話はできないが、結婚に関してはおめでたい事だからって。テリュースは何時間も門の前で彼女を待っていたこともあるらしい」
記者たちは路地でさかんに情報交換していた。
寡黙な門番がおしゃべりな門番に変身したのは、もちろんアルバートの戦略だ。
「で、劇団の方は何だって?ロバート団長に取材したんだろ?」
「認めたよ。スザナがテリュースの身代わりになったのは事実らしい」
「――まことしやかにささやかれてはいたが、事実だったのか。・・すると献身的な介護は愛情というより、一種の義務感か?シカゴ・ニューズ・エクスプレスの記事にがぜん信ぴょう性が増すな」
記者たちが激論を交わしていると「おい、出てきたぞ!テリュースだ!!」
一人の記者の駆け声を合図に、アパート周辺に張り込んでいた記者たちがワッとテリィを取り囲んだ。

 

 

8-13  決戦の朝

 

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ワンポイントアドバイス

この回、フォロワーさんからテリィの酒癖について質問がありました。

それに対する返答を掲載します。

 

『良~く読めばわかるのですが、キャンディと別れてテリィが第一線に戻ってきた頃、

アメリカには禁酒法がありました。

だからテリィは「この部屋でしか」お酒は飲んでいないのです。
つまり酔って記憶が無くなって誰かを~(スザナを~)とかは無いのです。
今日(今回お話)の中途半端さは、大変申し訳なく・・・🙇‍♀️💦
あれはテリィ目線で書かれています。
テリィも昨晩(今朝?)何があったかよく分かっていないという事です。
今皆さんは一種の「テリィ状態」なのです。』

 

 

テリィ状態、らじゃあ!

 

 

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